美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

マグロを買いに 和歌山へ


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和歌山にマグロを買い出しに行きました

以前 和歌山1人鉄旅をした時 

JR和歌山駅横にある近鉄百貨店で お土産がてらマグロを買って帰って

その美味しかったこと!!

650kmの海岸線を持つ和歌山では 95の漁港があるそうで その中でも

和歌山県那智勝浦町にある勝浦市場では

クロマグロ」「メバチマグロ」「キハダマグロ」「ビンチョウマグロ」の4種類のマグロが水揚げされています

マグロが一番脂がのって美味しい季節は冬

12月から2月らしいのですが 旬に限らず

クロマグロ以外は 一年中水揚げされるようです

漁の方法は延縄漁法(はえなわぎょほう)

古事記」や「古今集」にも記されているそうで 古来から伝わる漁法です

幹縄(みきなわ)と呼ばれる一本の太い縄からたくさんの枝繩(これを延縄(はえなわ)とよぶ)を垂らし その先に釣り針とムロアジ イカ マイワシ サバなどの餌をつけて釣り上げます

釣り上げたマグロは 一本一本丁寧に活け締め処理されて 船内において凍らせないように冷水保存(氷温)を行うことで 新鮮な生の味わいと食感 美しい色味を損なわずに水揚げ出来るそうです

たくさんの知恵と工夫によって美味しくいただける和歌山県のマグロ

晩ごはんにたっぷりいただきましたが ウッカリ写真を撮らずに食べちゃいました

スミマセン(汗)

けれど マグロだけじゃない!

今回の旅は サウナ 魚定食 観光 マンホール!も楽しんできましたので 和歌山の歴史と魅力をたっぷりご紹介します♫

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まずはマンホール

マンホールをみれば その土地がわかります

小さいですが真ん中に書かれているのが和歌山市の市章

まわりの三角は三方山に囲まれた和歌山を表しています 

飛び出す矢印は山を貫く市民の力を表し 和歌山市発展の勢いを表現しているそう

中央には図案化した和の文字が書かれています

そう 和歌山県は宇宙から眺めるとほぼ山

和歌山市のあたりと紀の川沿い そして延々と伸びる海岸線にチラホラと町がある程度で あとはほとんど山 また山です 

しかし周りを海に囲まれ大きな川もある土地

15000年から25000年前(旧石器時代)には人が住んでいたようで石器などの史料が発掘されています

そういえば以前 「近鉄の旅」でご紹介した 日本最初の天皇とされる神武天皇のお話で

宮崎県から海を渡って奈良に攻めいった際に 一旦大阪から入って反撃にあい グルっと海を回って和歌山の那智の滝あたりから奈良に攻め上がった話をご紹介しました

神話の時代とよばれますが やはり古くからこの地には人が住んでいたのだということになります

さて 紀伊国(きいのくに)は かつて「木国」とあらわされていたようで 古代の都(平城京 平安京)に木材を供給していた歴史を持ちます

また大切な宮中の儀式にアワビなどを献上していたこともあり 歴代の天皇は貴族などを引き連れて海を見に和歌浦まで訪れており

その際に詠(うた)った和歌などが 現在にも伝えられています

次第に朝廷の力が衰えてくると 寺社や貴族の力が強くなり荘園が形成されていきます

戦国末期になると 紀ノ川下流域の土豪や有力農民らが「雑賀一揆」(さいかいっき)として地縁的な組織を形成します

様々な戦を経た後

紀伊国を平定した豊臣秀吉の命により

1585年 和歌山城が築かれます

1600年 浅野幸長(よしなが)が城主となった折に城下町などが整備されていき

1619年 徳川家康の第十男 頼宣(よりのぶ)が城主となると徳川御三家のひとつにふさわしい居城とするため ますます城と城下町を広げ お城も立派なものとします

頼宣を祖とする紀州徳川家からは

五代藩主 吉宗が八代将軍

十三代藩主 慶福(家茂)が十四代将軍

となり 確固とした地位を築きます

そんな和歌山県

江戸後期には全国第8番目の近世都市に発展し 紀州徳川家表千家とのご縁により茶道文化が花開き 国学者本居宣長(伊勢の松阪出身だが当時 和歌山藩が統治していた)や日本医学を発展させた華岡青洲が輩出されました

山と海に目がいきがちな和歌山県ですが

実は温泉もたくさん 

泉質が濃いものなら「花山温泉

天然の川で入る「仙人風呂」

波打ち寄せる「崎の湯」など

ありとあらゆるタイプの温泉があります

今回は時間の関係で 和歌山市内のスーパー銭湯「きらくゆ」さんへ

施設は古いけれど水風呂は水質もよくサウナも広くてアツアツ

L字型で3段高さを選べるサウナは場所によって温度が違うのでいろんな組み立てができます

何より外気浴が最高!

