美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

グリルドポーク 和風エスカルゴバターソース


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ご飯が止まらないグリルドポーク

エスカルゴバターがあれば特別なソースが作れます

味は特別!だけれど

使う調味料はいつものアレ

醤油 味醂 酒 砂糖だけ

和風にバターとガーリックの旨さを足して

フライパンについたお肉の旨味もプラスして

最強のグリルドポーク定食の出来上がりです

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☆レシピ☆

「グリルドポーク 和風エスカルゴバターソース」

(材料)4人分

豚肩ロースステーキ用 4枚

エスカルゴバター 40g

料理酒 80cc

味醂 80cc

鎌田のだし醤油(薄口醤油) 80cc

砂糖 大1

(作り方)

・豚肩ロースに塩胡椒する

(お好みですが私は胡椒は白胡椒をホールから挽いて使っています

黒もパンチがあって美味しいけれど白胡椒の風味と香りが個人的に好きです)

・フライパンに油少々ひいて熱く熱しジュッといわせてお肉を並べる

・お肉は触らず片面3分 裏返して2分焼いてバットに上げもう一つのバットで上から蓋をして寝かせる

買ってきたお肉の厚さにもよるのであくまで参考まで。

実際の焼け具合に合わせて調整して下さい

お肉はなんでも表面を香ばしく焼いてバットに入れて蓋をして余熱で中心まで火を通すと中が柔かくジューシーに仕上がります

が ちゃんと火を通さないとレアでは食中毒の原因になります

我が家ではお肉は切って確認してサーヴし レアなら焼き直し

特に豚や鶏は要注意です

けれど余熱で柔かく火を通したお肉は旨味たっぷり柔かくジューシー!

とても美味しいです

あ フライパンは洗わずにそのままで。

フライパンに残った旨味をソースにします

・お肉を寝かせている間にソースを作ります

フライパンのお肉の香ばしさが残っているところにエスカルゴバターを入れて底に残った旨味を溶かして料理酒 味醂 鎌田のだし醤油 砂糖を入れてアルコール分を飛ばしながら全ての旨味をこそぎ溶かしてソースにするf:id:habbule-no-neko:20240909134918j:image
エスカルゴバターの作り方はバター パセリ ニンニクをミキサーするだけ

詳しくはブログ内の検索欄で「エスカルゴバター」で検索して下さい

・お肉が落ち着いたらカットしてお皿に盛り上からバットに残った肉汁をかけバターソースを回しかけてボナペティ!

幼稚園お弁当の思い出  レバーペーストサンド


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当時のお弁当箱とともに。

幼稚園は息子 娘共に毎日お弁当

その後息子は中学の3年間

娘に至っては高校卒業まで毎日お弁当でした

少しでも美味しいものをと試行錯誤の毎日

なかでも幼稚園の頃

私のお弁当作り初期に子どもたちがお気に入りだったメニューがクッキー型のお人形の形で抜いたレバーペーストサンドです

これとスップリ(トマトソースのライスボールコロッケ)甘い胡麻油の玉子焼きなど入れて持たせていました

お弁当作りでずいぶんお料理のレパートリーも広がったような気がします

スップリは前の晩に仕込んでおくと

朝からは揚げるだけのスピードメニュー

高校卒業まで重宝した一品でした

レバーペーストはお弁当にも重宝しましたが

ワインの最高の相棒でもあります

ボジョレーの頃にはよく作ったものでした

近頃年のせいかめっきりワインに弱くなって昔みたいにたくさんは飲めなくなったけれどそのぶんゆっくり味わっていただけるようになりました

オ・ト・ナ(笑)

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☆レシピ☆

「幼稚園お弁当の思い出レバーペースト
(材料)

鶏のレバー 200g

玉葱 1/4個

バター 80g

生クリーム 50cc

オールスパイス 適量

ブランデーかウイスキー 少々f:id:habbule-no-neko:20240908081424j:image

出来上がりはこの2倍強ほどの量になります

(作り方)

・バターを室温に戻しておく

・玉葱はみじん切り

・レバーは一口大にカット

・フライパンにバター(分量外)を入れて玉葱とレバーを炒める

このレバーの火入れが一番のポイントです

火を通しすぎると風味がなくなりパサパサになるので余熱で火が通るように調整します

・レバーに火が入る手前でオールスパイスを適量振り入れブランデーかウイスキーなどお酒を少々してアルコールが飛んだら火を止めて余熱で中心までレバーに火を通す

生焼けは絶対にダメなので最初の頃は火入れのあと大きめのを一つ切って中を確認していました

・ミキサーに少し冷ましたレバーと玉葱 生クリーム バターを入れミキサーしてペーストにする

上品で滑らかな食感に仕上げたければ濾して下さい

私はたまに玉葱の食感を感じるくらいが好きなのでミキサーで終わりにします

・保存容器に入れて冷蔵庫で保存する

お弁当にはペーストだけでサンドしたものを入れていましたが すぐにいただくなら胡瓜の薄切りをさっと水洗いして水気をしっかり取って一緒にサンドしていただくとパリパリした歯ごたえが嬉しい上等なサンドイッチになります

