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近鉄3日間乗り放題 3日目 橿原神宮 神武天皇陵 今井町


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近鉄乗り放題の旅 3日目は

橿原神宮 神武天皇陵 考古学博物館 今井町です!

早速黄色のポストが気になりますよね(笑)

この「橿原神宮前駅」前のロータリーにある黄色のポスト

鉄道が好きな方ならばご存知の方も多いのではないでしょうか

こちら

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そう 日本最南端に位置する小さな無人

JR「西大山駅」前にある黄色いポスト

他にも大阪北港 宮崎高千穂などにもあります

ここ橿原神宮前駅の前にある黄色いポストは

平成28年10月に橿原市 宮崎市との姉妹都市盟約締結50周年を記念して設置されました

さて 

どうして宮崎市と奈良の橿原市姉妹都市提携を結んだのでしょうか

それが今日のテーマ

「日本の始まりのお話」

と繫がってくるのです

それは宮崎から日本を統一するために奈良へと向かった初代天皇 神武天皇のお話

奈良時代(710〜794年)に編纂された古事記日本書紀(合わせて「記紀」という)に初代天皇として神武天皇のお話が記されています

最初の天皇とされる神武天皇は 天照大御神(アマテラスオオカミ)の五世孫であり 高御産巣日神タカミムスビノカミ)の五世の外孫であると書かれています

天照大御神(女性とされている)自体は神話の神様 

記紀によると

神武天皇

(まだここでは天皇ではありませんがわかりやすいように神武天皇と表記します)

の一行は 船で兄弟らと共に今の宮崎県高千穂から 国を一つにするべく各地を周りながら瀬戸内海を通って東に向かい 

大阪の東大阪あたりから生駒山を越えて奈良に入り当地の豪族 長髄彦ナガスネヒコ)と戦います

しかし 神武天皇長髄彦との戦いに敗れてしまいます

「負けたのは日の御子と言われる我らが 太陽に向かって矢を射たからだ」

として 一時退却

兄を亡くしながらも もう一度 

今度は太陽を背にするべく半島をまわりこんで和歌山に向かいます

和歌山県の熊野に上陸し 

光り輝く山を見つけ探り当てたのが

那智の大滝

その大滝を御神体として祀ったところ 

八咫烏(ヤタガラス)の導きにより

大和の地(奈良)に辿り着いたのでした

吉野から宇陀へ

そこからさらに当地の豪族達と戦い勝利して

前回敗れた長髄彦と再度対戦

この戦いに勝利したことで

橿原畝傍山の麓(現在の場所とされている)

に「橿原の宮」を建て

神武天皇を頂点に国を一つにまとめ 

それまで各地の豪族たちがそれぞれに支配していたバラバラの日本を 

日本の国として統治していくことになります

(地名はすべて今の表記)

つまり この「日本の始まりの話」がもとになり 

宮崎市橿原市姉妹都市提携を結んでいる

ということ

で 黄色いポストとなります♫

その神武天皇が亡くなり 葬った御陵

(みささぎ お墓のこと)

の場所が 今の神武天皇陵あたりであろうということでこの地に

神武天皇陵」と

神武天皇とその妻を祀る「橿原神宮」が作られて現在に至ります

このあたりであろう やら

現在この地とされている

ってどゆこと?

橿原の宮やら神武天皇陵って場所がハッキリしてないの?

と思いますよね

そうなんですって!

そもそも神武天皇自体126歳まで生きたとされる人物

父は天照大御神という伝説上の人物で 神話の域を出ません

とはいえ

初代天皇とされる人物

平安時代までは 神武天皇陵は場所が特定されていて 

延喜式

(えんぎしき 平安時代に編纂された役人のマニュアル的なもの)

には

畝傍山の東北陵」と書かれています 

しかしその後 国が乱れ 時代が進むにつれ所在が不明となります

江戸時代になりやっと場所の特定が始まり 

明治の世で天皇の神格化が進むにつれ

橿原神宮創建の請願が多数の民間の有志から寄せられました

当時の知識人による場所の特定も進み

今の橿原の地であろうということになり 

明治天皇の勅命を受けて 

1890年(明治23年)に官幣大社として

橿原神宮」が創建されました

長い間所在不明だった「橿原の宮」の場所が特定されたことで 

昭和31年地域の6町村が合併して「橿原市」が発足

その後 順次編入され今の橿原市のカタチとなりました

キチンと祀られるようになったのは

そんなに近世の出来事だったんですね 

ちょっと意外でした!