水風呂でアツアツの体を芯まで冷やしたら

トトノウのは お外にある露天風呂

露天風呂の縁で足だけお湯に浸かると 

少し離れた海からの風がびゅうと体を包むように撫でてはゆき 撫でてはゆき

テレビに映る高校野球の地方大会の声援を

目を閉じて聞きながら 「あまみ」たっぷりの体で整いました

「あまみ」

富山の方言から言うようになったサウナ用語

サウナで熱くなった身体を水風呂で冷やした時に皮膚にでるまだら模様の血管の状態です

さて 2時間たっぷり楽しんで

お腹ペコペコにして向かうのは

「WAKAYA津屋」

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こちらはいつも行列の絶えないお店です

和歌山の美味しいお魚を焼いたり煮たりお刺し身いろいろにして食べさせてくれます

ご飯は釜炊きご飯

お料理の味付けが絶妙で 濃くなく薄くなく他県だけれど醤油などの違いによる違和感もなく本当に美味しい!

新鮮なお魚の味はもちろん

お漬物も 一品料理も お味噌汁も何でも

すべてが美味しいお店です

入店受付が2時までなので 必ずそれまでに到着して入口の紙に名前を書いて下さい

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主人はアジのフライ

私は鯛の塩焼きを頼みました

一番美味しい頬のお肉は左右を2人でシェアです
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途中で「よければどうぞ」とおこげを持ってきて下さいました
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はぁ美味しかった♫お腹いっぱいです

ご馳走さまでした!

さてさて ご飯をいただくのに1時間ほど待ったので その間に次に行く場所を相談していました

すぐ近くに「鹽竈神社」があるとのこと

ん?ナンテヨムノ?

と調べてみるとどうやら「しおがまじんじゃ」と読むらしい

しかも全国に「鹽竈神社」なるものがあり

ビックリ!

和歌山県鹽竈神社はすぐ横にある玉津島神社の祓所として浦中にある洞窟に社を設けたらしく大変古くからある神社

地図でみるとこんな感じで 片男波海水浴場裏の入江に当たる場所にありますf:id:habbule-no-neko:20230717151053j:image

ちなみに

この「片男波」という地名は当て字

万葉集に載っている山部赤人の和歌

「わかの浦に 潮満ちくれば潟を無み 芦辺をさして 鶴鳴きわたる」

の中の「潟を無み」から「片男波」という字が当てられ地名となりました

和歌の浦に潮が満ちれば干潟が無くなるので葦の生えている辺りを目指して鶴が鳴きながら飛んでいくよ」という意味のうたです

和歌の浦は 和歌の世界では歌枕としてよく使われている場所

歌枕とは多くの人が和歌によみ込んだ名所のことです

当時は潮の満ち引きにより干潟が現れたり消えたりするような場所で 時間によって現れる様々な景色が大層美しかったそうです

現在もその歴史ある美しさから文化庁から「日本遺産」として認定されています

まずは玉津島神社の駐車場に車を停めてお詣りします

鹽竈神社玉津島神社とセットでお隣同士なんです

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玉津島神社

このあたりは玉出島ともいわれた場所で 海から玉のようにいくつも島山が点在していたような所 たいそう美しい場所だったようです 社傳によれば

「玉津島の神は、〝上つ世〟より鎮まり坐る」とあり もう全然わかんないくらい大昔から神様がいらした ということ 

いかにこの場所が 遥か太古の昔から人々に何か神聖なものを感じさせるほど美しかったかということを教えてくれます

御祭神は

稚日女尊(わかひるめのみこと)

息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

衣通姫尊(そとおりひめのみこと)

明光浦霊(あかのうらのみたま)

神社のホームページによると

「玉津島が初めて文献に登場するのは奈良時代 神亀(じんき)元年(724)の聖武天皇の玉津島行幸」とのこと

その際 共に随行した歌人山部赤人の歌が「万葉集」に収められ 都人の憧れの地となり 和歌三神(わかさんじん)の一柱(はしら)である衣通姫尊(そとおりひめのみこと)が祀られているために 以降様々な天皇 貴族などが和歌を奉納して 高貴な人々の一大観光地として また和歌の聖地としての地位を築いていきました

