4月から東京にある大学院に進学する長男
桜咲き始めるなか 家族総出で引っ越しを手伝いました
大阪から東京へ
朝4時 車に積めるだけ荷物を積んで主人と私で運び 息子と娘は「ぷらっとこだま」でのんびり東京にむかい現地集合
私達の車が到着すると すぐにみんなでお部屋に荷物を運び込んで 掃除やらご挨拶やら怒涛の一日でした
ホテルについて晩ごはんを食べに出て もうクタクタ
久しぶりに疲れ果てて眠りにつきました
翌日は息子の下宿先で 主人と息子は荷物の受け取りです
朝一番でイケアから届く家具を組み立て 午後はレンタルした家電が届き設置してもらいます
で 私と娘は
「いても場所とるだけだから」
の理由で観光しておいでと追い出され
「やったぁ♫」
と東京観光に繰り出しました
とはいえ どこ行く?
散々悩んだ結果 私の一存で
というマニアックな東京観光となりました
というのも♫
旅先のマンホールを撮影し マンホールカードを集めるのが趣味な私
マンホールは 私達の生活にかかせない大切な上下水道を守るもの
昔の東京の水の流れを追うのに 玉川上水は是非とも行ってみたい場所でした
そこから桜を愛でるために井の頭公園にむかい お花見♪
そして最後は息子の学業成就を祈願して 東日本最古の天満宮である谷保天満宮にお詣りというコースです
多摩モノレールは多摩地域の中央部を南北に縦断しているモノレールで 路線はほぼ高架となっていて晴れていれば富士山も見えるらしいです
とにかく街中の高いところをウロウロしている姿に一目惚れ!
アレ乗りた〜い!!
と娘にダダをこねて一緒に乗ってもらえることになりました(笑)
いつもより随分と高い所をモノレール特有のスーっとした乗り心地♫
初めてみる景色にもワクワクが止まりません
あっという間に玉川上水駅に到着
でも 私の知っている「たまがわ」は多摩川
多摩川 玉川 同じものなの?と調べてみると同じものらしい
土地や川 山などの表記は明治以降に国として統一するようになったけれど それ以前は地域によって表記が様々あったそう
川は多摩川と統一されたけれど 地域としては昔玉川村と名付けられた地域があって こちらでは玉川上水と表記しているようです
多摩川の由来は諸説ありますが 上流の丹波川(たばがわ)から流れてきた川
それが訛って「たまがわ」となったという説があり
実際山梨県と埼玉県の県境にある笠取山の南斜面下にある「水干(みずひ)」を源流として丹波川まで流れ 奥多摩湖(小河内ダムのダム湖)に注ぎ その下流から多摩川となっています
玉川上水は江戸時代 神田上水の次に整備され そして唯一今も一部使用されている水路です
参勤交代の制度化により 地方の各大名や幕府への忠誠を誓う証として人質となる子息などが江戸に住むようになり
その家臣やらで人が増え 更に経済が活発になることで爆発的に人口が増えた当時の江戸
たちまち日々の営みによる川の汚染が激しくなり 人々の間で病が流行るようになります
幕府は清潔な飲み水の確保のために川の上流から流れる水を様々なルートを使って江戸の市中まで運ぶ上水道を作りました
とはいえ今のようにショベルカーなどない時代
多摩川上流にある羽村市から新宿にあった四谷大木戸まで全長約43キロ 標高差がなんと92メートルしかない土地を 鍬などの道具を使って手掘りで掘り進め 石樋や木樋 竹樋を水道管として水を通していきました
土の性質やお金の問題など様々な困難を乗り越えて通した玉川上水は 人々の命の水となりました
開削から350年以上たった現在 玉川上水は国の史跡に指定され 今も水道原水の導水路等として機能しているそうです
今なお世界で水道水がそのまま飲める国は12カ国だけ
その中でも日本の水道水は世界一の品質とも言われています
私にとって 蛇口をひねって普通に飲用水が出てくることは日本に生まれて良かった♪と思えることの一つです
上水はここまでです
駅前の橋から水路と桜の写真を撮って
さて次は井の頭公園です!