胡瓜はあらかじめスライスして冷蔵庫でストックしておくか

氷でしめるとパリパリ食感が上がります

今朝の朝食にサンドイッチを作りました
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淹れたてのコーヒーとも合います

少し上等な 幸せな朝。

エスカルゴバター


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エスカルゴバター

エスカルゴを頂くのに最適なバターですが

魚介類 肉類 根菜そしてバゲットにも合います

簡単に作れて冷蔵庫で日持ちもするので

是非冷蔵庫のストックに作ってみてはいかがでしょうか

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☆レシピ☆

エスカルゴバター」

(材料)
バター(有塩でも無塩でも) 100g

ニンニク 10g

パセリ 20g

塩 少々

※塩は有塩バターなら入れなくてもOK

(作り方)

・バターは室温に戻して柔かくする

・ミキサーに全ての材料を入れて混ぜる

・味を見て塩加減をお好みに調整する

冷蔵庫で保存しておくと様々に使えます

チキンのグリルやステーキに添えて

蒸したじゃが芋に乗せて

ソテーした白身魚に添えて

茹でた海老 ピラフに混ぜても

バゲットにのせて焼いたらワインが欲しくなっちゃう幸せバターです

エスカルゴバターと味わう シーフードグラタン


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初めてエスカルゴを食べたのはフランス

ネムーンで訪れたフランスのビストロでいただきました

私は美味しかったけれど

ゲテモノ嫌いな主人はダメ

シンガポールでシーフードをいただいた時も生きているテナガエビをギャルソンが気を利かせて どうですかすごいでしょ!と持ってきたのを見てしまいダメ

見た目はタフな彼ですが

生き物をいただくことへのハートは

ガラス細工です(笑)

エスカルゴ はダメだけど 

エスカルゴバターはお気に入り

ニンニクとパセリの香り豊かなバターで

丁寧に作るグラタンをさらに華やかにします

海老の殻を焼き牛乳で煮出しホワイトソースと具材の一体感を増して

フランスでは旨味成分の一つマッシュルームもたっぷり使って

さらにエスカルゴバターで食欲をそそる香りと彩りを添え

海と山の香りと美味しさをボナペティ!

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☆レシピ☆

エスカルゴバターと味わうシーフードグラタン」

(材料)5人分

玉葱 1玉

マッシュルーム 16個

帆立 7個

海老 12匹

モッツァレラ 200g

ローリエ 1枚

バター 40g

薄力粉 45g

牛乳 800cc

乾燥マカロニ 1人30g✕人数分(ここでは5人分)

生クリーム(牛乳でもいい) 少々

バターは分量外で炒める時にも使うので多めに用意しておきます

その他仕上げにエスカルゴバターを1人スプン1すくい程使います

エスカルゴバターの作り方は別に書いています 検索欄でチェックして下さると作り方が分かります

※マカロニは食べ盛りの方がいらっしゃればプラス5グラムから10gして下さい

最後残れば小さな器に取り置いて次の日チンしてもok

(作り方)

・海老の殻と身を分けて身の背ワタを取り大きめの一口大に切り 殻はよく洗って水気を切りほんの少し塩してグリルで焦がさないように けれど香ばしくなるように焼く

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・帆立貝柱は4つに切る小さめならそのまま

・マッシュルームと玉葱は薄切りにする

・モッツァレラを小さめのサイコロに切る

・鍋に牛乳を入れてローリエとグリルした海老の殻を入れて殻をヘラで押しつぶしながら出汁が出るようにしてエキスを出す

この時絶対に牛乳を煮立たせないこと

風味が逃げて膜が出来てしまいます

軽く温めながら海老の風味を移します

温まって3分ほど殻を押して煮出したら火を止めてザルで濾しておく

ローリエだけ濾した牛乳に戻し入れる

・マカロニを袋に書いてある茹で時間

もしくは好みでプラス1分して茹でる

私はグラタンは柔らかい方が好きです

茹でながら次の工程に移りますが

途中で茹で上がったらすかさずザルに上げて下さい

さっと水気を切ったらすぐにボウルに移して生クリーム(もしくは牛乳でもOK)を少々かけて混ぜ合わせておきます

これが美味しく作るポイント!

こうするとくっつかないし最後に合わせるホワイトソースとも馴染みがよくなります

・鍋にバター大さじ1(分量外)玉ねぎを入れて少し塩して柔かく甘みが出るまで炒める

ここから素材ごとに塩をするのでどれもほんの少しづつ

でないと塩辛い仕上がりになるので気をつけて下さい

・鍋にさらにマッシュルームと塩少々入れてしんなりするまで炒める

・最後に帆立と海老も合わせて入れて塩少々し炒めるけれどここでは絶対に火を通しすぎない 中まで火を通さずに柔かく仕上げます

・分量のバター40gを入れて溶けたら薄力粉も入れてダマにならないように全体に合わせ粉っぽさがなくなれば海老の風味をつけた牛乳をローリエごと少しづつ入れて混ぜ合わせホワイトソースを仕上げていく

・モッツァレラを全て入れて溶かす

小さく切ってあるのですぐに溶けます

・すでに茹で上がって生クリームとあえてあるマカロニを全て入れて混ぜ合わせる

・味を見て塩を足す

マカロニと食べてちょうどいい塩加減にする

ローリエを取り出す

・お皿に分けて盛り付け真ん中にエスカルゴバターを1すくい乗せる

(盛り付ける時にモッツァレラを入れたことで糸引くホワイトソースになり盛り付けにくいのだけれどお皿に垂れたチーズは最後に拭き取って美しくして出してください)

エスカルゴバターを乗せたお皿を軽くレンチンしてボナペティ!

