美味しいしあわせ

旅 特別な体験 季節のお料理やお菓子

秋晴れの日に

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2026年10月3日。

秋晴れの日に義父が旅立ちました。

享年89歳でした。

昨年末に体調を崩しお正月明けに骨髄異形成症候群と診断され、その日から入院。

すぐに急性白血病となり抗癌剤治療を行って参りました。

7月に自宅療養を選択し、自宅にドクターや看護師さんたちが来て下さってしばらく治療を行ってきましたが、9月末急に容態が悪化。

病院に入院して3日ほどで亡くなりました。

まだ意識がかろうじてあった時、義妹が病院に到着して、アメリカで単身赴任中の義弟とビデオ通話を出来たのが、せめてもの慰め。

その後、義弟は飛行機を手配して日本に向かいましたが機内で訃報を知りました。

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彼の人生と共にあった田畑には、秋の実り。

今週末に稲刈りがあり、せめて新米を食べさせてあげたかったと悔やまれます。

6月生まれの彼は、男衆が田植えの最中に母が産気づき、当時は地方からも人を住み込みで雇って田植えをしていたほど広い田んぼだったので、女衆はその方たちの食事などの世話に加え生まれた赤ん坊のお世話と大変だったらしいことを何度か聞かされました。

田植えの頃に生まれ、稲刈りの頃旅立つ。

まさに農家の跡取り長男らしい人生のように思います。

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遺影は叙勲の日、ホテルで義母と撮影したお写真にしました。

彼にとって最も誉れ高い日のお顔。

身内ながらいい表情の、素敵なお写真だと思います。

葬儀にはお通夜と合わせて延べ200人ほどの方が来て下さって、たくさんの供花や盛り籠を頂戴し、棺に納まりきらない花は幾つもの花束となりました。

葬儀が終わり、様々な手続きを進めつつ

家族皆が時折、義父の声が聞こえるような気がしています。

細やかに指示する几帳面な人柄は、面倒でありながらも有難い存在でした。

この声が聞こえなくなる頃、私たちがやっとこの家の家長として新たな「家」の姿を創るスタートラインに立てるのかもしれません。

彼から頂いたご恩に感謝しつつ

嫁いでから今日まで、誠心誠意尽くした日々

そして長かった闘病生活を、及ばずながらも全力で支えることが出来たことは、私の人生を語るうえで大きな自負となりました。

 

意識が薄れ混沌としている最中、病院から私に電話をくれたことは、私が信頼されていた証拠なのかな。

到着して朦朧とする彼に最期に「ありがとう」と伝えた時、喋れないなか涙を浮かべて何か伝えたい様子だったのは、同じ想いでいてくれたのか

今となっては分からないけれど、痛みや家長としての重圧から開放され、自由な魂となり旅立ったと信じたい。

 

亡くなったのはまだ明けやらぬ暗闇深い時間

看護師さんからの慌てた電話で目覚めました

闘病最期を迎えたのは慢性期病院として紹介して頂いた四天王寺病院。

四天王寺病院は日本最初の官寺「四天王寺」のすぐとなりにあり、

聖徳太子が「四箇院の制」で制定した

「施薬院(せやくいん)」

薬草を栽培して病人に薬を分け与える場

「 療病院(りょうびょういん)」

お金がなくて治療を受けられない病人を収容して治療する場

の精神と歴史を受け継いだ歴史ある病院です

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ぎりぎりまで自宅で過ごし、病院は3日ほどの入院でしたが、最期まで誠心誠意の医療と看護を頂戴しました。

 

搬送車で自宅に帰る義父より先に、母屋に向かおうと主人と2人駐車場へと歩いていると、昇る太陽が四天王寺の塔を照らして、黄金に輝いているのが見えました。

まばゆい黄金色の思い出はこれから御命日のたびに思い返されることと思います。

秋晴れの日に。

東京旅 2026 DAY3

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雨のTOKYO。

初めての「国立新美術館」は、雨だれつたう美しさを愛でる体験となりました。

東京の良い所は、遠回りすれば雨に濡れずに目的地に到着出来るところ。

ぐるり回り込んで東京メトロ乃木坂駅に到着

「ピカソ meets ポール・スミス 遊び心の冒険へ」

ガラスの器の中で、ピカソを楽しみます。

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ですが、その前に建物を鑑賞。

国立新美術館は、以前から気になっていた憧れの美術館です。

設計者は、黒川紀章。

この建物は彼が設計し、亡くなる前に完成を見届けた最後の美術館となりました。

彼が生まれたのは、1934年(昭和9年)。

当時日本は満州事変を経て日中戦争に向かう過渡期で、都市部は近代的なモダニズムに沸く一方で、地方は困窮し、満州事変以降日本が軍国主義へと向かっていった時代でした。

彼の生まれた名古屋市は当時「大名古屋」と呼ばれ、工業都市として急速に発展していました。

彼の父 黒川巳喜(みき)は建築家で、名古屋で最先端の洋風建築や近代的な建物を設計していました。

黒川紀章3歳の頃、日中戦争が勃発。

その後、世界は第二次世界大戦へと突き進み11歳の頃に終戦を迎えます。

名古屋市も空襲を受け、父の設計した頑丈で近代的な建物もすべて焼け野原になりました。

彼は当時疎開を体験しており、そこでみた豊かな自然と、破壊しつくされた街並みから、建築を当時の西洋的思想「一度建てたら不変なものである」という考えではなく、「生き物のように変化し、新陳代謝するもの(メタボリズム)」として捉えるべきだという考えを持ちました。

それが彼の建築理念の一つ「メタボリズム(新陳代謝)」です。

そして、もう一つの理念は「共生」。

終戦後、進学した東海高校で彼は仏教に基づく教育を受けました。

その時学んだ「共生(ともいき)」という思想は仏教において、「人間は自分ひとりで生きているのではない、あらゆる人、自然、そして目に見えない大きな命に生かされて、共に生きているのだ」というもので、そうした仏教思想と建築を結びつけ「共生(きょうせい)」という理念が生まれました。

彼の言う建築における「共生」とは、

それを例えるのによく日本の「縁側」で説明されます。

庭という自然、そして家という人工物を緩やかにつなぐ場所。

その二つは完全にわかれるものでなく、共に生かし合うものである。

 

「メタボリズム」と「共生」

この二つは、国立新美術館にもきちんと反映されています。

その一つ「メタボリズム(新陳代謝)」

驚くべきことに、国立新美術館ではコレクションを一切持っていません。

通常美術館では収蔵品が保管されており、それらを入れ替えたりしながら展示したり、テーマに沿って他の場所から作品を借りてきてそれらと共に収蔵品を展示したりしています。

これにはそもそも、この美術館が建てられた経緯に理由があります。

日本では多くの美術団体が主催する「公募展」が盛んで、代表的なものとして日展や二科展などがあります。

それらの展示には大きなスペースが必要で、たくさんの作品が運び込まれ、審査が行われ、落選作品などを送り返すバックヤードも必要です。

以前は上野にある東京都美術館で行われていたのですが、そうした公募展でスケジュールが埋まり、大規模になるほど手狭に。

そうした公募展を開くための場所を作ろうと「国立新美術館」が建てられました。

国立新美術館は英語で

「THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO」 

通常使う「MUSEUM」とは、作品や資料を収集 保存 研究する場所という意味。

なので、国立新美術館では、「ART  CENTER」と表記しています。

私たちが訪れた時にも、ちょうど二科展が行われていました。

コレクションを持たず、その都度搬入された作品に応じて展示スペースを自在に生まれ変わらせ建物を「新陳代謝」させる。

そのための広さ高さ、そして奥行きを持って設計された美術館となっています。

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そして、「共生」

ファサード(建物の正面)は、波打つガラスのカーテンウォールとなっています。

彼はそれを「墨絵のぼかしのような」と説明しました。

ガラスのカーテンウォールは自然の中における「フラクタル」な造形を意識して設計されています。

フラクタルとは、例えばシダの葉や雪の結晶のように同じ形状が繰り返される幾何学的な構造や現象。

直線で外と内に線を引くような建築ではなく、フラクタルな形状にすることで、外と内の間の壁を「墨絵のぼかし」のように感じさせる。

ここでいう「外」の環境は、例えばすぐ隣にある青山霊園や公園のことで、美術館付近は都会のなかにありながら森が大変身近に感じられる地域です。

そうした自然豊かな「外」の気配を波打つガラスのカーテンウォールは柔らかく建物に取り込みつつ、美術館の存在をまちに溶け込ませ「共生」を実現しています。

 

エントランスは、高さ21.6メートルという大空間にガラスを通してこの日の雨の気配や空の色、木々の気配を取り入れつつ、ガラスのルーバーとペアガラスの組み合わせで紫外線や熱を防いでいます。

独特な逆円錐形の上にあるカフェやレストランは、一階の床面積を極力減らさないよう円錐を逆の形にして床面を持ち上げつつ、上部で床面積を広げ店舗を展開しています。

そしてこの大空間の空調を床から噴き出す仕様にしたことで、床面から人や作品に届く高さでちょうど適温が感じられるようになっており、コストと空調効果の最適化が実現されています。

また、敷地の外には住宅街もあることから、それらの家に降り注ぐ陽の光を遮ってしまわないよう敷地内における建物の位置にも工夫が凝らされました。

そして、はからずも不利だとされていた土地の高低差は、公募展における搬出入のバックヤードを目隠しする好条件に変わりました。

展示空間は2000㎡柱なし。

作品や条件によっていくらでも「新陳代謝」が可能な造りになっています。 

早朝の光、夜の灯り、季節の移り変わり、お天気、そして展示によって違う表情(カオ)を見せてくれる。

それはまるで、鼓動感じる生きた建築。

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雨音を聞きながらチケットを渡し展示室へ。

足を踏み入れると、知らぬ間にその音は消え作品の世界へ。

出迎えてくれたのは、自転車のサドルとハンドルバーのオブジェでした。

ピカソの作品「牡牛の頭部」へのオマージュです。

オマージュとは、敬意を込めて自分の作品に取り込むこと。

今回の展覧会は、ピカソの作品展示空間を、ポール・スミスがディレクションしたものを楽しむ、天才二人のコラボレーションです。

 