さてさて

そんな橿原神宮にお詣りするためにつくられた「橿原神宮前」駅

恒例の「駅愛でタイム」といたしましょう♫f:id:habbule-no-neko:20230523225411j:image

ちょっと面白いのは

この駅の名前の変遷

出来た当初からこの駅名 ではなく

また駅も一つではなくいくつかの路線にそれぞれ駅があったのが合体して 今のカタチになりました

その変遷の過程で駅名が変わり 一時

橿原神宮駅」駅(えきえき)

という駅名だったことも。。

ネーミングのセンス です(笑)

さて

大阪からこちらの駅までは 近鉄乗り放題旅2日目で乗った大阪阿部野橋駅から出ている南大阪線に乗ってやって来ました

橿原神宮前駅は 近鉄の中でも主要なターミナル駅となっていて

橿原線南大阪線吉野線が合流する駅です

なので 駅ナカの通路がやたらと広い!

真ん中に広告スペースとして利用している柱が立ち並び その周りに広い通路が設けられています

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見るといくつかお薬の会社の広告が。。

実は奈良は 「大和(やまと)」と言われた時代から薬作りが盛んな地

古くは古事記 日本書紀にも記された推古天皇の薬猟(くすりがり)や

金剛山などで修行をした役小角(えんのおづぬ)の薬草利用

奈良の寺院での薬づくりや薬草園の整備

全国各地に届ける配置薬の販売など

古(いにしえ)の時代より 人を癒やす薬を研究し作り続けてきた土地なのです

なるほどねぇ

とフムフムしながらも私が今日一番見たかったのはこちら!!!

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線路にご注目♫

日本でも珍しい「四線軌条」です!

ヨンセンキジョウ?

とハテナの浮かんだ方 

安心して下さい 

皆さんそうおっしゃいます(笑)

四線軌条とは 

線路が同時に4本並んでいるもののこと

なぜ4本必要なのか

少し説明が長くなりますがお許しを。。

世界には色んな幅の線路がありますが

主に日本では

標準軌」と言われる線路の幅が1,435mmのものと

狭軌」と言われる線路幅が1,067mmのものがあります

標準軌と言われている方が世界で最も使われている線路幅(線路幅を「軌間」という)

それに対して狭軌は 標準軌よりも狭い幅の軌間のものを言います

そもそも日本に鉄道を走らせようとした明治時代 

最初に設定した軌間は「狭軌」でした

当時指導を受けていたイギリスの技師から「日本は狭軌がよい」とされたからです

狭軌は 敷設のためのコストが安くすむ

山岳地帯が多い土地に適している

などメリットもありました

それを聞いて納得した当時の大隈重信

日本は狭軌にしよう!