家族の帰宅がバラバラならお皿に盛り付け軽くラップして置いておきます

食べる直前にエスカルゴバターを乗せてレンチンで温めるだけ

粘性があるのでチンしてる間は目を離さずにクツクツして全体が温まれば止めてください

焦げ目をつけたければ上にチーズを乗せてオーブンで焼いたりバーナーで炙ると香ばしさもプラスされます

今回はモッツァレラチーズを先にホワイトソースに入れて溶かしてあるのでオーブンやバーナーを使わなくてもチーズの旨味を味わえるようなレシピにしています

お好みで仕上げを変えて下さいね

富山の味 塩昆布で漬ける胡瓜


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県内ではほとんど昆布が採れないけれど

昆布の消費量日本一の富山県

その理由には北前船と北海道の開拓が深く関わっています

北前船について詳しくは「北海道旅行 1日目」に紹介していますのでよければブログ内の検索欄で「北前船」と検索していただくと出てきますが

北前船によって北海道から運ばれた物資は 中継地点である富山の港でも取り引きされ 富山で昆布料理が深く根付くきっかけとなりました

また北海道の開拓には様々な地方の方が向かわれましたが

特に富山の人々が昆布の産地である羅臼に数多く移住されたり出稼ぎに訪れられたことでふるさとに昆布を送ったりして富山でたくさんお昆布を使ったお料理が作られ食文化として深く根付いたという経緯があります

富山の昆布料理はたくさんありますが

有名なのは昆布のおにぎりと昆布締め

主人が富山に単身赴任していた頃はしょっちゅうサスの昆布締めを買ってきてくれました

「さす」の昆布締めは富山の名物

さすって何のお魚かしらと改めて調べてみたらどうやら「カジキ」のことのようです

また薄く昆布を削ったとろろ昆布をおにぎりにまぶしていただくのも富山の名物

これは当時大阪からサンダーバードで富山に帰る主人に道中の晩ごはんにと毎回握って持たせた思い出のおにぎりです

今回はそんな富山県人大好き

お昆布で作った一品です

先日富山に旅行した際 当時から通うお店「吟魚(ぎんぎょ)」さんでいただいた一品をお家でも食べたいと主人からリクエストされて作りました

レシピは私の想像ですが

シンプルだけど塩昆布の旨味を生かした

混ぜるだけ簡単の美味しい一品です

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☆レシピ☆

「富山の味 塩昆布で漬ける胡瓜」

(材料)

胡瓜 4本

胡麻 大2

細切り塩昆布 大4

塩 少々

(作り方)

・胡瓜の皮をシマシマにむく

・2cmの厚さに切りボウルに入れ軽く塩してザッと混ぜ合わせ3分ほどしたら水で何度か洗ってキッチンペーパーや日本手拭いなどで水分をしっかりとる

・ボウルに戻して胡麻と塩昆布をいれてザッと混ぜ合わせる

すぐに食べると胡瓜のパリパリとした食感とお昆布の美味しさが感じられます

半日ほど冷蔵庫に寝かせると水分がでてきて胡瓜がしんなりしてお昆布の旨味が染みて美味しい
どちらでもお好みでどうぞ

また胡瓜の切り方を変えて薄切りにして混ぜすぐにいただくのも美味しいですf:id:habbule-no-neko:20240901232621j:image

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器は実家から一緒に嫁いできたせともの
お気に入りです

ユネスコ無形文化遺産   富山県魚津諏訪神社たてもん祭り

 

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富山県

中でも魚津は私にとって海の幸の聖地です

以前富山で単身赴任をしていた主人に連れられて初めて魚津を訪れた時

あまりの魚の美味しさに

「いつか必ず富山で

半年でいいから2人で暮らそうね」

と誓いあった土地です

そんな魚津の魚の美味しさは

昔から遠く信濃国の人々にも伝わり

魚津から海の幸を 信濃国から山の幸を 

互いにやりとりするような歴史がありました

信濃国(長野県)にははるか古代より歴史ある「諏訪大社」があります

その歴史は1500年とも2000年ともいわれ

2000年前なら弥生時代の頃にあたります

諏訪大社は神話「国譲り」の伝承により

新たに信濃国を築いた神様として古くから朝廷や数多くの武将達の崇敬を集めてきました

はるか昔より強い信仰を集めていた諏訪大社

現在日本全国に一万を超える分社があり

この魚津にも諏訪神社としてその御分霊が祀られています

それが今回のお祭りを行っている神社

諏訪神社」なのです
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この日はお祭りなのでなかなかホテルの予約が取れず東京から戻ってきた長男含め4人でシングルルーム4つでの宿泊となりました