西武鉄道に乗って国分寺でJRに乗り換え吉祥寺へ そこから歩いて公園を目指します
駅近くの消火栓のマンホール
消防士さんのヘルメットには井の頭公園のある武蔵野市の市章が入っています
この市章
市のホームページで「市章はカタカナのムサシノをかたどっています」と書かれているのですが 皆さんわかりますか?
私には全く「ムサシノ」に読めません(笑)
マンホールにはたくさんの水たまりが描かれていますが 場所によってこの水たまりの量が減ったり 全くなかったりするものもあるらしい(笑)
探してみるのも楽しそうです
「危ないから下がってくださいー!」
という声が聞こえてきそうな消防士さんのストップポーズ
真面目なお人柄も伝わります♪
ちなみに
マンホールが丸いのは洪水や工事 点検などで蓋が開いたときに簡単に落ちないようにするため
また
消火栓の蓋がカラーのものが多いのは 火事の時に消防士さん達が見つけやすくするためです
カラーマンホールはお高いのでなかなかたくさんの数はないのですが 消火栓にかぎってはお高い塗料も塗らなければならない理由があるんですね
ちなみに大きな現場の時は 何箇所かで消火栓の水を確保しなければなりませんが その時に重要なのはその消火栓がどの系統の水路かということ
一つの系統で何箇所も取ると水圧がさがってしまうので 別の系統の水路を探してそこから消火に使う水を確保しなければならないらしいです
地下に張り巡らされている水の流れを知ることも消防士さん達の大切なお仕事の一つなんですね
ところで井の頭公園ではやってみたかったことがあります
それは池のスワンボートに乗ること!
桜咲く池のスワンボートは 水面に垂れる桜の花を間近に見ることができて最高♫
それを楽しみにやってきたのですが。。
あまりの白鳥の密度に さすが東京。。と断念せざるを得ませんでした
あの間をぬってコギコギしながら優雅に桜を愛でる技術は私にはありません 残念
しばらく公園を歩いて駅に戻ろうとすると
こんこんと湧き出ずる水が!
隣に説明書きがあって「お茶の水」とのこと
武蔵野3大湧水池の一つ 徳川家康が関東随一の名水と称えお茶を淹れたことからお茶の水と呼ばれた
とのこと
あの「御茶ノ水駅」のへんの御茶ノ水とはまた違うようで あっちはまた別の将軍様が
「うん!この水 お茶入れるのにサイコー♫」
と言ったとのこと
昔の将軍様はつくづくお茶がお好きだったのですね(笑)
というか やっぱりそれだけ清らかな水を手に入れるということが大変だったのでしょう
東京はそもそもほとんど海を埋め立てた場所
井戸を掘っても塩水しか出ないような場所に 急に普通のお水が湧いて出てるだけでも奇跡のようなことだったのだと思います
当時テントサウナに湧き水で水風呂とか作って将軍様をもてなしたら 名字の一つでもご褒美に頂けたのではないかしらん(笑)
整(トトノイ)さんとか?(笑)
いや 冗談です
ところで井の頭公園の湧き水
昔はたくさんのお水が湧いていたようですが今は随分と減少したとのこと
それでも台風の後なんかには公園内の脇道からも水が湧き出てくることもあるようで やはり今もちゃんと湧水池であることに変わりはなさそうです
ここでもマンホール発見!