ポール・スミスはオシャレ好きなら皆さんご存知のことでしょう。

1970年イギリスのノッティンガムで創設された、英国を代表するファッションブランド。

最大の魅力は、伝統的な英国のクラシックな「仕立て」をベースに遊び心を加えた「ひねりのあるクラシック」というコンセプトです。

ブランドの象徴である鮮やかな「マルチストライプ」をはじめ、裏地やディテールに大胆な色使いやモダンなプリントを施すなど、さりげない個性を演出するデザインが世界中で愛されています。

ノッティンガムで生まれ育った彼は、若い頃自転車レーサーを目指していました。

それがピカソとポールの1つ目の共通点。

つまり、自転車のサドルとハンドルバーで作られたピカソの「牡牛の頭部」と自転車レーサーの夢。

ポールはピカソの作品へのオマージュとしてこの最初の空間をディレクションしました。

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17歳の頃、大事故で自転車レーサーの夢を絶たれたポール。

退院後、病院で知り合った仲間とたまたま行ったパブでアートスクールの学生達と意気投合。

そこからクリエイティブな世界に興味を持ち後に奥様となる方と出会います。

彼女は服飾学校の学生で彼女から仕立てなどを学び、自身のブランドを立ち上げました。

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最後の展示は晩年のピカソの写真とポール・スミスの代名詞とも言える「ストライプ」のシャツ。

晩年のピカソは漁師や船乗りがよく着るストライプのシャツを愛用していました。

もともとはスーツを着こなしていたピカソでしたが、生まれたのはスペインの港町マラガ。

晩年、創作活動をしていた南仏では、おおらかな気候のなか、袖をめくらなくてもいい、そんな職人の服であるストライプのシャツを愛用していたそうです。

 

対してポールは自身のブランドでストライプは代名詞のようなもの。

トラディッショナルなスーツの裏地や内側のポケット、果ては車MINIとのコラボでは車の上からストライプをぶちまけたような、そんなデザインの車に仕上げました。

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ふぅ、大満足の展覧会でした!

ピカソは私の人生において沢山たくさん見てきましたが、背景が違うとこんなにも印象が違うのかと驚きました。

ピカソのみにあらず、絵画の展示と展示の手法そのどちらにも一流の才能と個性をぶつければ、こんなにも満足感のあるものになるのかと、個人的なアート体験として記憶に残るものとなりました。

お昼は空中で頂く至福の味。

ポール・ボキューズです。

金沢でお食事して以来、久しぶり。

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この日は少し混んでいて暫く並んで入店。

同じ館内に見下ろすもう一つのお店は、アニメ映画「君の名は」で主人公の瀧君と憧れの奥寺先輩がデートしたカフェです。

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ブラッスリー入口には、ポール・ボキューズ氏にまつわる展示がありました。

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お料理はいつもながら最高の素材に、完璧な火入れ。

そして何よりクレームブリュレ!

最後まで美味しく頂きました。

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美しいガラスの柔らかなシルエットに包まれて、空中に浮かびながら最高のサーヴィスで美味しいお料理をいただく。

こんな夢みたいな体験が出来る場所は、ここ以外になかなかないのではないでしょうか。

 

黒川紀章氏は数々の美術館を設計してきましたが、美術館をつくるにあたって「まず、最初に決めるべきは美味しくて楽しいレストランだ」と提言されました。

美術館がアートを体験するだけの場所ではなく、いろんな人々が訪れる場所になること。

そうすることが、これからの時代、美術館が都市で生き残る道であると。

 

国立新美術館では、この日も雨の中カフェ・グッズショップ・ブラッスリーとエントランスの空間が「まち」として機能し、人々が集い賑わっていました。

それは、彼の思い描いていた光景。

 

いつまでも降る雨のリズムは、胎内で聴く心音のように館内にいるすべての人を優しく包み込んでいました。

 

―旅の終わりに―

振り返れば、雨のおかげでいつもと違う旅になったように思います。

サウナに籠り、美しい橋でひとり霞んだ東京の夜景を堪能。

雲間に藝大を探索し、スカイツリーから絶景。

最終日は美術館で雨音に包まれる。

国立新美術館の「建築」そのものを感じる体験をさせて頂きました。

帰りの空港では、大雨のため飛行機は1時間遅れで出発。

ジェットコースターのようなフライトに最後までドキドキは止まらず。笑

今回も素敵な旅でした。

東京旅 2026 DAY2

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朝、目覚めると曇天。

雨の予報が曇りに変わったので、東京、少し歩きまわれそうです。

ホテル近くのビル中で朝食をとり、作戦会議。

雨のつもりで事前に「美術館や博物館でなにか面白いのやってる?」

と東京在住の息子に問い合わせていて、

「藝大でおもしろそうな展覧会やってるよ」

とリンクを送ってくれていました。

「東京藝術大学!」

東京藝術大学といえば、YouTube「アートゥーン!Artoone!」

メンバーが全員東京藝術大学卒業もしくは在籍中の方々で、その才能は素晴らしくいつも楽しく拝見させて頂いています。

その学び舎に入ることができるとは!

行きたい!行きたい!と調べたところ、なんと今日は「藝大祭」の日。

旅で学祭に行けるなんて奇跡!と家族にプレゼンの末、今日は藝大祭を楽しむことになりました。

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ということで、上野駅です。

最初の写真は、JR東日本とアートゥーン!のコラボで実現したデジタルアート。

JR渾身の超豪華列車、四季島が出発する13.5番線(かつての荷物専用ホーム)のとなり、13番線にある「PLATFORM13」で公開されています。

アートゥーン!メンバーで画家の真田将太朗さんが、上野駅で行ったライブペインティングを映像化したもので、他のメンバーの方々が撮影編集・音楽制作を行いデジタルアートとして完成させました。

こちらはYouTubeのJR東日本公式チャンネル「現代の「自由」をテーマにしたアートプロジェクト-制作の記録-」で見ることが出来ます。

このデジタルアートは、今回上野駅中央改札口にある猪熊弦一郎氏が描いた「自由」の、巨大壁画修復完成を記念して行われたものでした。

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ここでこの絵について少し解説を。

この絵が制作されたのは1951年(昭和26年)

戦争が終わって6年後のことです。

敗戦後の混沌とした日本で、駅の利用客に「これからは自由な時代だ!元気を出して生きていこう」というメッセージを込めて描かれた作品です。

当時としては華やかな色彩で、人や動物がダイナミックに描かれたこの作品は、日本のパブリックアート(公共空間のアート)として目にする人々を静かに励まし元気づけてきました。

猪熊弦一郎氏は、昭和から平成にかけて活躍した日本を代表する洋画家で、フランスに渡りアンリ・マティスの教えを受けた方。

絵画はもとより、三越の包装紙「華ひらく」のデザイン(赤と白の抽象的模様)をしたことでも有名です。

この三越の包装紙制作に、わが娘の大恩人、「やなせたかし」さんも関わっているのをご存じでしょうか。

いや、娘の恩人とはこちらの勝手な恩義なのですが。笑

やなせたかし氏といえば、泣く子もだまる「アンパンマン」の作者。

これ、本当に誇張ではなく、娘の勤務する保育園では「アンパンマン」で泣く子も黙るらしい。笑

娘が言うには園児一人ひとり推しが違うようで、アンパンマンが好きな子、ばいきんまんが好きな子、だだんだん推しと、それぞれの子どもにそれぞれの視点の「アンパンマン」という作品があるらしい。

子どもたちが騒いで困った時、喧嘩になった時、アンパンマンの曲をかけたり、ぬいぐるみや推しの話を聞いてあげるだけで、本当にあらゆる問題が解決するそうです。

やなせ先生、アンパンマンを生み出してくださって本当に有難うございます!

で、そのやなせ先生。

実は漫画家になる前、三越の宣伝部でグラフィックデザイナーとして働いていらっしゃいました。

包装紙デザインの際、猪熊氏が千葉県の犬吠埼の海岸で「荒波に打たれ、それでもなお凛と存在する海岸の石」を見て感動しデザインしたアートに、当時三越のグラフィックデザイナーだったやなせ先生が「mitsukoshi」とロゴを加えて完成させたのです。

時を経て変わらぬデザインの力に2019年「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞しています。

その猪熊弦一郎氏の上野駅の巨大なアート。

一年間に及ぶ修復工事のすえ、2026年3月に完了しました。

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上野駅に到着して早速アート三昧です。

そこから中央改札口と反対側にある上野公園に向かい東京藝術大学を目指して歩いていきました。

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見えてきたのは、たくさんのテント群。

みると藝大生のみなさんがおのおのブースを出して、自分の作品を展示販売されていらっしゃいます。

なるほど、上野公園はもはや藝大の敷地の一部なのね。笑

とてもたくさんあり、それぞれに力作で、ここで随分時間をかけてみて回りました。

そこからいよいよ藝大に向かいます。

公園を出てすぐにある遺構。

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これはかつて使用されていた京成電鉄の「旧博物館動物園駅」の地上駅舎。

1933年開業した駅舎で、当時この土地が皇室の財産だったことから建設の際、昭和天皇の勅裁を仰いだという由緒正しいもの。

当時、御料地にふさわしいものにと、豪華なデザインで造られましたが利用者の減少や老朽化を理由に1997年に休止。2004年に正式に廃駅となりました。

しかし、現在東京都選定歴史的建造物に指定されており、扉のリニューアルや修復は東京藝術大学と連携して実施されています。

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正門手前にグッズを扱うショップがあったので入店。

東京藝大Tシャツやパーカー、文具などなど様々売られる中、優秀者の展示が行われていて、ちょっとした美術展となっていました。

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そこからしばらく坂を上がると正門。

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壁の桜はリバース・グラフィティ。いわゆる洗浄アートです。