結果的には 汗いっぱいでお部屋に帰っても全員すぐシャワーを浴びることが出来て案外快適だったねということになるのですが

ホテルにチェックイン後 

お祭りに向かうため 魚津の漁港に向かうと

この美しい夕景が出迎えてくれました

突き当りにあるのが魚津漁協組合です

実はこの場所にかつて諏訪神社がありました

この地域では先にお話した経緯もあり

海での安全や豊漁を願って古くから諏訪大社に初魚を奉納する慣習がありました

時が経ち御分霊をいただいて地元に諏訪神社を祀りそこで豊漁祈願をするようになるのですが 荒れる日本海に幾度も社殿はさらわれ

その都度再興がはかられました

明治6年に漁協から3分ほど歩いた現在の場所へと御遷座され 今日に至ります

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小津の浦とはこの港のかつての呼び名

小津おづ から 魚津うおづへと変化したとも言われています

漁業が盛んだったこの地では昔から

豊漁を祈願して舟に贄(にえ)となる魚を高く積み上げ浜を引き回し海の神に供えていたという言い伝えがあります

1720年頃には台の上に提灯を吊るし担ぎ回したとされ今の祭りの原型から現在に至るまで

約300年続いているお祭りで

ユネスコ無形文化遺産に登録されています

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たてもん祭りの「たてもん」

私はてっきり大きな建物(「たてもの」を関西では「たてもん」と発音する)の祭りかと

お祭り前に訪れた魚津のサウナで話しかけてくださったマダムにウッカリ

「たてもの祭りを見に来たんです」

と言うと

「た・て・も・ん ね!」

と笑顔でしっかりなおされました(汗)

後でわかったのですが私の大きな勘違い

神様に「奉るもの」から「たてもん」

ということでした

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港に着くと「たてもん」が組み上げられ一つひとつ手で灯りが灯されていました

海の向こうに見える夕焼けを背景に

港に生きる人たちによって灯されてゆく灯り

年に一度の美しい景色です

たてもん祭りとは 神社に書いてあったものを引用させていただくと

「高さ16米もある大柱に九十余の提灯を三角形型につるし下げ その下に絵額をつけて長さ十米 帆を上げた船の形をし台の構造がそり型になっており 総重量五トンあり七基のたてもんが曳き回される」お祭り

そり型なのはもともと砂浜を曳いていたから

提灯は今は町ごとに違う絵柄ですが

神様への贄(にえ)として魚を積み上げていた歴史から昔はすべて魚の絵が描かれていたそうです

帆に見立てた三角形の上部には恵比寿を描いた提灯が飾られ 心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈が据えられ神の依代(よりしろ)とされています

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八角行燈からは割り竹で出来た枝垂(しだれ)といわれる柳に見立てたものが8本垂れ下がり こちらは髯籠(ひげご)と呼ばれ今は小さな電球がたくさんつけられていますが悪霊が神様への贄に取り憑かないよう睨みをきかせる意味合いを持っています

ヒゲゴ 確か前回書いた「だいがく祭り」でも上に飾られた傘のようなものは「ヒゲコ」と呼ばれていました

どちらも海に関わる人々から信仰篤い神社

共通点が見つかってなんだかワクワクします

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組み立てはこちらも縄のみで組み上げられていて結び方は漁師独特の結び方とのこと

やはりそれも「だいがく」との共通点ではないかしらと思われましたf:id:habbule-no-neko:20240826212624j:image

太陽は刻一刻と沈んでいきますf:id:habbule-no-neko:20240826212702j:image
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港の向こうの広場ではまた別の町のたてもんが組み立てられている最中
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紐で引っ張って三角形の帆を引き上げていました
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美しさに撮影が止まりません

コンビニに寄っていた家族からいよいよ呼び出しのコールがあり走って合流しました

「もう花火始まるよ!」

と叱られるやいなや
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大輪の大花火が

「ドドーーンッ!!!」という大音響と共に夜空一面に広がりました
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そう たてもん祭りはこの地域で行われる「じゃんとこい魚津祭り」のひとつ

たてもん祭りの他に郷土民謡「せり込み蝶六」 海上花火大会 UO!JAZZ(ウオジャズ) キャンドルロード 経田七夕祭りが行われる一大イベントなのです
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大阪の花火大会と違って観覧する人々も適度に距離を保って観覧することができます

海の上で上げているので花火の煙は風に流れて打ち上がった花火も常に美しく見えます

少し離れてジャズが演奏されていて

花火は空から降り注ぎ 

音は塊となって胸を打ちます

並んで見つめる家族の背中を

満開の花火とともに撮影しました

1時間ほどの花火大会は

大輪の花火で空を埋め尽くして終了

興奮冷めやらぬまま  

もと来た道を戻り始めるとアナウンスが

「これより諏訪神社においてたてもん祭りが行われます 皆様どうぞおいで下さいませ」

もちろん伺わせていただきます!f:id:habbule-no-neko:20240826214350j:image

諏訪神社に向かうとズラリ!