都の花「ソメイヨシノ」
都の木「イチョウ」
都の鳥「ユリカモメ」
が描かれた都立公園限定のマンホール
他にも日比谷公園などにもあるようです
さて そろそろランチタイム♫
今日のお昼はここ!と決めていました
「肉の万世」♫
東京には数店舗ありますが関西にはありません
以前ユーチューブで見て以来 絶対行くと決めていたお店です
ランチセットには飲み物もついてきて メロンソーダを頼んだ私
食後にソフトクリームを追加注文してソフトクリームからのメロンソーダでソーダフロート気分です♫
肉の万世は 娘も「美味しい!」と笑顔になってくれました
幸せ〜な気分で 矢川駅から一駅乗って谷保(やほ)駅へ
初めて駅名を聞いた時からヤッホーが頭の中でグルグルしています
が そのヤッホーとは全く関係がなく(笑)
谷保の「谷」はヤツといって湿地帯のことで水田に適した場所だったことが名前の由来とのこと
甲州街道を中心に栄えた場所で 実は今の駅から近い鳥居は本当は裏にあたる場所
17世紀あたりまでは立川段丘の下を通っていた甲州街道に面して入口があったそうです
その後甲州街道が段丘の上を通るようになり入口もかわったとか
なので大変珍しく 入口から本殿が下った場所にあります
今はこちらの鳥居が駅から近い入口
谷保天満宮(やぼてんまんぐう)
東日本最古の天満宮
菅原道真公が太宰府に左遷させられた時 第三子の道武公が今の谷保に追いやられ しばらく後に父 菅原道真公が亡くなった折 亡き父の尊いお姿を刻んで鎮座したのがこの天満宮の起こりであるとのこと
ご本殿にも大層凝った作りの彫り込みもあり 風格を感じます
急に娘が何かに気づいて「うわぁ!」と
恐る恐る指差す方角には 数え切れないほどの絵馬が。。
ズラーーっと並べられた絵馬掛けの板に 15センチ以上は重なり合って幾重にも絵馬が掛けられていて 圧巻!
人様のお願い事にカメラをむけるのは失礼かと思い アップの写メは撮りませんでしたが スゴイ!
さすが東日本最古の天満宮
関東の方の信心が厚い天満宮だということは絵馬を拝見して理解できました
さて そろそろみんなと合流しようかと駅に向かい歩いていると
やった♫カラーマンホールです!
こちらはマンホールカードにもなっている日本初のガソリン車「タクリー号」を描いたもの
タクリー号って?
と調べてみると このマンホールからは明治時代の優雅なお話がみえてきました
そもそもまだ日本には自動車がなかった時代
限られた特権階級の方だけが輸入された車を持っていました
なかでも有栖川宮威仁親王殿下は「自動車の宮様」と呼ばれるほどの大の自動車好き
英国のダラックを相棒に ドライブに行かれる際には お付きの方を助手席にお乗せになりご自分が運転 果ては修理までされるほどの実力もおありだったようです
その殿下のお車を見本に開発された日本で初めてのガソリン車が「タクリー号」です
ガタクリガタクリ走る様子から「タクリー号」と呼ばれたそう
当時の最高時速は まだ16キロほど
一号車は殿下のもとに納品されました
そしてほどなく明治41年(1908年)8月1日
殿下主催で初めての遠乗り会が行われます
そこから殿下を筆頭にスタートし新宿を経由し甲州街道を通り立川に11時にゴールという行程です
(立川で多摩川に行きあたるのですが当時は車の通れるような橋がなく渡し船で渡らなければならなかったのでここをゴールとされたと思います)
少し休憩して4キロほど戻り谷保天満宮の梅林の木陰にて皆で昼食を召し上がられました
この遠乗り会に 有栖川宮親王殿下は愛車ダラックで参加(やはりまだ16キロしか出ないタクリー号より早い速度の出るダラックに乗られたようです)フィアット・フォード・メルセデスなど計11台が集まったと記録があります
タクリー号も3台参加していた模様
8月といえば当時は車にクーラーもまだない時代です
未舗装の田舎道を11台もの車が通るとなれば汗と埃にまみれた随分過酷な道行きだったとお察しします
が 国民は大騒ぎ♫
たくさんの人々が沿道で国旗を振って楽しんだようです
埃にまみれて到着したドライバーの皆さんは最寄りの清流で汗を拭い 給仕の方々が用意した谷保天満宮の梅林の木陰に設えたテーブル席に着席します
テーブルには殿下より賜った昼食と小川で冷やされた冷たいビールやサイダーなどが用意されており 時折木の葉も舞い落ちる野外の食卓で粋なひと時を過ごされたようです