すごい勢いで水を噴射し、なんでも洗い流すと噂の「ケルヒャー」を使ったケルヒャージャパンとのコラボ作品。

正門に型紙をあて、汚れを洗い流し洗浄とアートを両立させた作品です。

4月の入学シーズンに合わせて制作されたこの作品は、SNSで大きな話題となりました。

ちなみに、桜は東京藝術大学音楽学部の校章にも使用されています。

伝統的な日本の美の象徴である桜の花と音楽を象徴する琴柱(ことじ)という「和琴の糸を留める柱」を組み合わせた校章。

藝大全体の校章は、アカンサスの葉のなかに「藝大」です。

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美術学部と音楽学部の校舎の間には都道が通っており、かつてこのあたりに崖があったことから屏風坂(びょうぶざか)と呼ばれていますが、そこにずらっと巨大神輿が展示されていました。

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娘は巨大な雄々しいお神輿の背後に、そっと平和に生きるこのカタツムリがお気にいり

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こちらが音楽学部の校舎正門です。

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守衛さんの建物前にあった一旦停止の標識。

調べてみると、こちらは藝大の鋳金(ちゅうきん)研究室が制作したパブリックアートらしい。

こうした小さなものから校舎など大きなものまで、あらゆる場所がアートに満ちていて大学という自由な空気と一流の学生たちの心遊ぶ空間が本当に素敵だと思いました。

ちなみに

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こちらの音楽学部では、声楽科の学生たちがテノールでオペラの一節を歌い上げ

「焼きそばどうですか~~!!」

といい声で営業し、その隣では

「たこ焼き美味しいですよ~!」

とチューバの先だけ(正式名称 ベル(朝顔))を使って絶叫しており、

おぉぉ!THE 藝大祭!!と、こちらのテンションも上がりました。笑

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最後に少しだけライブを見学。

バンドの方たちのクオリティはもちろんプロ級。

照明や音響 舞台の装飾も、それぞれの学科で日頃勉強している成果が発揮された素晴らしいものでした。

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そろそろお昼食べに行こうか。

ランチは上野に来たらいつも純喫茶。東京在住の息子も合流する予定です。

坂道を下り駅に向かう道すがらの標識に貼られたシールや歩道の柵にわざわざ施された木の覆い。

どこまでがいたずらで、どれが本当の設置物なのか。わからなくてオモシロい。

なんだか不思議なエリアでした。笑

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上野公園を通り抜け駅に向かう途中。

こちらは本物のポスト。今はいないパンダのポストが、ちょっと切ない。

関西では和歌山も同じくで、JR「くろしお」のパンダ車両を見るたびキュンとします。

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今から向かうのは純喫茶「古城」。

道すがら、あらゆるものがアートに見えます。

これは、私にはウルトラマンの怪獣カネゴンへのオマージュに見える。笑

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古城到着!

時間は2時を過ぎていましたがずらり行列。

息子も合流して、結局一時間ほど待って入店しました。

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店内はノスタルジックな喫茶店。

ナポリタンが有名で、主人はそれを楽しみにしていたけれど売り切れ。

パスタ茹でれば作れないのかなとぼやいていましたが、喫茶店のナポリタンは基本前日に茹でて冷蔵庫で一晩寝かせて作ります。

そのストックがなくなったんじゃない?と説明して納得。

ラスト一つだったハンバーグセットを注文して子どもたちもそれぞれ注文しました。

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チョコレートパフェ•たまごサンドセット•ハンバーグセット•ミルクセーキ

もうすぐ晩御飯なので私は軽めにミルクセーキ。小さい頃、母が作ってくれた思い出の飲み物です。

さて、今日はなんとかお天気も持ちそうです。

次は主人のリクエストで国立競技場を見に行くことにしました。

電車で「千駄ヶ谷駅」へ。

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わお!宇宙船みたいな、カメムシみたいな。笑

こちらは東京体育館。

この場所は、江戸時代は紀州の徳川家下屋敷

明治以降は徳川宗家の邸宅がありました。

1954年(昭和29年)に東京都体育館となり、1964年の東京オリンピックではここで数々の日本選手が金メダルを獲得しました。

1990年に建築家槇文彦氏の設計で建て替えが行われ、TOKYO2020のオリンピックでここは卓球の試合会場となり、混合ダブルスで日本のチームが金メダルを獲得しました。

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その奥に見えてきたのが、東京2020オリンピック・パラリンピックで建てられた国立競技場。設計は、一日目訪れた高輪ゲートウェイ駅でもお馴染み、隈研吾さんです。

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建物の外観は競技場としてはかなり低く抑えられ、近隣の神宮外苑の景観に配慮したものとなっています。

また、隈研吾氏のモチーフでもある木を使った建築となっていますが、この木は47都道府県から取り寄せられた杉(沖縄だけは松)を使用しており、取り寄せた地域の木が、スタジアムの方位とリンクするように施工されているそうです。

そして日本特有の軒や庇(ひさし)の役割を持つ設計により、風が抜ける仕組みを利用してスタジアムの熱と湿気を上空に逃がしています。

また、木の経年劣化により景色になじむことを意図しており、時間と共に完成していく建物となっています。

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5階に空中庭園「空の杜(もり)」があると聞き、ぐるり散歩してみようと行ったのですが、この日は閉鎖で残念でした。

建物をしばし散策していると外周を走るランナーの方々。距離はちょうど一キロ程です。

敷地内には様々オリンピックにまつわるものがあり、お散歩にはよさそうです。

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例えばこちら。競技の種目を表した「ピクトグラム」

開会式で行われた「ピクトグラムの連続再現アトラクション」は大いにバズりました。

ピクトグラム下にはメダリストの銘板。

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こちらは東京2020の聖火台。

太陽がモチーフで、環境に配慮した「水素」を燃料として聖火が灯されました。

敷地内には他にも様々見どころがあるよう。

【旧国立競技場にあった「野美宿禰(のみのすくね)像」とギリシャの女神像の壁画】

野美宿禰は、相撲の始祖とされる人物でギリシャの女神と共に勝利や栄光の象徴

修復されて展示があります。

 

【1964年に行われた東京オリンピックの聖火台】

 

そもそもオリンピック招致のアピールとして行われた「アジア競技大会」で使用された聖火台。

依頼された職人が精魂込めて制作の途中、溶けた鉄を流し込む工程で鋳型が吹き飛ぶ大爆発を起こし作業場は大惨事になります。それがもとで依頼された職人は心労で死去。

爆発の後引き継いだ息子は納期に間に合わせるよう必死で造り上げ完成と共に、心労で亡くなった父の死を知ります。職人が、命を賭して完成させた聖火台。

東京オリンピックの際に新しく聖火台を造ろうという案が出た際には、当時の大臣が「これは職人が命を懸けて作った聖火台だ!これを使わず何を使うんだ!」と一喝して聖火台続投が決まったという逸話も。

 

【織田ポール。(高さ15m21cm)】

 

1928年。アムステルダム大会で日本人初の金メダリストとなった陸上競技、織田幹雄さん三段跳びの記録と同じ高さでつくられたポール。

その時代、まさか小さな島国日本の選手が金メダルを獲ると思わず。

表彰式で大会主催国のオランダが国旗も国歌の楽譜も用意していなかったため大会関係者は大混乱。

国旗は女子800mで銀メダルをとっていた人見選手が、「織田さんが優勝したらこれで身体を包んで祝福しよう」と持参していた特大サイズの日の丸を使い、国歌は急遽口伝えで楽団に教えられ、演奏されました。

そのため2位3位の国旗に比べて超特大の日の丸がはためき、国歌は君が代の途中から演奏が始まるという表彰式に。

しかも当時、表彰式がすべての競技終了後行われていたため、織田氏本人は次の大会開催国フランスに向けて移動しており、表彰式に本人不在という、何とも大混乱の日本初金メダルとなったそう。

 

これらの展示物の場所は「国立競技場 施設案内マップ」で検索するとpdfファイルを見ることができます。

そして、

私のお気に入りは、入場ゲートの改札機。

こちらはコロナ禍で行われたオリンピック以降、非接触がキーワードの現代において便利な改札機です。

ライトに照らされたシルバーの姿が未来的で好き。

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さて、ぐるっと半周してから「信濃町駅」へ。

神宮球場が近いのでスワローズがお出迎え。

この日は試合があったので続々とファンの方々が球場へ向かわれていました。

村上春樹さんもこの道を通われたのかしら。

彼はヤクルトファンで、かつ公式ファンクラブの名誉会員です。

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さて、再び電車に乗って「高輪ゲートウェイ駅」へ。

昨日見損ねた、隈研吾氏のビルを見に行きます。

今回の旅は、図らずも彼の建築をめぐる旅になりました。

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緑が建物と一体化した文化創造棟「MoN  Takanawa:The Museum of Narratives」

江戸時代、江戸の南の端とされ、高札場があった高輪。

大きな門が設置され、朝夕門を開閉し監視することで不審者の侵入を防ぐ、江戸を守る大切な場所でした。

それにちなんだMoNには、ゲートとしての「門」と、この施設から社会や訪れた人々の内面に向けて「問」問いかけ未来を創造するための場所、という意味があるそうです。

ミュージアムとありますが、カタチがあるものを展示するのではなく、体験を繋いでいくための場所。

広い畳の間や足湯など、イベントも多数行われ誰でも無料で入ることが出来る建物です

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館内にはいまや見慣れた警備ロボットがいました。

これも高輪ゲートウェイシティの未来に向けた実証実験の一つ。

人流データを分析して警備ロボットの動きに連動させているはずです。

この時はここでじっと見守ってくれていましたけれど。。

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こちらは足湯。外国人には簡単な日本文化の体験場所になりそうです。

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この建物の前に一日目で紹介したiinoの乗り場があったのですが、なぜかここまでiinoが来なくて、みんな途中で戻っていってしまいました。残念ながら、諦めて出発。

夕食は息子が予約してくれた居酒屋さんに向かいます。

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電車で「南千住駅」へ。

駅からはスカイツリーが見えてテンションが上がります。

そこからタクシーで向かったのは

「遠州屋本店 高尾」

ここは大正15年創業、100年の歴史を誇るお店です。

日本酒も選りすぐりのものが置かれ、酒場放浪記で吉田類さんも訪問したお店。

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店内は清潔で、小上がりにカウンターとカジュアルながら仕事は一流です。

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お通しはところてん。

関西なら黒蜜でおやつのところてんですが、関東は酢醤油。

江戸時代、関東のファストフードだったところてん。

労働者が蒸し暑い夏の塩分補給や疲労回復のために、醤油やお酢を使って味付けしたのが酢醤油文化の由来。

関東では千葉の野田や銚子で醤油造りが盛んで、東京への流通もよかったことから酢醤油が流行りました。

それに対して関西では宮廷文化や茶の湯文化が馴染み深く、夏の和菓子といえば葛切り。

けれど、葛は当時高級品。

そこでところてんを代用品として、長崎の出島から入ってくる「砂糖」を使った黒蜜をかけて頂くスタイルが定着しました。

当時大阪は「天下の台所」といわれるほど日本中の食材が集まる場所だったので、貴重な砂糖も身近なものでした。

根っからの関西人の私は酢醤油の関東風が苦手。

そう来たか、と思いつつ一口するり。

美味しい~!!いいお店の酢醤油はこうなるのか、と目の覚めた気分でした。

お通しで確信したお店の味へのこだわりは裏切ることなく、関西人の私にも優しく馴染む美味しさ。

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ズッキーニのお漬物も美味しく、タコの唐揚げ、ミミガー、しらすの焼きそば、など。

そしてお刺身!!