本日宮入りする「たてもん」が順番を待って並んでいます
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ユーチューブで動く「たてもん」をみることが出来るので是非一度検索してみて下さい

子どもたちが台の上で並んで笛を吹き

大人達は宮入りするためにたてもんを曳いて動かします
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描かれた絵はたてもんごとに違い武将の戦いの場面などが描かれています
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ずらりと並んだたてもんは順番に神社本殿横につけられグルグルとたてもんごと回します
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高さがあり不安定なのを下ろされた紐で引っ張りあうことでバランスをとります

回るたてもんとともに引っ張っている紐を持った人たちもグルグルとたてもんの周りを走りまわります

けれど

たてもんの回転が早すぎるのでついていけず

そのうち遠心力を使い飛んだり跳ねたりして

しまいには紐ごとたてもんのまわりを飛んで回ることになります

時折着地しながら飛んでまわるのですが

これが超楽しそう!!(笑)

男の子たちの心に戻った大人が楽しそうに跳ねる姿とグルグルまわりながら笛を奏でる子どもたち 光と共に美しく円を描くたてもん

それはもう神様も大喜びに違いない宮入りでした
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ひとしきり奉納回転?が終わると本殿前まで曳いていき氏子衆はお宮の中へf:id:habbule-no-neko:20240826214815j:image

お祓いがなされると またたてもんに戻り

掛け声とともに曳いてゆき場所を譲りますf:id:habbule-no-neko:20240828221452j:image
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お祓いをしている間にも

次のたてもんが宮入りしてきます
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こちらは順番まちのたてもん

笛はずっと景気のいい高い音を奏で続けています
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順番まちのたてもんも一つ終わると前に移動します

五トンを曳いて移動させるには皆が心を合わせてタイミングを合わせて曳かなければ動きません

声を上げて皆のタイミングを合わせてココ!というタイミングで一斉に曳いていきます
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次の宮入りが始まりました
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この地で昇華された神様への奉納の祭りは 

夢の美しさが続く神様と海の人々の宴でしたf:id:habbule-no-neko:20240828222446j:image
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祭りはまだまだ続きますが

賑やかな笛の音と人々の心合わせる声を聞きながら家族揃って宿へと戻ることにしました
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先ほど賑やかにたてもんを準備していた港は

人気もなくいつもの夜の静けさをまとって

停泊している船を静かに揺らしています

帰りにコンビニに寄って氷アイスを買って

それぞれの部屋に戻りました
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翌朝

ゆっくり眠っている子どもたちをおいて

主人と2人 早朝のお祭りあとをドライブ
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早速町の方々が集まって昨夜のたてもんを解体して倉庫に片付けている光景が見れました
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昨日は暗くてよく見れなかった諏訪神社を訪れてお詣りをさせていただきます
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昨日ここでたてもんが回されていました
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本殿は雨や高波から守られるように覆いがされていました
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神社の前の道沿いにも高さのある壁が続いていました

社殿を幾度も流された歴史に思いを馳せます
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提灯に魚が描かれていました
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昨日の宮入りの順番表

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すぐ横にたてもんをしまっておく倉庫がありました
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あら!これは昨日たてもんの上に飾られていた部分じゃないかしら

飛騨高山のさるぼぼがついてるのは謎ですが

諏訪と同じく山間部の文化が富山に流れてきた証なのか

さるぼぼの「無病息災」の意味合いもあるのかもしれません

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壁には各町のたてもんの紹介がありました
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すっかりいつも通りの港でした

たてもん祭りは終わりましたがまだまだ「じゃんとこい魚津祭り」は続きます

このあたりは旧暦で七夕を行うらしく七夕祭りの旗も上がっていましたし
そういえばサウナで一緒だった地元の方はせりこみ蝶六踊りに参加するようなことをおっしゃっていました