と建設を始めたのです

しかし

標準軌には 速いスピードでの走行が可能

などのメリットもあったため 

後に走らせる新幹線やいくつかの私鉄は

標準軌」で軌間を設定

そのため同じ日本の中に標準軌狭軌が混在することになったのです

これの何が問題かというと

線路の幅が同じだと線路さえ繋げば他社間で電車の乗り入れが可能となり すべての線路をつなげてより遠くへの移動が容易になります

例えば大阪梅田駅と山陽姫路駅を結ぶ直通特急

阪神本線 - 阪神神戸高速線 - 山陽電鉄本線の3路線を直通運転して この3路線を乗り換えなしで結んでいます

これに対して

違う線路の幅では電車はそこでストップ

人は駅で降りて乗り換えなければなりません

電車が違う軌間の線路を走ろうとすると

電車の車輪のついている部分(台車)を取り替えて軌間を合わせてから走行するなどしないと 違う線路幅の路線を走ることは出来ないのです

それでは不便ということで

「フリーゲージ」や「三線軌条」というものが開発されることになりました

しかし フリーゲージは技術的に課題があり未だ実用化されていません

三線軌条はその名の通り 線路三本で幅を調整するというもの

え!それでいいじゃん♫

と思いますが 確かに四線軌条よりは線路の本数が少なくてメンテナンスが簡単というメリットがある反面

それでもやはり普通の線路に比べると複雑なメンテナンスとなります

そして降雪地域では複雑な形状から除雪作業が難しいことや 

何より電車の中心軸がズレる

というデメリットもあります

秋田新幹線の一部区間他 いくつか使用されている場所もありますが 三線軌条で問題はすべて解決!とはいかないようです

まぁとにかく

最初に狭軌を採用したことで 様々メリットデメリットがあって

今の混沌とした日本の鉄道網が出来上がっている ということなのです

で 近鉄はどうなっているのかというと

大阪阿部野橋駅から出ている南大阪線系統は狭軌

それ以外は標準軌となっています

なぜ南大阪線狭軌なのかは

南大阪線の路線の成り立ちがそもそも国鉄の貨物路線に乗り入れるつもりで作られたから

国鉄(今のJR)は狭軌採用だったため 自ずと狭軌となりました 

橿原神宮前駅では 南大阪線狭軌橿原線標準軌がどちらも乗り入れているため

狭軌の車両を点検作業などで 標準軌道にある五位堂(ゴイドウ 奈良の地名)の検査場に持っていく際必要となる

台車部分をはきかえるための「台車振替場」に この四線軌条があるのです

ん〜!説明が長いっ

申し訳ありません(汗)

でも これでここに四線軌条がある理由がお分かりいただけたことと思います

フゥ! 難しいお話が続いたので

次は しばし

美しい橿原神宮前駅のお写真を楽しむことといたしましょう♫

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中央口の駅舎は 建築家 村野藤吾の設計

初代の大阪新歌舞伎座の設計などで有名な方です

第1回近畿の駅百選にも選ばれました

実際見ると 迫力がスゴイ

外観は なかなかの威圧感です(笑)

しかし 一歩中に入ると改札前広場には

様々に装飾がなされ 奈良ならではの

たおやかな優美さを感じさせます

駅百選に選ばれるのも納得です

この優雅な駅から 橿原神宮へと向かいます

早速道を歩いていると 見つけましたf:id:habbule-no-neko:20230529223426j:image

橿原市の消火栓♫

消防車の右上にある市章は 

金鵄(金のトビ)の意匠

神武天皇の弓弭(ゆはず(弓の端))に止まって光り輝き 長髄彦の兵を追い払った鳶(トビ)に因んだものです

そうなのね と眺めつつ 駅から歩いて10分ほどで橿原神宮の入口に到着です

入口で すでに立派!

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何もかもが広くて巨大です

その広い広い参道を歩いて進んでいくと 

いくつかの鳥居をくぐってたどり着くのがこちら

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この一般の参拝所の奥に

さらに広い神域が広がっていました

橿原神宮

日本の初代天皇である神武天皇

皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命

ヒメタタライスズヒメ

を祀るために明治23年に建てられました

今でも皇族の方々が参拝される 

格の高い神社です

大きな絵馬が有名で 関西ではよく年末年始のニュースで見かけます

初代天皇をお祀りしているということで

建国記念日(2月11日)の紀元祭にはたくさんの街宣車でたくさんの右翼の方々が集まり その光景はユーチューブなどでも様々アップされていますので 興味ある方はそちらをどうぞ

ところで 建国記念日ってどうして2月11日なんでしょう

日本は歴史が古く ハッキリこの日から日本建国の日ということはわからないのだけれど 

「日本の建国をしのぶ日」としてこの日が制定されているとのこと

そのよすがとして 

古事記日本書紀神武天皇の即位日として記されているのを 

現在のグレゴリオ暦に置き換えて推測した日として2月11日が制定されているとのことです

そうだったんだ 知りませんでした(笑)