折しも外国に我が国の立派であることを誇示しなければならなかった鹿鳴館の時代 明治
食後に行われた参加者による演説では これからは自動車がもっと安くたくさん作られる時代にならなければならないと訴える方もおり 拍手喝采だったようです
そうして帰りは皆で有栖川宮邸まで戻り そこで殿下より氷水などのお振舞いを賜わり16時30分解散となりました
たくさんの新聞に掲載されたこのお話は 当時の日本国民にとっての車への大きな憧れを抱かせるものとなったのではないでしょうか
ちなみに
この遠乗り会で昼食を召し上がったあと 昇殿参拝をされ帰路につかれ無事到着されたことから 谷保天満宮は交通安全祈願発祥の地としても有名です
今でも谷保天満宮旧車祭なるものが毎年開催されていて ユーチューブを拝見しましたがなかなかの名車揃い
ご興味のある方は是非ご覧になってみて下さいませ
はぁ〜!歩いたよねぇ(笑)
クタクタになりながらも
咲き始めた桜の美しさに 立ち止まってはシャッターを切る娘と共に
最後は国立駅までお花見となりました♫
しばらく歩くと 甘いサックスの音色が聞こえてきて。。
駅まで一直線の広い歩道で 即興でジャズのアレンジを練習している方がいらっしゃいました
夕暮れに途切れることのない甘い響きは 美しい桜に包まれて まるで夢の中のようでした♫
楽しかった一日もおしまいです
さぁ ここから移動し働いていた男子チームと合流して晩ごはんを食べに行きましょう♫
娘と2人 あらためて息子の下宿先に向かい合流
夕食は息子の大学の近所でいただきました
素敵なお店でお味も美味しくボリュームたっぷり
ここなら通えるんじゃない?と家族公認の行きつけのお店も勝手に決めて(笑)
ホテルに帰ってみんなで缶ビールで打ち上げです
何もかも終わって全員ホッとしました
明日は揃って車で帰宅
途中静岡に寄って「さわやか」で念願のハンバーグです!
の前に(笑)
新幹線資料館なるものに寄って帰りたい!
というヲタ母の願いを叶えてもらい国分寺へ
ここは地名も「国分寺市光(ひかり)町」
新幹線推しです
資料館前には鉄道総合技術研究所があります
ここで様々な最新の鉄道技術が開発されているのね!とドキドキ♫
ひかり車両の中
座れます!
お付き合いで来てくれた主人も
「ちょっと撮って♫」
と娘に自らのスマホを渡していました(笑)
だよね!みんな一度は座ってみたいよね!
運転席は結構上に上がります
懐かしのシート
館内にはこんな展示も
「日本の宇宙開発発祥の地」
ん?そうなの?
実は昭和30年に当時の国分寺町で日本初のロケット発射実験が行なわれたとのこと
ロケットと言っても今の巨大なロケットではなくペンシルロケットなる全長23センチのもの
糸川英夫博士率いる東大生産技術研究所が 国分寺市の南部銃製造所(現早稲田実業学校)で 日本初のロケット水平発射実験を行なったことから「宇宙開発発祥の地」となっているそうです
ちなみに
息子は かつて種子島に車の免許を取るため合宿に行きましたが 最終日のこと
たまたま延期になっていたJAXAのロケット打ち上げが実施され みんなで夜中に自転車に乗って見に行ったという(まだ免許取れてないからね(笑))体験があります
私も息子の撮影した動画を送ってもらって見ましたが 映像越しでもその時の感動は忘れられません
現地にいた本人も あれは貴重な体験だったと後日話しておりました
今は不調なロケット発射実験ですが ニュースを見るたびに
ガンバレ!JAXA!!とエールを送る気持ちになります
ちなみに 何の知識もないけれど 宇宙やその始まりと終わり 時空や重力 果ては量子力学に興味津々の私
ブログのID habbule-no-nekoも宇宙の膨張を発見したハッブルにちなんだものです
宇宙の膨張発見のヒントは愛猫ニコラウス・コペルニクスがくれたそうです
ハッブルは無類の愛猫家でした
私はといえば 実際にネコを飼っているわけではなく 宇宙に興味津々なだけなのですがネコ好きの人みたいなIDで とりあえず入力したら後で変えれなくなって 少し困っています(笑)
それはさておき
途中 長男の運転するドキドキの高速道路を経て(横からすごーく遠慮気味に「車線変えるなら今だと思うぅ」やら「スピードそんなに出さなくても車線譲ってもいいと思うぅ」などウザい母親の本領を発揮せざるを得ない緊張感(笑))
なんとか 静岡到着!