この踊りは念仏踊りが始まりの踊りで

親鸞上人の一代記の歌に合わせて軽やかな振り付けで踊られるもの

ユーチューブでこちらも見ることが出来ます

さながら蝶が舞うようだと蝶六踊りと名付けられたとのこと

歴史深く 信仰に基づいた魚津のお祭り 

海に生きる人々の誇り高い歴史の一瞬に立ち会えたことが嬉しい魚津の旅でした

大阪府指定文化財第一号 玉出 生根神社のだいがく祭り

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生根神社」は大阪府西成区玉出にあります

玉出」と聞いて全国的に有名なのは

スーパー玉出

大阪の激安スーパーとして「秘密のケンミンSHOW」などでよく取り上げられています

玉出にあるから「スーパー玉出

ですが玉出はかつて「勝間」と書いて

「こつま」と呼ばれていました

「こつま」なのに

「たまで」なのには理由があります

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生根神社のある四つ橋線玉出駅からほど近く

日本三大住吉の一つ

大阪の「住吉大社」があります

玉出のあたりはかつて住吉大社神領でした

玉出の由来は一説に

海彦山彦に出てくる鹽盈珠しおみつたま(潮の満ち引きを司るもの)を埋めた「玉出島」に由来するとあります

海彦山彦の話は過去に

「マグロを買いに和歌山へ」で詳しく書いておりますのでよければそちらも合わせて読んで頂けると楽しめると思うのですが

日本の皇室の始まりと深く関わる神話で

後に浦島太郎のお話のもととなります

住吉区のホームページによれば

「(住吉大)社前には「玉の井」という井戸屋形が残っており「玉の井」はその珠を沈めたところであるという伝説があり」

「「玉手箱」という地名が残って」いたと。

「玉手は玉出に通じることから玉類の出土があったと考えられ」ている

浦島太郎の話「浦島伝説」は他の地域にもあるけれどこの住吉にもあるそうで

大海神社地(住吉大社内にある大海神社)は玉出島 帝塚山古墳は玉手丘と言われ」

「かつて住吉大社は昔すぐそこに海があり現在の玉出の方角 北門付近は「玉出島」と呼ばれていたそうです」とのこと。

さて その玉出

13世紀に住吉から移住してきた勝間大連(こつまおおむらじ)という人によって生根神社周辺が開発されたことから辺り一帯が勝間(こつま)村と呼ばれるようになりました

その後村から町そして区になる過程で

住吉大社のある住吉区ではなく

西成区となり そもそもの地名「玉出」へと変わっていったそうです

生根神社ではだいがく祭りともう一つ

このかつての地名を冠した有名なお祭りがあります

それは毎年12月「ん」のつくものを食べて運気を呼び込む「冬至」の日に開かれる

「こつま南瓜祭り」です

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こつま南瓜はなにわ伝統野菜の一つ

この地域で作られていた地域特有の南瓜です

熟すと赤茶色の皮になり甘みさっぱりとした南瓜

勝間一帯で作られていたので「こつまなんきん」と呼ばれていましたが西洋からのものに取って代わられ一時絶えたかと思われましたですが和歌山の農家さんで種がみつかり再び栽培が始まり現在もその伝統野菜を繋いでいこうと栽培が続けられています

このこつま南瓜を使って生根神社では冬至に「こつま南瓜祭り」が行われ南瓜に厄除けの小豆をのせたものが振る舞われています

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ここまで玉出の地名の由来などご紹介してきましたが この地がいかに住吉大社と縁が深いかおわかりいただけたと思います

その生根神社

実はこの辺りに2つあります

もう一つの生根神社はさらに住吉大社のほど近く住吉区にあり創建は古墳時代とされる住吉大社より古いのではとも言われています

酒の神様少彦名命を祀り神功皇后(169年〜269年)がここで造酒したものを住吉三神に奉納したといわれています

玉出生根神社についても創建時期は不詳

御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)蛭子命(ひるこのみこと)菅原道真

少彦名命は さきの住吉の生根神社から分霊を勧請して玉出産土神とし それが当社の始まりとされている とのこと

蛭児命(ひるこのみこと)については

洪水で流された西宮神社のご神体が玉出生根神社に流れ着きこれを祀ったが その後西宮神社にご神体をお返ししその分霊を祀ったのが始まりとされています

兵庫県西宮から大阪生根神社のあたりは大きく折れ曲がった湾になっており西宮から玉出に流れ着くのはさもありなんというお話です

菅原道真公が祀られたのは近世の話

明治初年に廃藩置県により大阪の筑前屋敷に祀られていた筑前天満宮が合祀されました

生根神社の社殿は大名普請のかなり立派なものだったようなのですが

1945年3月の大阪大空襲で被災し社殿が焼失

ご神体は速やかに住吉の生根神社へ移されたため無事でした

戦後仮社殿を造ったのち1966年10月に鉄筋コンクリート建築の社殿や社務所などが復興されたそうです
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石の台には「船仲」の文字があります

海の神様「住吉大社」のほど近く

船での仕事を生業としている人々からの信仰が厚いのだろうと思いました

ではいよいよ「だいがく祭り」のお話です
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「だいがく」ときいて私はてっきり「大学」を思い浮かべたのですがそれは間違い

はっきりと決まっていないようですが

「台額」や「台楽」と書くそうです

毎年7月24日(宵宮)25日(本宮)に行われ両日とも日中は獅子舞や神輿渡御式など行われています

だいがく祭りは日が暮れて19:30から。

生根神社北側の公園で行われます

私が訪れたのは25日

まずは神社でお詣りをして。。

と18時頃に神社を訪れたのですが

すでに境内ではだいがく祭りが賑やかに行われていました

後からわかるのですが

現存一基とされる「だいがく」はかつては賑やかに担がれていましたが現在ではあまりにも重いのと貴重なものゆえ境内に据えられて披露されます

「だいがく祭り」として実際に担がれるのは新しく作ったもう少し小ぶりなもの

ですが境内の「だいがく」は担がれずとも 台に上がった子どもたちが力一杯太鼓を打ち鳴らし グルグルとまわる提灯のついた櫓(やぐら)をこれでもかとぶん回し 上部に取り付けられた鈴たちを力いっぱい台を揺らして跳ねシャンシャンと賑やかす大迫力!