当時の玉津島神社の社殿については不明ですが 

江戸時代初め 紀州を統治した浅野幸長(よしなが)により社殿が再建され

1992年(平成4年)老朽化したその社殿を 篠田さんと仰るご夫婦と多くの市民の浄財で全面修復し 現在にいたります

境内には涼やかに風鈴が吊ってあります

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立派な根上り松が祀られていました

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地層がむき出しの地形

海底の隆起によりいくつもの島が生まれたのだろうことがみてとれます

岩と松が一体化して辺りにある景色がまた 美しい

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鳥居を出るとすぐに河口がありすぐそこは海

遠くにかかっているのは不老橋です

この橋は徳川家にご縁のある橋

徳川家を祀る紀州東照宮が近くにあり

そこで行われるお祭りに「和歌祭」というお祭りがあります

江戸時代1622年から始まった「和歌祭」ですが

片男波の松原にあった御旅所(祭礼の時に神輿を本宮から移してしばらく安置する場所)

が移築されることになり

徳川家や東照宮関係の人々が通行するために1851年にこの橋が架けられたとのこと

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石橋のアーチ橋は九州以外で見られるのは珍しいそうです

彫刻も立派で富と権力 そして信仰の厚さが伺えます
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すぐ隣にはかつての船着き場らしいものも

潮位が変わっても船をつけて人や荷物を上げられるように階段があります
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不老橋のむかいが鹽竈神社です

岩と松が一体化した山 
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鹽竈神社」(しおがまじんじゃ)

御祭神は

塩槌翁尊(しおづちのおじのみこと)

祓戸大神四座(はらへどのおおかみよざ)

 

鹽竃神社は 玉津島神社のすぐ隣にあり

海の風などにより岩が侵食されてできた岩穴に 御祭神を祀っています

この場所はかつて「輿の窟」(こしのいわや)と呼ばれ 玉津島社の祓所(はらえどころ きよめる場所)であった場所

紀の川の上流にある天野丹生明神(現在の丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ))の神輿が 玉津島社へ渡御される「浜降りの神事」(丹生都比賣神が玉津島稚日女神を表敬訪問される神事)の折には 先ずこの輿の窟へ渡らせられ 一晩安置してから玉津島神社に巡幸されていたようです