鰹のお刺身が絶品で、とろける食感と美味しさでした。

お酒も一つひとつ丁寧にラベルを見せて下さり説明して下さいます。

こちらの合いの手にも、さらに上回るトピックを添えて応えて下さって、耳も口も心も満たされる江戸の名店でした。

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ご馳走様でした!

さて、思いのほかお天気も回復したので予定通りスカイツリーに上がってみようか

ということでスカイツリーに移動。

息子は何回も上がったことがあるのでここで帰るねと。

大阪チーム3人で絶景体験です。

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エレベーターでするする上がると。。

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わぉ〜!

関東平野の光に覆われた景色は、やはり日本の首都 TOKYO!

あの中央一番奥に架かる青色の橋が「東京ゲートブリッジ」。

昨日はあの橋から、東京を眺めていました。

昨日触れたあの橋を、今日スカイツリーから眺めている。

現代の恵まれた時代に感謝です。 

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私の住むまち大阪は江戸時代、なにわ八百八橋(はっぴゃくやばし)と言われるほど川があちこちにあり、そこに架かる橋も多かったのですが、東京も大阪と同じく川上から流れてきた堆積物が広がって土地が作られてきた三角州。

海に流れ出る川があちらこちらにあり、治水と共に橋がかけられ、人々が往来することでまちが発展してきた歴史があります。

明治以降の近代化に伴い建造されてきた橋は、当時のモダンなデザインから現代の最先端のデザインまで様々。

それらが共にまちの景色を作り出している。

それは私にとっての東京の魅力の一つです。

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スカイツリーのカタチのポストですが、ポストだけに赤色で東京タワーみたいです。笑

スカイツリーが描かれた記念スタンプが押され郵送されるんですって。

さぁ、楽しかった一日も終わり。

明日は一日大雨の予報で、いよいよ室内で過ごす予定です。

博物館、美術館、水族館、プラネタリウム。

どうしましょうか。

外に出て見上げると、色を変え見送ってくれるスカイツリー。

その迫力ある美しさに、いつまでも見とれてしまいました。

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東京、やっぱり好きだなぁ。

余韻をまとい地下にもぐると、線路をなぞりホテルへ。

シャワーを浴びたら心地よい疲れとともに、あっという間に眠りにつきました。

東京旅 2026 DAY1

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朝早く、ひとり東京へ。

主人は大阪で仕事を済ませてから。

娘は夜、仕事終わりで羽田へ飛び、

翌日、東京で働く息子も合流して、

週末、二泊三日の東京旅です。

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が、3日ともあいにくの雨予報。

ほぼ予定を立てておらずどうなることやら。

第一日目。

主人は午後から東京で仕事。会食のあと宿泊するホテルに向かう予定。

なので、私は丸一日、ひとり旅満喫です。

まずは飛行機で関西空港から羽田まで移動。

大阪から東京のフライトは左席がベストと言われていますが、今回は右窓側。

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けれどインフラ好きの私にとっては、日本製鉄の工場や海ほたる(神奈川と千葉を海中で結ぶ東京湾アクアラインのパーキングエリア)を上空から見られて幸せです。

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その近くにあるのは「風の塔」

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先ほどの東京湾アクアラインの海底トンネルを支える巨大な換気施設です。

ヨットの帆の様な形をした大小2つの塔が、空気力学を利用してトンネル内の空気を循環させています。

建設時にはここを拠点に巨大な掘削機を投入

トンネルを掘り進める「発進基地」としても使われていました。

海面下には東京ドームがすっぽり入るほどの地下空間が隠れているそうで、普段は無人ですが、特別なツアーに参加すればそのふもとまで行くことが出来るようです。

一度間近で眺めてみたい。

羽田空港からは久しぶりに東京モノレールで浜松町へ。

かつて仕事でよく使っていた路線は、私にとって思い出深い景色です。

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浜松町に着けば、いつもついでに訪れるJR3・4番ホーム端にある小便小僧。

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こちらは鉄道開通80周年を記念して、歯科医師の方が寄贈されたもの。

毎月ボランティアの方々によりお衣装が変わります。今月は浴衣姿でした。

さて、目的地は高輪ゲートウェイ。

新しくできた駅を今更ですが見学したい。

そして、サウナ人気に火をつけた漫画「サ道」の作者タナカカツキ先生プロデュース、「SAUNAS」のサウナを体験しに行きます。

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電車からは、木を使った建築で有名な隈研吾さん設計のビルがチラリ。

車内からは巨大すぎて、全貌は見えません。

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駅に到着すると光を通す大屋根に守られた、安心感と開放感。

こちらの駅も隈研吾さんの設計です。

全体的に「和」と「未来」がテーマ。

白い屋根は折り紙がモチーフで、夜になり、ライトがつくと「行燈(あんどん)」のような光となります。

高輪ゲートウェイのとなりにある品川駅は、「リニア中央新幹線」の始発駅となる予定で、現在絶賛工事中。

品川駅と高輪ゲートウェイ駅は距離が近く、最終的には駅ビルなどをはさみつつ一体化した仕様になるようです。

そして、リニアのみならず将来的に羽田空港ともJRで直通となる予定で、海外からの利用客を意識した「和」と「未来」というコンセプトのようです。

それらがすべて完成したあかつきには東京駅よりもホットな場所になるかも。

そこで駅の発車メロディーも大変豪華で、JRというより、ディズニーランド?!という感じ。

YouTubeで「高輪ゲートウェイ発車メロディ―」と検索すると聞くことが出来ます。

ご興味あれば是非。

曲名は「Glorious Gateway-The Theme of TAKANAWA CITY-」

作曲はあの服部隆之さんです。

そして、演奏は天下のNHK交響楽団!

どおりで臨場感がハンパじゃない。

番線によって曲の分割とアレンジが違います。本格ゴージャス演奏は一番線がオススメ

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ところで、山手線にとっては「西日暮里駅」以来49年ぶりの新駅誕生。

未来をみつめたこのエリアでは、様々な実証実験が行われています。

その一つ、改札口横にある無人コンビニ。

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ここはレジに人がおらず、中に入って商品を手に取り、出口の会計台に置くと自動的に値段が表示され、支払いをしてお店を出るシステム。

完全無人かと思いきや、荷出しはやはり人間が行っていました。

うーん。超怖いと噂のお化け屋敷に入って、お化けがクシャミしてるの聞いちゃった。みたいな感じかなぁ。惜しい。

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駅を出ると気になるのがこちら。

広いひろい高輪ゲートシティを時速5キロで自動走行してくれる「iino」

こちらも未来を意識した実証実験の一つです。

関西電力の社内起業イノベーションから生まれたプロジェクトで、現在は「ゲキダンイイノ合同会社」という法人名で展開しています。

乗り物なのに早くない。時速5キロから生まれる景色や体験を楽しむことをコンセプトにしており、使用する電力は「水素」由来のもの。

水素エネルギーについて、詳細は過去のブログ「水素燃料電池船「まほろば」乗船!万博最後の思い出」をご参照頂けると、拙いながら少し理解を深めて頂けるかもしれません。

https://habbule-no-neko.hatenablog.jp/entry/2025/10/23/154427

ちなみに、この「まほろば」

今は東京にいるようで、先ほど羽田空港から浜松町に向かうモノレールの中から、たまたま係留されているのを見つけていました。

つい嬉しくてニヤニヤ。笑

ところで、高輪ゲートウェイシティの「iino」。

絶対乗るぞ!と意気込んでいましたが、結構並んでおられ、今回は涙をのんで断念。

あとで知ったのですが、羽田空港第二ターミナルにも2025年3月から導入されているそうで、そういえば帰る時それらしきものを見ました!

あれって乗ってよかったんだ。

今度は絶対乗ります。笑

高輪ゲートウェイシティのスマートシティの取り組みは、他にも「100年先の心豊かな暮らしのための実験場」を掲げて、生ゴミを処理して温水を作り出す「食品廃棄物処理システム」が導入されたり、将来的には「空飛ぶクルマ」の発着を見据えた実験やインフラ整備が行われているそうです。楽しみですね!