そして実際担がれるものは「小ぶりなもの」と書きましたがそれでも重さ1トン!

それを担ぎ手の減った昨今堂々と担ぎ上げ

「だいがく」ごとぬらりと動き回る

人々の力強さは見事!

お祭りの写真も次々とお見せしたいのですがまずはそんなだいがく祭りの始まりをご紹介させて下さい

だいがく祭りの起源は古く

清和天皇の時代(858年〜875年)に干ばつがひどくこの地の農民が住吉の竜神大海神社の前で日本六十六ケ国の一の宮の御神燈六十六張と鈴六十六個をつけた高さ十八間の櫓を建てて雨乞いの祈願をしたところたちどころに雨が降ったので農民は喜びこれに台をつけて曳き太鼓を打って氏地を巡行したのが始まり」とのこと

始まりは「雨乞いの儀式」だったようです

また近世になるとお祭り以外でも

国道開通などのお祝いごとにだいがくを出すこともあったようです

この「だいがく」

改めてご紹介すると高さ約20mの柱に78個の提灯を飾り付け 台や上の飾りなど合わせて重さは4トン!

かつては大阪市内難波から南の地域で「だいがく祭り」が行われていたようで

7.5トンとも言われるだいがくが

3基4基と各町にあり

祭りになると一基あたり80人から100人ほどで担いでまわっていたそうです

しかし戦争で焼けてしまったり廃止されたものもあり現在日本で現存するだいがくは

玉出生根神社の一基のみ

この一基が生き残った経緯は

だいがくがお祝い事にも使われていた事が幸いしています

大阪は戦争で激しい空襲を受けましたが

当時の保管役だった岡本宗治氏が自社の岡山飛行場建設に伴って「だいがく」を岡山に持って行きそのまま農家に預けて終戦を迎えたため奇跡的に生き残ったものなのです

その現存する「だいがく」と

祭りの様子を描いた

「板絵彩色玉出のだいがく祭礼図」2面が

大阪府指定有形文化財に指定されており

絵は著作権の関係でブログにあげることは出来ませんが

これを読み終わったら是非ネットで検索してみて下さい 

あれだけの重さのあるあんな大きなものをこれだけ並んで曳き廻して 太鼓を打ち 鈴を鳴らして広い氏子地を巡行していたのかと思うと 静かに見える絵から当時の人々の重く熱いざわめきが地から湧いて聞こえるような気がします

私はこれを大阪中之島美術館で見たことがあるのですが正直「なんかカワイイ絵」という印象でした

ですがその祭りを知った今改めて見ると

これはなかなかの迫力だと感じずにはいられません

ちなみに生根神社にある「だいがく」は

先ほどお伝えした大阪府指定有形文化財

第一号の栄誉を頂いています

なみいる文化財の宝庫の大阪で

一号とはすごいと思います

その経緯を是非知りたいものですf:id:habbule-no-neko:20240826143850j:image

さて こちらは18時頃の境内の様子

奥にある大きなものが文化財登録されている「だいがく」

手前にあるのは子どもたちが曳く小さなだいがくです

こちらを担いで本殿前で奉納されていらっしゃいました

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この日境内では笹娘さん達によって笹の授与がおこなわれ 古い笹はこちらに納めます
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トリビアとしては毎年浜村淳さんがだいがく祭りに訪れられるようで彼の歌碑がだいがくの横にあります
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本殿は建て直されたもので鉄筋コンクリート造ですがガラスの扉がついていたりなかなか素敵な本殿でした
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お祭りの案内にかかれているように獅子舞や催太鼓など町を練り歩くようですでに巡行を終えたものが神社脇に置かれていました
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本殿近くに作られた舞台では地元の方々がかわるがわるだいがく音頭の歌を唄いそれに合わせてだいがくの太鼓が打ち鳴らされます

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祭りの雰囲気はユーチューブなどでも見ることが出来ます

エーサジャ ヨイヤサージャの掛け声のあとに甚句形式(七七七五)の歌が唄われます

では文化財となっているだいがくがどのようなものか写真で詳しくご紹介します

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だいがくはまず台と曵き棒と呼ばれる担ぐための棒が紐で組まれています
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この組み方は代々伝わるもののようです

大昔海が近く船も造られていたであろうこの地において 木や布で船や帆を使って航海していた頃には紐で丈夫に固定する技術はかなり発達していたのではないかと想像が膨らみます
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その上に竹の棒を組んだものに提灯がぶら下げられ夜になるとあかりが灯されますf:id:habbule-no-neko:20240825205317j:image
さらにその上にはヒゲコと呼ばれる傘状のものがつけられており 