本殿にお詣りをした後 入ってきたのとは違う鳥居をくぐって 次は神武天皇陵に向かいます

歩いて10分ほどの場所にあり みなさんだいたいセットでお詣りをされるようですf:id:habbule-no-neko:20230530154023j:image

とても長閑で静かな場所

入口からわりと歩いて御陵(みささぎ)に到着するつくりとなっています

入ってすぐのところにある宮内庁からの禁止事項

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御陵手前にあるお堀のような川を橋で渡って御陵に向かいます
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この川の部分は あの世とこの世の境目を意味しています

なので 厳かな気持ちで渡りますf:id:habbule-no-neko:20230530154205j:image

今はこの場所が神武天皇陵とされていますが

元禄10年(1697年)には現綏靖天皇陵(スイゼイテンノウ)の場所が神武天皇陵であると治定されていました

166年後の文久3年(1863年)に現在の地であると治定変えとなり整備されていくことに。。

この場所は「ミサンザイ」と呼ばれ

ミサンザイ古墳やニサンザイ古墳と呼ばれるものは「ミササギ」が転訛したものであり

高貴なお方のお墓であるとのことです

さて

お詣りを済ませ 帰りは近鉄「畝傍御陵前」駅に向かいます

その途中にあるのが橿原考古学研究所 付属博物館
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すでに入口前のお庭には たくさんの展示があります

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中にはたくさんの展示があり 説明も丁寧に書いて下さっています

ただ 歴史を学ぶというよりは 発掘に重点をおいた展示内容で 出土品がズラリ!

発掘好きにはたまらない空間となっています
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この博物館の出口には御多分にもれずショップコーナーがあり ガチャガチャが置いてありました

埴輪 壺などの埋葬品数種類のうちどれかが当たる!

というもので 

私は大好物の埴輪「遮光器土偶」を是非とも当てたかったのですが 残念ながら出てきたのは「埴輪 男性」でした


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悔しい想いを胸に駅へと向かいます(笑)

「畝傍御陵前」(ウネビゴリョウマエ)駅

こちらも奈良県民には普通ですが その他の地域の方には 難読駅名ですね!
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ここも立派な作りの駅舎ですf:id:habbule-no-neko:20230513221312j:image

電車は出たばかりのようでしばらく待ちます

ふと駅舎の屋根を眺めると ん?なんか屋根瓦の色がバラバラ

もしや。。と主人を待合室に残し 

乗り放題チケットを使ってもう一度改札を出て 地上の駅舎正面に回り込むとこんな感じ

正面から見るとハッキリと屋根瓦の色がマチマチなのが分かります

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おお!これは長い時を経て屋根瓦を修理交換してきた証

大切にされている駅舎なのだなぁと ニヤニヤしながら もう一度ホームに戻りました(笑)

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ホームも懐かしい感じの鉄骨で作られていて

天井にはリベット打ちと思われるものも残っています

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美しいホームでした♫

さて近鉄橿原線に乗って元の橿原神宮前駅に戻りました

まだお昼ごはんをいただいていないのでお腹ペコペコ

駅ナカで主人と気になっていた粉もの屋さん「粉もん屋 八」でランチです♫

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こちらでは 焼きそば お好み焼き たこ焼きをいただきましたが一番のオススメはこのたこ焼きでした!

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いろんな味があって 私はごま油と醤油味が好きでしたが 二人共結局 おソースが一番美味しかったね という結論に

ご馳走様でした♫

お腹を満たし 帰るには早いし と

主人に

今井町にマンホールカードもらいに行ってもいいかなぁ(モジモジ)

とおねだりして 

今井町へ行くことになりました

なんとなく決まった今井町見学 でしたが

しかしこれが今日イチの素晴らしい場所で 一番の思い出となりました!f:id:habbule-no-neko:20230513221830j:image

まずは橿原線で「八木西口」駅へ

出口からすぐ 駐輪場発見

昔の今井町の町並みをイメージして作られた素晴らしい駐輪場です
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よく調べもせずに立ち寄ったので ちょっと町の本気度に圧倒されます(笑)