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さて、次に駅から見える建物をご紹介しましょう。

左に見えるのは「THE LINKPILLAR1」のSOUTH(南)棟

こちらには大規模コンベンションホールと「JWマリオット・ホテル東京」

そして低層階にショッピングセンター「NEWoMan TAKANAWA]があります。

日本語表記は「ニュウマン高輪」

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資本がルミネで、東京では新宿が有名でしょうか。

ルミネは若いお嬢さん方をターゲットにしたおしゃれにこだわったファッションビル。

こちらはさらに、もう少し大人の女性をターゲットにした展開になっており、NEWoManの表記にしのばせた小さな「o」がWoman(女性)を浮かび上がらせます。

なので、日本語表記もニューマン(男性)ではなくニュウマン。

とはいえ、男性お断り!ではなくビジネス街もあるので平日はむしろ駅付近は男性多め。

そんな男性たちが大切な女性をここに連れてきて、ショッピングやレストランでご機嫌をとると大抵の問題は解決しそうな、そんな素敵な場所です。笑

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こちらはNORTH(北)棟。

低層階はショッピング。

28・29階にはレストランと無料展望フロアがあります。

5階からは北も南も駅が見下ろせて観光気分

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北棟には展望フロア直通のエントランスがあり、「LUFTBAUM」こちらはドイツ語をもとにした造語で空中庭園を意味します。

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28階まではあっという間。

木々が出迎えてくれる癒しの空間でした。

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見える景色は新宿方面など。東京タワーとスカイツリーは角度の関係で見えません。

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28・29階共にレストランが多数。お店によって見える景色が違います。

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後日、息子にこっちにも展望エリアあるよと教えてもらった28階奥のエリア。

ここからはお台場やレインボーブリッジが見えました。夜景が美しそうですね。

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さてさて、いよいよ本日の目的地「SAUNAS」へ。

北棟5階にありました。オシャレ!!

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中に入ると大きなラボのようなもの。

こちらでは先ほどの空中庭園で剪定された木や葉を使ってアロマ成分を抽出しています。

サウナで使うロウリュウ(サウナストーンに水をかけて蒸気を出すこと。部屋をさらに温める効果がある)に、このラボで抽出したアロマオイルを使っており、植物の循環を行っています。サステナブル。

採れたてフレッシュなアロマオイルは、呼吸を通して肺から身体の隅々まで浸透。

最高のリフレッシュとリラクゼーションを頂きました。

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SAUNASは、サウナ大好きな息子が先に体験済みで「すごくよかったよ」とオススメされたので私も体験しに伺いました。

先ほどのラボにはカフェも併設されていて、そこだけ利用することも出来ます。

メニューはイケてる高輪にある施設ならでは、すべてヴィーガン。

カフェと反対側にはワーキングスペース。

半個室もあり、なんと壁は吸音仕様でズームで会議もできます。

隣にはナップルームがあり、仮眠ができるよう薄暗い部屋に絶妙な角度の椅子が並んで快適そう。

さらに奥へ進むとホールがあり男女そこで分かれます。

広くて清潔なロッカールームから浴場へ。

入ってすぐに温かい浴槽があり、サウナが男性5種類、女性3種類。

男女とも一部ガラス張りのサウナがあり、

もちろん外からは見えないよう処理されていますが、中からは外の景色を眺めることが出来ます。

実は高輪ゲートウェイシティ工事中に、日本初の鉄道開業時の海上線路土台「高輪築堤(たかなわちくてい)」の遺構が出て、それは日本の歴史や文化に関わる大変貴重なものということで、現在保存する方向で当初の工事予定を大きく変えて保存工事中です。

女性サウナからは、なんとその現場が眺められるという絶景!!

日本の近代化はここから始まったのだと、サウナからガラス越しに眺める体験は、信じられないくらい現代が豊かなものである、と感じることができます。

さて、アツアツになったところで身体を冷やすのは水風呂。

深め(15度)と、寝るタイプ(18度)の2種類。

それにガッシングシャワー(チェーンをひくと上から大量の冷水が降ってくるもの)があり、もちろんトトノイスペースもあります。

東京の水なのに、温度が絶妙だからでしょうか。

なんとも清らかで肌馴染みがよく、最高の水風呂です。

特筆すべきは、様々行われるイベント。

アロマ水で行うロウリュウと、その道では有名な方が来て行うこともある扇やタオルのアウフグース(熱波をあおいで全身に届けてくれます)。

塩か砂糖を選び、ハーブと混ぜて身体に塗布し、皮膚を美しくするスクラブ体験。

極上の香り高い葉つき枝でアロマ水を全身に降らしてくれるウィスキング。

シンギングボウルという器で癒しの音を奏で、サウナで瞑想する体験者を音で包んでくれるサウンドリトリートなど。

様々なリラクゼーション体験が味わえます。

男性サウナでは、羨ましいことにドラマ「サ道」の音楽を担当したとくさしけんごさんの音楽を聴きながら、サウナ界のゴッドファーザーともいわれる米田行孝さんが構築した水盤からの反射する光に癒されるサウナがあるそうです。

また、別途要個室料金のエリアにある「FUONE(フオネ)」では、

あの!!あの!!

マグ万平さんが監修した完全個室で、先ほどご紹介したウィスキングの本格的な施術を、万平さんから受けるプランがあるそうです!これは羨ましすぎる(涙)

まさかとは思いますが、ご存知ない方のために、マグ万平さんの紹介を少し。笑

万平さんはお笑い芸人でありながら、日本の今日のサウナカルチャーを大きく牽引してこられたサウナの伝道師。

彼の番組「マグ万平ののちほどサウナで」はYouTubeでも見ることが出来、全国各地のサウナを本当に魅力的に紹介しておられ、彼のトトノイ顔を拝見するだけで、こちらもトトノえる大変お得な番組となっております。よければ是非ご覧くださいませ。

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ふぅ。サウナだけにアツく語ってしまいました。(ウマい)

本当は、さらに奥に進んだ場所にある隈研吾氏設計のビルもご紹介したいのですが、今から本日二皿目のメインディッシュに向かわねばなりません。

残りのビルは、2日目のブログでご紹介しますのでお楽しみに。

ということでここから電車に乗って移動します。

ちなみに、

フォントフェチの私。

「高輪ゲートウェイ」なんで明朝体?と思った瞬間、後ろを歩いていたカップルの女性が、「なんで明朝体にしたんだろうね」と同じ感想をもらし、思わず彼女の手をがっつり握りそうになりましたがグッと我慢。

あとで調べるとどうやら木の建造物とトーンをそろえる為に隈研吾氏が明朝体に決めたそうです。

それぞれ賛否両論あるそうですが、外国人にはザ・日本語的な感じでいいのかもしれません。知らんけど。(←大阪)

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さて、せっかくいい感じにフワフワ気分なのですが、ここからは私が是非とも訪れたかった、もう一つの目的地「東京ゲートブリッジ」に向かいます。

電車を乗り継ぎ「新木場駅」へ。

ここはかつて木材の集積所だった木場駅周辺から、地盤沈下や渋滞の理由で新しく移転するために作った埋立地です。

現在、周辺には材木を扱う工場などが多数あります。

新木場駅からバスで「若洲キャンプ場前」まで15分ほど。

バス停から3分ほど海側へ歩くと白いタワーが見えて、ここから橋の上に上がることが出来ます。

タワーの奥には防波堤で釣りが出来るエリアもあり、ここに来る人は、ほとんどが釣り目当て。橋を歩いて渡りたいとここに来る人は、私しかいませんでした。ウフフ。

橋、独り占めです。

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大丈夫。エレベーターあります。笑

下の写真は釣りエリア。誰でも入れるので私は橋を歩いた後にヒールでこの防波堤の奥まで行って橋を下から撮影しました。

おかげでせっかくのアロマ風味が潮風味になりましたが、一片の悔いなし。

絶景堪能でした。

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エレベーターで橋の階まで。

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橋を渡ることができる時間帯は季節や天候で変わります。

この日は夕方7時に閉鎖。

事前に調べたら夏季は21時までとあったのですが、どうやら運用が変わったみたい。

定休日もあるようで、事前にしっかりチェックすることを強くオススメします。

到着したのは18時でしたが、19時には閉まると警備員さん。

あわてて小走りです。

だけど。。。

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広がる絶景!!!!

写真ではわかりにくいのですが、手前の工場の奥にはスカイツリー。

その左には海をはさんで東京の高層ビル群が、まるで一枚の壁のようにずらーっと立ち並んでいます。

その左端は神奈川県の横浜方面まで続く、大パノラマ!

東京を俯瞰で見渡すことができる絶景穴場スポットに、何枚も撮影して歩みが滞りがちです。

そして何より

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橋の美しいこと!!!

本来なら組み立てるための留め具や、工事用のマンホールなどが残るはずなのに

サロン帰りの女子くらいツルッツルです。

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この滑らかな肌には秘密があります。

ということで改めて「東京ゲートブリッジ」

ご紹介致しましょう。

東京ゲートブリッジ。開通は、2012年2月。

東京都江東区若洲と中央防波堤外側埋立地を結ぶ全長2,618メートルの巨大な橋です。

東京港の渋滞緩和や臨海部の物流をスムーズにする道路として造られました。

構造形式は、鋼3径間連続トラスボックス複合橋。

「こう さんけいかん れんぞくとらすぼっくす ふくごうきょう」

「鋼」は、スチール(鋼鉄)で造られている

「3径間」は、橋脚と橋脚の間の空間が3つある構造で

「連続」は、その3つの区間が途切れずに、1本の繋がった構造になっている

「トラスボックス」は、三角形を組み合わせた骨組みと箱型の断面を組み合わせた形状

「複合橋」は、それを異なる材料や構造形式を組み合わせて造った橋だよ

ということを意味しています。

ややこしいので覚えなくてもいいですが、他にもあまたある橋の工法のなかから考え抜いてこうなったのには、この橋の立地が関係しています。

この場所は羽田空港に近いため、飛行機の安全な運航に向けて「橋の高さは87.8メートル以下」に抑える必要があり、同時に下は大型船舶が安全に通行できるよう「海面からの桁下は54.6メートル以上」を確保しなければなりません。

この厳しい条件をクリアするため、三角形を組み合わせた特殊な「トラス構造」が採用されたのです。

トラスの強みは外部からの圧力に強いこと。

四角形だとチカラを加えると簡単に歪みますが、三角形は力を直線的に逃しあっていることから外から加えられる圧力に強い性質を持っています。

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左右の若洲側と中央防波堤側からそれぞれ骨組みを突き出し、最後に真ん中でつなぐ設計にした結果、できあがったシルエットが「2頭の恐竜が首を伸ばして向き合っている」ように見えることから別名「恐竜橋」と呼ばれています。