一番上には祈祷の際に浄める神楽鈴(かぐらすず)がついています
ところどころヒゲコの紙が破れていますが台を激しく揺らして鈴を鳴らす際に破れて落ちるヒゲコの紙は拾うとご利益があるそうです
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半被には櫓上部に取り付けられた「ヒゲコ」と「鈴」が描かれています
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台から上は回せるようになっていて子どもたちが汗いっぱいになりながらグルグル回していました
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立派な太鼓は一打ごと本気で打ち込まなければいい音がでません

常に全力で打ち続け 交代の時にも音を切らさぬように気を配りながら叩く子どもたちは一人前の男のような頼もしい顔をしています

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太鼓に掛けられた豪華な刺繍の飾り布

太鼓台には義経と弁慶らしきものが彫られていました
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本物のだいがくを明るいうちに詳しく見ることができました
さてさて もうすぐ公園で「だいがく祭り」が始まります
公園にはすでにたくさんの人

実はだいがく祭りは必ず毎年天神祭の花火の日と重なります

まぁ普通 大阪の人達は天神祭の花火大会を訪れるかテレビでビール片手に楽しむもの

正直この日電車でこの地を訪れた私も

浴衣姿の人々と逆行して玉出に向かいました

ですがこの一帯では天神祭もなんのその

だいがく祭りを年に一度の楽しみに地域の方々が盛り上がって楽しむようです
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公園横の広場に準備されている本物のだいがくより少しだけ小ぶりなだいがく
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それでも1トンあり本番は台の上に太鼓叩きの人を乗せて力いっぱい太鼓を打っているのを担ぎ歩きます
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絶対に昔はなかったであろう

担ぐ人たちに優しい「肩当てパッド」つき

広場には男性が担ぐ男だいがくと

女性が担ぐ女だいがくが置かれていました

よく見るとだいがくの頂点に

男 女それぞれ印が掲げられています
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だんだん担ぎ手も集まってきました

この日太鼓役の若者が太鼓の練習を始めると燻し銀のベテランがやってきて「ちゃうちゃう!こうやって打つんや(想像)」とばかりに指南を始められました

若者「ドトン」

燻し銀次郎(仮)「ドドーンっ!」

それはもう音が全然違います(笑)

それを見るにつけ長丁場の太鼓叩きですが始まったら全身全霊かけて叩き続けなければいい音が出ないだろうことがヒシヒシと伝わってきました

だいがくは大きく高く

風をまともに受ける形は安定も悪いので

ぬらりくらりと動きます

歌も甚句形式で淡々と唄われるので掛け声のエーサジャ ヨイヤサージャの所以外は迫力に欠けます

祭りを一番盛り上げ 締めるのは太鼓の音。

それだけに本気のドドンッ!が必要なのです

ガンバレ 若者!

さてさていよいよ祭りが始まります

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公園は少し蹴ると砂が猛々と立ち上がるので

足場を固めるためにホースで水撒き開始

始まりの合図とともに

ムクリとだいがくが担ぎ上げられました
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唄い手の方がマイクを持ってだいがくと程よい距離を保ちながらだいがく音頭を唄います

それに合わせて男だいがく女だいがくが近づきつ離れつ逢瀬のごとく動き回ります
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近づいてくると大迫力です!

途中休憩もあり まだまだ祭りは続きます

休憩のあいだは近くに寄って写真を撮ってもいいですよとアナウンスがありました

男だいがくを 担ぎ手の方の「語る背中」と共に一枚撮らせていただきました
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「あの〜担いでいた皆さん!本部テントに近隣の◯◯鍼灸院の先生がスタンバイして下さっていますので痛めた方は本部テントまでお越し下さい!」

なんて地元の温かい空気感満載のアナウンスも聞こえて後ろ髪を惹かれますが

境内に置かれただいがくが暗くなってどんな様子かも気になります
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境内に向かう道は屋台と人でいっぱい

屋台越しに高く聳えるだいがくは

本当に美しく素敵でした
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やっぱりだいがくは夜が一番美しい

圧巻の迫力に唄 太鼓 鈴の音 人々の声

これが天神祭にも負けないこの地域の人々の連綿と続いてきた祭りなのだと

この地に生きる人々の誇り高い歴史の一幕を見せていただいた気持ちになりました
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大きな櫓を鈴の音と共に回します
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エーサジャ ヨイヤサージャ

いつまでも続く人々の熱気に包まれながらも

そろそろ家路につかなければなりません

ありがとうございました

一礼して祭りの鈴の音とともに

駅へと向かいました

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雨乞いのため始まったお祭り

なんとか天の神様に私たちが困っていることを知らせたい

天を突いて雨を降らせたい

そんな思いから

この高く立派な櫓作りが始まったのでしょう

鈴をつけ 賑やかにして

歌を唄って 神様にお願いし

人々の想いを 届けたかったんだろうなぁ

そんな古の人々に想いを馳せます

それにしても

あの大きなだいがくが何基も練り歩いていた時代を見てみたいものでした

ゆらり大きく町を練り歩く何基ものだいがく

流れる提灯の灯りは夢のような夜の記憶を

人々に残したことでしょう

だいがくや ぬらりと曳かれ 夏の夜

               エルスカ