ハンバーグで有名な「さわやか」に車を止めて順番をゲット
予想通りの90分待ちでした
待つ間どうする?
と聞くと息子が登呂遺跡を見たいと
「さわやか」からもすぐの所なので遺跡見学
娘撮影
田んぼや住居の再現が素晴らしく 実際に火起こしも見せてくれました
一通り見てちょうど予約の時間
念願のハンバーグです♫
息子は何度か訪れている「さわやか」
噂に違わず美味しかったです♫
帰りに入口で見つけた炭の豆知識
前回の旅ブログでも書きましたが やはり当時の仏教とは 最先端の文化 技術を学ぶということとセットだったのだと今回も知ることが出来ました
「さわやか」サンキュー♫
そして高速道路に戻る前に是非とも寄っていただきたい場所が。。
滅多にこない静岡市
是非ともマンホールカードゲットです!
休日の庁舎には休日用の入口から入ります
「あのぉ マンホールカードを。。」
「はぁい!こちらになります♪アンケート答えて頂けますか?は〜い!お疲れ様です♫どうぞ〜!お気をつけて〜♫」
と 満面の笑みでマンホールカードを渡して下さいました♫
なんだかマンホール愛を共有出来たようで こういう時 本当に嬉しくなります(笑)
徳川家の葵の御紋に因んで公募で選ばれた市の花「タチアオイ」
真ん中には静岡を表す「S」が描かれています
こちらは庁舎前にあったカラーマンホール
徳川家康顕彰四百年のカラー消火栓蓋
三保の松原 徳川家康をまつっている久能山東照宮 駿河湾が描かれていて お目出度い一富士二鷹三茄子もあり トドメは「家康公が愛したまち静岡市」という文字まで書かれています
盛り沢山です(笑)
こちらは仕切弁
駿府城の巽櫓(たつみやぐら)が書かれています
ちびまる子ちゃんやエスパルスなどなど他にもたくさんの種類があって静岡のマンホール なかなか興味深いです!
が
そろそろ本気で帰らなければ今日中に家に到着しません(笑)
帰り道 名古屋通過
ここは前に一度電車で「リニア 鉄道館」に行ったことがある場所で確か工場群があったはず
ということは。。
見えました!
工場夜景♫
運転は主人の担当だったので 工場夜景好きの娘と写メを撮りながら通過しました
今この時間にも工場は動いていて
それを動かしているのは人で
危険な作業を高度な知識と経験を持って
安全第一で私達の暮らしのために何かを作ってくれている
そのことに畏敬の念と感謝
そして単純に「美しい!」と思う気持ちで眺めながら走り抜けました
降りそうな雨も なんとかうまくすり抜けて無事に帰阪 到着です
お疲れ様でした~♫
今回は引越しがメインだったので 東京でお土産は買えず
途中のパーキングエリアでこんなものをゲットしました
この干し葡萄は先日アップした「ラムレーズン」になりました♫
バニラアイスと混ぜて 食後のまったりタイムに美味しくいただいています
息子はその後 毎日入れ代わり立ち代わり友人たちと別れの宴をハードにこなし やっと4月1日 東京に一人出発
駅まで送る車での道のり 泣いちゃうかもって思っていましたが
義母と義父の寂しげな「行ってらっしゃい」に私までしんみりも出来ず いつもと変わらぬ「行ってらっしゃい」になりました
あ
ちなみに本人は5月のゴールデンウィークに帰ってくる気満々です(笑)
そのうちわが家の大仕事 「田植え」もあります♫
そう簡単に 家族の絆が切れないようになっているのがわが家の辛いところ?(笑)
離れてやっぱり寂しいけれど 長男のこれからを 本人と同じワクワクの気持ちで見守っていきたいと思います