自動車も歩行者も無料で通行できる橋。

歩道からは、天気が良ければ富士山や東京スカイツリー、東京タワー、お台場といった東京の名所を一望でき、絶景の空中散歩を楽しめます。

そして、時間帯によっては中央防波堤側に降りることも出来ます。

ただし、安全上の理由から自転車や原動機付自転車での通行は、手押しでも禁止。

ペットを連れての入場も禁止です。

夜間には毎日ライトアップが行われ、1月の「白金色」から12月は「緋色」と毎月異なる日本の伝統色を楽しむことができます。

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あまりの長さに途中非常用電話も設置されています。

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暗くて分かりづらいのですが、堰き止められているエリアは「海の森水上競技場」。

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックで使われた国内唯一の国際規格ボート・カヌーコースです。

絶景が続く橋の景色に夢中で、随分橋を渡ってきましたが、既に18:30。

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残念ですが、そろそろ引き返さなければなりません。

ここまで橋の途中には、カップルが座れる椅子や橋の柵が所々透明のプラスチック板になっていて景色が見えたり。

私が東京に住んでいたらここにランチboxと小さなワインボトルを持参してパーティーするのになぁ。など、妄想が広がります。

「うわぁ!ワインの「栓抜き」忘れた」とか言いながらね。笑

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それにしても、本当になめらか。

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ふつうはボルトで組み立て固定する橋ですが、東京ゲートブリッジでは職人さんたちが高所もいとわず鉄板同士を溶接することでこの「なめらかさ」を実現したそうです。

言葉にすれば簡単ですが、

この巨大な橋を造るために日本最大級のクレーン船が3隻で、3つに分けた橋の巨大なパーツをそれぞれ息ピッタリに合わせて波打つ洋上を運んだ奇跡。

それら橋のパーツを造った大阪の堺から東京へ輸送した際、波の影響で歪んだものを、一から造りなおすという安全へのこだわり。

組み立てた橋、一本一本の鋼を完璧ななめらかさで溶接するための工夫と、職人さんたちの過酷な環境での完璧な仕事の数々。

本当に奇跡と努力の結晶が、この一本の美しい橋を完成させたのです。

おかげで今日東京に旅して、この橋の美しさに感動し、歩いて橋をなでることができたことは、私の人生において貴重な旅の思い出となりました。

工事に関わられたすべての方へ。

本当に有難うございました!

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ちょうど7時前にエレベーターを降りて警備員さんにお礼を言い、名残惜しさに釣り公園を歩き続けて写真を撮影。

2匹の恐竜に「ありがとね」と呟いてバス停へと戻りました。

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行きには気づかなかったけれど駐車場には蟹の時計。

蟹も時を刻みつつ、遠くから恐竜を眺めています。

ね、綺麗だよね。

バス停が見えると既にバスが待機していて、

ここは本数が少ないので奇跡!

乗るとすぐ、「発車しまーす」とバス停を出発しました。

実は行きもなんとなくバス停に向かったら迎えに来たよ、みたいにバスが来てすぐ発車。

なんだかご縁を頂いたみたいで、感謝です。

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さてさて、

すべての欲を満たし。笑

あとは食欲。晩御飯どうしようかな

実はどれくらい橋にいるかもわからず、何も決めていませんでした。

そういえば、食べることに妥協しない息子が以前「銀座に美味しいイタリアンの立ち飲みがある」と言っていたのを思い出しました。

検索するとまだ営業している時間みたい。

イタリアのヴェネチアンスタイルのお店「オステリア ダ アダ」で晩御飯を頂くことにしました。

人気だから人がいっぱいだよ

と、言われてはいましたが。。

ビルのエレベーターを上がり扉が開いた瞬間けたたましい話し声と、人ヒトひと!

エレベーター開いてすぐ立ち飲みテーブル。そこに人がたっぷり群がり、ワインと美食にまみれて喧々諤々(ケンケンガクガク)やっています。

その迫力に一瞬たじろぎましたが、ここで負けては美味しい晩御飯にありつけません。笑

失礼しまーす!と通り抜け、なんとかテーブルの一角を確保。

席を確保してから飲み物と食べ物を注文しにいくシステム。

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飲み物のレーンでイタリアのビールを注文し、隣で食べ物を注文。

そういえば、サウナ上がりにイオンウォーターを1本飲んだきりでした。

ビールとワインが芯から沁みます。

ヴェネチアで小皿料理を意味するチケッティも美味しく、大満足のお夕食となりました。

ちなみにお店を言わず家族ラインで写真だけあげたところ、息子から即レスで「オステリア ダ アダだね」と返信。

美味しいものに鋭敏な感性は、私の子育ての自負となっています。笑

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有楽町駅に到着しましたが、あともう少し食べたいな。

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小さいサイズのラーメンが頂けるお店を探したところ、ちょうど駅前に有名店がありました。

ラーメン「阿夫利」

お店イチオシの塩ラーメンの小さなサイズを頂きました。お腹いっぱい。

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今日はひとり東京、満喫しました。

このあと電車で移動し駅前のホテルに向かったのですが、雨のなか迷い30分かけ到着。

娘は雨で機材調達が滞り伊丹空港で、

「もしかしたら民家が近い伊丹空港ならではの「空港発着時間制限」で飛べないかも!」となり、それならとパスタを食べつつ待機。

なんとか予定から1時間遅れて最終便となった飛行機で伊丹を出発し、夜遅く、疲れ果ててホテルに到着しました。

ふぅ、なんとか家族そろって良かったです。

明日は雨から曇り予報に。

さて、どこに行きましょう?

 

YAGI ヤギ 山羊 八木 もしかしてYagee?

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実は少し前、大雨で実家が雨漏りをして屋根の修理をお願いしていました。

お願いしたのは、屋根を直して120年。

老舗の建築会社さんで、足場組みにはあの世界文化遺産「姫路城」の改修で足場を組んだ職人さんたちが来て下さいました。

母がご近所の奥様から紹介してもらったのですが、実家は兵庫県。

そこから見積もりから工事終了まですべて東京在住の弟がやり取りしてくれて、施工担当の皆様のみならず弟、義妹にも感謝です

 

お盆がきて、東京から弟家族が実家に帰省。

そこで私たちも、大阪から兵庫の実家に向かいみんなで集まりました。

工事が完了して初めて訪れる実家です。

家は外階段で屋根上に上がれるようになっており、到着早々

「新しくなった屋根見に行こっか」

と、弟と共に上がりました。

屋根の上には爽やかな風が吹き抜け、最高!

落ちると最高にアブナイ場所ですが、

父が存命の頃はここで一緒にウイスキーを飲んだりした思い出深い場所です。

「屋根キレイになったね!」と私。

すると、弟がアンテナを指さし

「うん。そうやね。でもなんかあの屋根の上の「YAGI式アンテナ」がもう古いから変えないとっていう話になってて。。」

私「んん?Y・A・G・I・ぃ?」

 

私の頭の中では、レコード盤がンンンと起動

「メ〜リさんの♫」が流れつつ、あ、それは羊か〜、え~と、やぎぃ、

それは山羊?八木?それとも英語でYagee?

そんな単語あったかしら。あ、でも

山羊のあばら骨ってあんな感じかぁ。。

あ〜、そういえばなんかモンゴル民族の宴的な映像で見たことあるわぁ!

いやいやいゃ、違う。

それは羊か。(改めてメ〜リさんの♫)

 

と、頭の中でぐるぐる回りだし、

「やぎぃ?」

と言ったきり、しばしフリーズ。

弟「あ、なんかあのアンテナね八木式って言うらしいよ」

ふぅ〜ん!そうなのねぇ。

ということで、

帰って八木式、調べてみました!

 

すると、そこには大変面白い話が詰まっていたので、これは皆さんとシェアしなければ!とスマホを握った次第です。

 

アンテナの写真ナニ?と思われた皆様。

ここからが本題になりますのでお楽しみに。

(その読者層がどれほどいらっしゃるかは、心もとありませんが。笑)

 

【とりあえず、アンテナについて】

さて、「アンテナ」と一言で言っても、何を受信したいかによってモノが変わってきます。

テレビの地上波、衛星、無線、Wi-Fiなど様々。

そして、アンテナの種類はというと

八木式アンテナ・デザインアンテナ・ユニコーンアンテナ・パラボラアンテナ

ホイップアンテナ・パッチアンテナ・ダイポールアンテナ・ループアンテナ

 

などなど。たっぷり種類があります。

詳細は省きますが

なるほど、ここから見える家々の屋根を見てもそれらしいものがいくつか。

自称マンホーラーの私は、いつも地面ばかり見つめていましたが、これからは屋根の上も楽しみになりそうです。笑

 

【いったん、電波について】

ところで、皆様。そもそもテレビってどうやって映ってるのかご存知ですか? 

テレビ局から「電波」なるものでビビビと送信。

自宅になんとなく届いてよく分からない仕組みを通ってテレビに映る。

ということなのはなんとなくわかります。

 

でも、そもそも「電波」ってナニ?

世の中にいっぱい電波あるけど、どうやってテレビの電波だけを選んで受け取ってるの?

理系の方には当然の理(ことわり)なんでしょうか?

文系の私にはさっぱりです。

 

「電波」とは、電気と磁気のエネルギーの波のこと。(電磁波)

波と言って思いつくのは光。

太陽の光も放たれた波が地球に届き、その波の波長によって色が分けられています。

波長が長いものが赤色

短いものは紫色

その間に、青黄緑など波長によって色のバリエーションがあります。

太陽から届いた光によって、世界は、はじめ全ての色の光に満ちていますが、

素材によって、そのモノが「吸収する光」と「跳ね返す光」があって、はね返した光がその「モノの色」として見えています。

 

そして、その波長が紫色より短いものは紫外線。

赤色より長いものは赤外線、となります。

さらに

赤外線よりも波長が長いもののことを「電波」

つまり、太陽の光も電波も同じ家族のようなものなのです。

 

へぇ!