この浜降りの神事は鎌倉 室町時代に行われていましたが 途中途絶え 現在では丹生都比賣神社で「花盛祭」(はなもりさい)として引き継がれています

主祭神である

塩槌翁尊(しおづちのおじのみこと)は

古事記」の神代の話として

「海幸彦 山幸彦」の神話に登場します

このお話どっかで。。

と思い出して 

そういえば以前 出雲大社を訪れた際に聞いた話だったことを思い出しました

神話には様々神様が登場しますが

皇室の始まりである神武天皇は 

神話「海彦山彦のお話」の山彦と豊玉姫の息子 

その息子と豊玉姫の妹・玉頼姫との子である

ということになっているのです

ここで少し「海彦山彦の神話」をご紹介させて下さい

神武天皇からすると「祖父母」の出会いのお話です

「海彦山彦の話」

神話の時代

海で漁をする海彦と山で狩猟をする山彦という兄弟がいた

ある時 弟の山彦が兄の海彦に 「ちょっとだけお互いの道具交換しようよ~」と持ちかける

「え〜ヤダ」と海彦に3回断られたが なんとか交換してもらい 山彦は喜んで海で釣りをしたが その釣り針を魚に引っ掛けられてなくしてしまう

「兄ちゃんゴメン」と謝ったけれど許してもらえず

「今すぐ俺の釣り針取ってこい〜!」

と言われてしまう

途方にくれていると他の神様がやってきて「それならこの小舟に乗って綿津見神(わだつみ 海の神様)のところへ行っといで〜」と教えてくれ送り出してくれる

小舟に乗って到着した山彦はそこで豊玉姫と出会って3年ほど楽しく暮らす

3年経って 突然

「あ!!忘れてた オレ釣り針探してたんだった」

と思い出した山彦

え そうなの 皆の衆釣り針を探すように!と海の神がおふれを出すと赤鯛がやってきて

「3年前から喉に引っかかって取れないんですぅ」

と申し出る

あ〜ソレソレ!それ探してたんだよねぇと やっと見つけた釣り針をもって 山彦は陸へと戻る

その時 豊玉姫は3年ぶりに会う海彦に針を返す時の渡し方と その後起こるであろうことを予言して対処方法を伝授

その通りになり お兄ちゃん怒ってたけど弟の山彦に屈する形でなんとか治まる

はたまた 海で懐妊していた豊玉姫はワニ(短い龍)に乗って海をいき 子どもを産むために陸に上がる

出産するための小屋を作りかけるが途中で産気づいてしまい

「よそ者は子を産むとき本来の姿に戻るので絶対見てはなりませぬ」

と言い残して小屋に閉じこもり出産しようとする

でもそんな事言われたら絶対見ちゃうパターンで 山彦は覗いてしまう

するとそこではのたうちまわるワニの姿の豊玉姫が必死に子どもを出産していた

「見ましたね」

と言って 子どもを産むと その子を残し海に帰る豊玉姫

でも子どもが気になって豊玉姫の妹を遣わして歌を託し 山彦も歌を返した

というお話です

ちなみに 遣わした妹と 姉と山彦の間に生まれた息子が夫婦になって生まれたのが神武天皇ということですね

結構年上の奥さまということなのかしらん

ま それはさておき

海彦 山彦のお話

めちゃくちゃ聞いたような昔話が混ざりあったお話ですよね

浦島太郎 鶴の恩返し リトルマーメイドらへんがまとめられたようなお話になっています

で この中のキーパーソン

綿津見神んとこ行ってみたらいいよ」

と教えてくれた神こそ こちらの主祭神

「塩槌翁尊」であられるのです

恋のキューピッド的な♫

なので古くから安産守護・子授けの神・不老長寿・漁業豊穰・航海安全の神とされています

また鹽槌翁尊は 塩が人々の食生活に重要であることを説き 各地で塩の作り方を教えたともいわれています

その言われ通り この地では古くから製塩が行われ 大正後期まで続いたそうです

各地に鹽竈神社なるものが様々あるのは この塩槌翁尊が各地を回って製塩業を伝えたから

ちなみにこちらは回り始めて9箇所目

13箇所目で生命尽き その場所が鹽竈神社でも最も有名な「果ての鹽竈」と呼ばれている宮城県塩竃市にある志波彦神社鹽竈神社です

またもう一つのご祭神「祓戸大神四座」は

瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)

速開都比賣神(はやあきつひめのかみ)

速佐須良比賣神(はやさすらひめのかみ)

気吹戸主神(いぶきのぬしのかみ)

で すべての罪穢れを祓い清める神とのこと

神聖で霊験あらたかな場所とされていたことが伺えます

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岩の中の祠 やはり特別な風情があります

古より船から降りた様々な神職の方 高貴な方々 お渡りになった神々がこちらで清められました

私たちもお詣りをさせていただいて

玉津島神社の駐車場に戻ってきました

最後に 気になっていた道挟んで向かいにある小島を見に行きます

この島をみるとなるほど「玉津島」とはよく言ったものだと合点がいきます

玉のように浮かぶ小島

昔はこのようにいくつもの小島がポコポコと浮き出た素晴らしい景勝地だったのでしょう
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多分侵食されないようにかしら いくつものビニール土嚢で橋まわりが覆われていました
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土嚢側には水門もありました
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なかなかの歴史感じる場所だったね!

と主人と話しながらやっと今日の使命

「美味しいマグロを買いに行く」

の目的を果たしに行きます

目指すはJR和歌山駅横の近鉄百貨店

鮮魚コーナーです!!
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途中お城を眺めながら

和歌山城入口にある「和歌山歴史館」でしっかりマンホールカードをゲットしながらマグロへと向かいました

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和歌山市マンホールカード
私は最初メロンか何かかと思っていました(笑)

ミカンじゃなくて?

と思っていたところ 紀州手鞠でした

「てんてんてんまり てんてまり〜♪」

の童謡「手鞠と殿様」(そんなタイトルだったのね)

私たちの時代は女の子はこの歌でボールつきをして遊びましたが 娘に聞くと

「え 私は姉さん六角たこ錦♪よ」

と この歌は知らないそうです

時代。。

知らない方はユーチューブを是非

そういえばこの歌の歌詞に途中

紀州の殿様♪と出てきます

紀州で徳川家がいた頃 姫君たちに愛された手鞠は 町の女達が競って美しく作り上げた工芸品でした

が 作詞者の意図としては

雑誌社に「お正月用の童謡を作って欲しい」と言われ手鞠の歌を作った時に 

お正月遊びの手鞠や独楽・羽子板など

上手く出来た時のご褒美は みかん

みかんといえば 和歌山

和歌山といえば 徳川家

ということで 「紀州の殿様♪」と「てんてまり〜♪」をモチーフにした「手鞠と殿様」という歌に仕上げたようです

この歌に関しては途中

1年経っても戻りゃせぬ〜 3年経っても♪

グリム童話的な話もありますが 哀しい話なのでここでは触れません

和歌山県としては多分純粋に有名な童謡として選んだのだと思いますf:id:habbule-no-neko:20230717151552j:image
近鉄百貨店では 赤身と中トロを買いました
マグロの旬は冬と言われる通り 

赤身は 以前私が買った時とは少し違ったかなぁ 残念
前に買った時がベストタイミング過ぎて

人生最高のマグロだった記憶なのだけれど。。

でも やっぱり中トロは間違いなかった♫

和歌山県のマグロのポテンシャル 高めです

今度は絶対旬に!!

是非また買いに行こうと心に誓いました