マンホールカードもらいにきただけなのに 結構スゴイね。。

と 少し居住まいを正して こちらも観光本気モードに
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今井町は戦国時代 一向宗の布教拠点として称念寺が作られ その周りに町を作る寺内町として形成されました

しかし越前一向一揆を抑え込もうとする織田信長と対立

その後 本山である石山本願寺織田信長に和睦を申し入れて戦う理由を失った今井の町は 堺の豪商を通じてとりなしを受けます

その後 商工業都市として発展していき

「大和の金は今井に七分」

「海の堺・陸の今井」

と称されるほど隆盛を極め

幕府からも一目置かれ

他にない自治的特権を与えられるほどの隆盛を誇った町でした

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ここは「華甍」(はないらか)

明治36年(1903)に高市郡教育博物館として建設された建物で

昭和4年(1929)から30年間は今井町役場として利用されていた建物です

念願のマンホールカードはこちらの受付で配布してくれています♫
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中はとてもモダンな造りになっていて 今井町の歴史を解説してくれています
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さていよいよ念願のマンホールカード♫

受付に立ち寄り ワクワクの笑顔で

「マンホールカード頂けますか?」

とお伝えすると 

「あ、はい どうぞ」

と笑顔でカードを下さいました

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「ありがとうございますぅ!(やったぁ♫)」

という私の表情を見た隣にいらした係の方が

「マンホール お好きなんですね(笑)」

「はい♫ スキ なんです(ニヤニヤ)」

と応えるとそれなら是非コレを見ていってと

今井町のマンホールトリビアを教えて下さいました

そのトリビアとは

よその市のマンホールが一つ 今井町のマンホールと交換されて設置されている

というもの!

今井町は その素敵な町並みから映画やドラマの撮影が数多くなされてきました

有名なのはお茶の伊右衛門のCMや朝ドラ「ごちそうさん」などなど

その中で金魚を題材にした映画が撮影されたことがありました

奈良で金魚といえば かの有名な「大和郡山市」です

大和郡山市は300年もの金魚養殖の歴史を持つ日本でも有数の金魚の産地

町は金魚で盛り上がっており 様々な金魚モチーフが町を賑わしています

レアなところでは公衆電話ボックスで金魚が泳いでいる というものもありました

ニュースで見たときにはビックリしましたが

その後 著作権侵害の裁判をおこされて今はどうなったのかしら

撤去されているかもしれません

そんな大和郡山市のマンホールはもちろん!

「金魚」

その映画を撮影した際 道路にあるマンホールの蓋を 大和郡山市のものと今井町のものを交換したらしく 実は今も残されたままになってるんですよ

とのこと!!

交換なんて そんなレアなことがあるんですか?

とビックリ

どどど どこですかそれはっ!

と興奮気味に場所をお伺いして 係の方も嬉しそうに教えて下さいました♫

寺内町を マンホール探して歩きます

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ありました!これは今井町のマンホール
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中央に牛や馬を繋ぐ金具の駒つなぎ

周りに屋根瓦が描かれています
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こちらは今井の町並み
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今井町の町並みマンホールと今井町の町並み

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このような町並み保存地区で一番こわいのは火事です

その為防火意識が高く 各家々に消火用の設備がありました

お家によっては 可愛らしく絵が描かれているものも♫
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そろそろ この辺りだけれど。。

と探していると

♫あったぁ♫
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しっかり「やまとこおりやま」の文字が。。

気持ち良さげに 今井町の町を大和郡山の金魚が泳いでいます!

しばし感動(笑)

ひとしきり写メをとり ちょっと休憩しようかと お店へ
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「ももや」さん

中にはお店の方の趣味の品がたくさん飾られていました
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町並みを眺めながらいただけます
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主人はソフトクリーム

私はかき氷をいただきました

自家製のシロップが本当に本当に美味しくて!

幸せ〜な気持ちで帰路につきました♫

はぁぁ♪

今日は一日 盛りだくさんでした(笑)

これで私達の近鉄3日間乗り放題旅のお話はおしまいです

長々とお付き合い下さり

本当にありがとうございました

私にとって大変学びの多い 

素敵な3日間となりました♫

近鉄路線 奥深し!

また乗りに行きたいです♫