じゃぁ光よりず〜っと長い波長が「電波」で

そのなかで一番小さいのが電子レンジのマイクロ波なの?

だってマイクロって言うくらいだから、マイクロ=小さいんでしょ

って思うじゃないですか。

それが違うらしいんです。どゆこと?

はい!

ではここで、波長ランキング〜!

(「〜」波で伸ばしてみました。)

 

波長が短いものから並べると

第1位 X線(レントゲン)

第2位 紫外線

第3位 光(目に見える色:約0.0004mm 〜 0.0007mm)

第4位 赤外線 (0.0007mm~1mm)

第5位  スマホやWi-Fi(約1.1cm〜40cm)

第6位 電子レンジ(マイクロ波 12cm)

第7位  ラジオ(約1m〜100m)

 

ちなみにいま地上デジタル放送(地デジ)で使われている電波の波の長さは、約40cm〜65cm。

さらに大きな電波としてはAMラジオ、航空無線、船舶の通信電波があり、数十メートルから数キロメートルの波長になります。

 

ん〜。確かに、電子レンジのマイクロ波は、小さい方ではありますが、12cmもありスマホやWi-Fiでは一番小さな波長が1.1cmと格段に短いものも。

一番小さい訳でもないのにどうしてマイクロなの?

実はそこには、電波の「歴史」が関係しています。

 

【さらに、電波の「歴史」について】

電波の歴史はいまから140年前。

日本が明治時代の1888年に、ドイツの科学者「ヘルツ」が、初めて電波の存在を実験で証明したことから始まりました。

「ヘルツ」聞き覚えありますよね。

電波の「周波数」を表す単位になっています

 

ヘルツがどんな実験をしたかというと、送信側に金属の球を並べて、高電圧でバチバチと激しい火花を発生させます。この火花が起きた瞬間、周囲に電波が飛びます。

そして、送信側から少し離れた場所に、一部が切れてどこにもつながっていない輪っか状の針金を置いておきました。

すると、送信側で火花が発生した瞬間、離れた針金の切れ目にも小さな火花がパッと飛び散ります。

これにより空間を「何か」が伝わってエネルギーが届いたことが実証され「電磁波(電波)」の存在が証明されました。

 

そこからしばらく後、イタリアのマルコーニという人が「電波」は離れた場所との通信に使えるのではと研究をすすめ、1901年イギリスからカナダまで約3500㎞大西洋を横断して「無線通信」を行うことに成功しました。

当時の科学者らは、「地球は丸いから電波を飛ばしても真っ直ぐ進んで宇宙に飛んで行ってしまう」と猛反対しましたが、当時、まだ発見されていなかった地球の上空にある「電離層」に反射して海を越えて電波が届きました。

その頃、電離層は科学者の間で認識されておらず、「どうして丸い地球で電波が届いたのだ」と大騒ぎ。

後日1924年に、イギリスの物理学者エドワード・アップルトンが地球の遥か上空にある「電離層」を証明して、後にノーベル賞を受賞しました。

その間も、マルコーニの通信技術は大活躍。

1912年の「タイタニック号沈没事故」では、マルコーニの発明した無線機がSOSを発信したことで700名以上の命が救われました。

 

【ついでに、タイタニック号について】

ここで、タイタニック号沈没の話を少し。

タイタニックが発信した「SOS」は通信技術が始まって救難信号という制度が制定された初期の頃のことでした

タイタニック号では始め「CQD」

CQ→各局に告ぐ D→デンジャー

を発信していました。

船には船会社の乗組員とは別に、通信技術を開発したマルコーニが立ち上げた通信会社から派遣された、「通信員」が乗船していました。

通信室には2名任務に当たっていたのですが、

CQDに応答がなかったことで死を覚悟したもう一人の通信員が、少し前に国際基準として「SOS」が制定されたことを思い出し、「ダメ元でSOSと送ってみよう!」と言います。

後にタイタニック号の大惨事をうけ、世界中の無線通信のルールが見直され、「SOS」は劇的に普及していくことになります。

 

ところで実はこの時、20キロほど離れたすぐ近くに船舶がいて、事前に「氷山注意」の通信を送ってくれていました。

しかし当時、同じ周波数でやり取りしていた通信員がすぐ近くの貨物船からの強力な電波で届いた、氷山注意という「大音量」の通信に激怒。

「うるさい黙れ!邪魔するな!」と通信を遮ってしまったのです。

当時、通信員たちの仕事の大部分は、乗っている富裕層が依頼する「いまタイタニックに乗ってるよ!」などと優雅な様子を「電信」で友人や家族に送る仕事でした。

マルコーニの会社はこれで大儲けしていたのですが、通信員たちは大量の仕事をこなせばこなすほど儲かる仕事。

そのため、「電信」を送ることに必死のあまり、近隣から届いた「大音量の警告」に怒ってしまったわけです。

他にも様々な要因が重なって起こった事故でしたが、警告してくれたすぐ近くの船はそれに怒ったわけでもなく、その後、勤務時間を終了。

仕事を終えた通信員はいつもの通り無線を切って就寝し、結局事故に気づくことはありませんでした。

 

さて、そうして起こった氷山座礁の悲劇。

沈没開始から部屋に水が浸入して電力が途絶えるまで、2名の通信員たちは船長からの「退避命令」も聞かず、最後まで仕事を全うし「CQD」「SOS」を送り続けたそうです。

仕事に真面目なゆえ起こった悲劇であり、逸話ですね。

 

因みに「SOS」の意味はご存知でしょうか。

諸説ありますが、理由は簡単。

「トントントンツーツーツートントントン」はリズムが秀逸で、このモールス信号は、パニックの中でも指のリズムだけで送信できます。

そして、雑音が邪魔になる通信状態でもそのリズムは大変聞き取りやすい。

つまり、「シグナルとしてとても分かりやすい」ことが救難信号「SOS」となった最大の理由なんです。

ところで、助けを呼ぶのによく映画では

「メーデー。メーデー。メーデー。」

と叫ぶことがありますよね。

こちらは音声で伝える時のもの。

フランス語で「助けて!m'aider(メデ)」を意味します。

5月のメーデーとは全く由来が違うそうです。

 

話がそれましたが、話は激動の海に戻ります

その後タイタニックは沈没。

2名いた通信員のうち一名は亡くなり、もう1名は救難ボートに必死に捕まり足が凍傷になりながらも一命を取り留めます。

「救助した船」の中にいた通信員は、救助後、膨大な生存者名簿やニュースの電報を「不眠不休」で本土に送り続けました。

しかし、あまりの激務に彼が疲労で倒れそうになります。

それを知った凍傷で動けないタイタニックの通信員は抱きかかえられながら通信室へ。

2人で交代しながら「生存者名簿」を送り続けたそうです。

やっとのことで港に到着した船の無線室に、慌てて迎えにきた通信会社の社長マルコーニが走り込みます。

そこには、意識朦朧となりながらも、最後まで通信し続けている彼らの姿。

マルコーニはその姿をみて、抱きかかえその「プロ意識」を絶賛したとされています。

 

タイタニック号の事件から、通信業界では新たなルールが決められました。

今では衛星通信で、電波状況が圧倒的によくなったことから使われなくなりましたが、

昔は決まった時間に全世界の船舶が一斉に沈黙を守る時間が決められていたそうです。

 

毎時15分〜18。そして、45分〜48分。

普段、船舶同士の通信は賑やかで

普通のお喋りからビジネス通信まで頻繁にやり取りがあるものらしいのですが、

この時間帯だけは世界中の船舶が「沈黙を守る」というルールが決められました。

1時間に2回、耳を澄まして「SOS」のモールス信号音がないか、

誰かの「助けて!」を聴き逃さないよう耳を澄ませます。

時計には、その時間帯だけ赤色が塗られていました。

そして後に、毎時00分〜03分と30分〜33分が緑で塗られ、

その時間は先ほどご紹介した「メーデー」に耳を澄ます時間とされました。

 

危機に瀕する隣人を見つけ助けに行くために、色が塗られた時計。

赤と緑の扇形で塗られた時計は、コレクターズアイテムとして、知る人には大変高値で取引きされているそうです。

山、海、空は宇宙とは言わないまでも、人間の安全圏からは遠い場所。

人の心が感じられる、素敵な時計ですね。

 

【おまけ、日本の電波の始まり】

ちなみに日本では1905年「三六式無線電信機」が日ロ戦争で「敵艦見ゆ」と電報を打つことで日本の勝利に大きく貢献したのが無線実用化の第一歩と言われています。

 

【その後、電波のいま】

そうそう、ずいぶん話が逸れましたが、どうして電子レンジの電磁波が一番小さいわけでもないのに「マイクロ(小さい)波」というのかでしたね。

すみません。話をもとに戻します!

 

実は「電波が大西洋横断!」や「タイタニックでSOS!」やら、電波発見「初期」のころは、「キロメートル単位」の電波しか送ることが出来ませんでした。

しかし技術革新の後、なんと日本で今の電子レンジの「波長12㎝」の電波を生み出すことに成功したのです。

当時キロメートル単位だった電波が、「センチメートル」単位になったことは「小さい=マイクロ」だ!

ということでこの電波を「マイクロウエイブ(波)」と呼ぶことに。

まだスマホやWi-Fiの電波が開発される以前のネーミングだったんですね。

 

そのマイクロウェイブを作り出すことに成功したのは、1927年のこと。

開発したのは日本の東北帝国大学(現東北大学)岡部金治郎助教授(後に教授)です。

 

彼の実用化可能な強力なマイクロ波を出せる装置(マグネトロン)の発明により、ここから世界中でマイクロウェイブの研究が加速していきました。

けれど当時は、その電波を発生させる機械を生み出しただけで、それが「電子レンジ」になるのはまだまだ先の話になります。

 

まず、その電波を使って最初に行われたのは「軍事用レーダー」の開発でした。

アメリカなどでは開発がすすみ、第二次世界大戦で圧勝。

それに対して日本では、軍事用開発が遅れ敗戦します。

戦争末期、ひょんなことからマイクロウェイブを研究していた研究員が、実験中機械の前にたち、自分のポケットに入れていたチョコレートが溶けていることに気がつきます。

「WOW!コレハ食べ物ヲ、温メラレルノデハ?」ということになり、戦後電子レンジの開発が始まりました。

その結果今私たちは、レンチンで手軽に温かい食べ物が頂けることになっています。

主婦のみならず、いまや全世界の人がポッケにチョコ入れといてくれた開発者に感謝しています。ありがとう!ありがとう!笑

 

さて、そんな当時は12センチで「マイクロだ!」と驚愕されていた電波ですが、

今や、いかほどか。

なんと現代では、1秒間に1兆回振動する電磁波を制御出来ます。

その名も「テラへルツ」!

「もぅ。それ超えちゃうと光になっちゃうから気をつけてよね!」というギリギリの長さです。

この電磁波のすごいところは、レーザー光線のようにまっすぐ突き進む直進性。

 

実は「相手に届ける」という意味では、「波長が長い電波(ラジオなど)」の方が、ビルなどの障害物があっても、波が回り込んで遠くまで届く性質があり便利です。

そして「波長が短く」なればなるほど、光に近づいてまっすぐ進むため、障害物にぶつかると遮られてしまい、回り込めなくなります。

特にコンクリートのビルや背の高いビルなど、短い波長では通り抜けにくくなっています。

けれど「波長の短い電波」は、一度に大量のデータを送ることが出来、他の電波と干渉しにくい特性があって、大変便利。

だからこそ、スマホの「5G」など超ショートな電波を使う通信では、街中にたくさんの中継地(基地局)を作って、電波を届けようと通信各社が努力しています。

 

さて、「電波」の歴史はこんな感じで軍事用目的に大きく開発がすすめられてきたことから発展してきました。

そして話はやっと「八木式アンテナ」へと戻ります。

うふふ、今回もお得な読みごたえとなっております。

本当にすみません。苦笑

 

【やっと本題、八木式アンテナ】

先ほどまでは「発信側」の電波のお話でしたが、

アンテナは「受信側」のお話となります。

 

八木式アンテナは、もちろん、発明者のお名前から八木式。

八木秀次教授。

マイクロ波開発を大きく推し進めた岡部氏にとっても恩師にあたる方です。

当時は世界トップクラスの研究室だったようで、優秀な人材が集まっていました。

 

1923年(大正12年)八木教授は海外留学から帰国し、「これからは電波の時代だ!」と東北大学に研究室を立ち上げました。

ある日、八木教授が研究室で送信機とアンテナの間にたまたま金属棒を置いたら、なぜか特定の方向だけ電波がものすごく強くなることに気付きます。

彼は「この金属棒の長さや並べる間隔を変えれば、電波を狙った方向に飛ばせる強力なアンテナができるはず」と考えました。

 

そして、そのアイデアから実際のアンテナの形状発明まで、研究を進めたのは宇田新太郎さんという方でした。

彼は当時八木教授の助手として学んでいた、いわば弟子のような存在。

彼は教授のアイデアを実用化するため、毎日何百回、何千回と金属棒の長さを変え、並べる位置を調整したりしてアンテナ開発をすすめます。

 

来る日も来る日も続く彼の血の滲むような研究生活のすえ、現在の「魚の骨」のような完璧なアンテナの形状が生み出されました!

彼はその間、5つもの詳細な研究論文を書いています。

そして、アンテナが完成するとこの発明を世界に発表するために八木教授と宇田さんの連名で英語で論文を書きました。

 

そしてその二年後、八木教授は単独でアメリカに渡り、当時の世界最高峰の無線学会誌(IRE誌)に「超短波のビーム送信」として発表します。

すると論文内に「この研究は主に宇田助手が手がけた」とクレジットを残していたにもかかわらず、あまりの「偉業」にアメリカの科学者たちは、この画期的な論文を執筆し発表した八木教授の名前を称え、このアンテナを八木アンテナと呼び始めました。

ちなみに日本・アメリカ・イギリスで取得した特許については、八木教授単独の名前で申請し、認可を得ています。

これは、「研究室の成果はすべて指導教官の名義にする」という当時の日本の時代背景もありますが、八木教授は研究資金確保のために私財を投じて「特許をビジネスにつなげよう」としており、代表者として一本化する必要があったようです。

とはいえ、それは宇田さんの血の滲むような努力に報いるものではなく、一時は二人の間に深い確執が生まれてしまいました。

 

その後、八木教授が大阪帝国大学(現大阪大学)の教授として東北大を去るまで、二人が在籍する研究室には、常にピリピリとした空気が漂っていたそうです。

苦い決別を経たものの、残された宇田さんもその後、教授へと就任。

例のマイクロ波の研究やレーザー光通信など、最先端の研究を牽引していきました。

昭和30年には、インドのネルー首相から直々に請われて現地へ赴き、インドの通信技術発展に大きく寄与することになります。

 

実績を積み重ねた二人は、昭和7年にそろって「日本学士院賞」を受賞。国からもそれぞれ勲章が贈られ、現在では学会や教科書などの正式な場において、二人の名前を並べた「八木・宇田アンテナ」という名称が使われています。

激動の時代が過ぎ、歳を重ね、日本の通信技術を第一線で支え続けてきた二人。

晩年、彼らはお互いの功績を心から認め合い、ついに和解を果たしたそうです。

この出来事は、その後の科学界における「共同研究のあり方」や「特許の分配」を考える上での、大きな教訓となったのでした。

 

【八木式アンテナのYAGI話】

今では日本の十大発明の一つに数えられているこの八木式アンテナですが、

実は当時、アメリカでは大いに絶賛されたのに、当時の日本ではまったく相手にされませんでした。

「こんなおもちゃみたいなものが役に立つはずがない」と、その有用性を全く理解できなかった当時の日本軍は、このアンテナ技術を無視します。

その後、第二次世界大戦がはじまり1942年、日本軍がイギリスの植民地だったシンガポールを占領した時のこと。

そこで、日本軍はイギリス軍が使っていた最新の防空レーダーの機械とイギリス兵の通信記録を手に入れ分析しました。

すると、その最新防空レーダーに「YAGI」が使用されているとの記述を見つけます。

 

はい!ここでやっと冒頭の私の感想に戻ります。

司令部「ん?YAGIとは秘密の暗号のことなのか?それとも山羊のこと?」

ん~!当時の日本軍。発想が私と同じです。笑

 

それをイギリス兵に尋問したところ、

「何言ってんだよ。これはお前んとこの八木って開発者の名前じゃんよ」

と呆れられます。

その後、日本軍は八木教授を技術顧問として招聘し、戦争末期になってやっと「技術院」が設立されましたが、時すでに遅し。

日本は敗戦へとむかっていくことになるのです。

 

【ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様でした。感謝!】

はい。いかがでしたか?

八木式アンテナ、いやもとい、

「八木・宇田アンテナ」にまつわるストーリー。

日本の屋根に、あまたのっかっているアンテナに、そんな物語があったなんて。

これから見上げる屋根の上の景色が、少し変わるような。

そんな気がしませんか?

(編集後記)

最後まで読んで下さった皆様。

本当にお疲れ様でした。

個人的には発見の連続で楽しい執筆でした。

小さな頃から「変なかたち」と眺めていた、ただのアンテナに物語がくっつくとこんなに魅力的なものに変わるんだと、今回も学ぶ楽しさを知りました。

あのカタチを宇田さんが一人でミリ単位で調整する姿。

なんやかんや大変だったけど、きっといい表情(カオ)されてたんだろうなぁ。

そう信じて空を見上げます。

エンドウ豆の翡翠煮

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翡翠煮とは

美しい旬の豆色をビジューの翡翠になぞらえ名付けたお料理。

あっさりしたほの甘いお出汁の味で

なりたての豆を楽しみます。

初物の清らかな豆から次第に豆らしい青さへ

日々変わりゆく豆そのものの味わいを楽しむ料理法です。

その翠(みどり)を翡翠煮と名付けた当時の料理人のセンスが光ります。

翡翠といえば緑色のものを想像しますが

実は7色以上(文献により差がある)もあるらしく中には紅紫色ものや黒っぽいものもあるそうです。

日本では翡翠の産地として新潟県糸魚川市(いといがわ)のヒスイ海岸が有名で、このあたりはユネスコが支援する団体から「世界ジオパーク」に認定されています。

宝石にはいくつか石のポテンシャルをあらわす指標がありますが、なかでも「モース硬度」では石の「傷つきにくさ」を示します。

もちろん世界で一番硬いのは「ダイヤモンド」

けれど、ダイヤモンドはある特定の角度から衝撃を加えると案外割れてしまいます。

それに比べて翡翠は、モース硬度はそこまで高くないのだけれど、その組成が細かな結晶の集まりなことから割れにくく、それを「靭性(じんせい)」が高いと言ったりします。

靭性が高い翡翠は石器時代において重宝されヨーロッパでは翡翠の石斧が出土したりしているそうです。

もし、湖の女神様に

「あなたが落としたのは金の斧ですかそれとも銀の斧ですか?」

と聞かれることがあれば迷わず

「はい!翡翠で出来た緑のおっきいやつ!」

と答えることにします。

女神様も

「え〜、ちょっと待ってね。なんか倉庫の奥深くで見たような。。」と探してくれるかもしれません。笑

さて、

翡翠は地球の奥深くで作られます。

そういえば地球の中身ってどんなことになっているのでしょうか。

私の中ではなんとなくマグマのさらにドロっとしたのがアツアツで対流してるイメージ。。。

調べてみると、意外な姿が見えてきました。実際には誰も見たことないので不明とのことですが、最新の技術や地球から分かれて出来たとされている月の石の成分などを解析すると、分かってきたところもあるようです。

まず、地球は一番中心から

地核(コア)→マントル→地殻(表面)

となっており、マントル部が地球体積の約8割を占めています。

このマントル実は硬い岩石なんですって!

地球内部は1300度を超える超高温でマントル最深部では3700度にもなるそうなのですが、超高圧のため岩も溶けずに岩石のままゆっくり変形しながら対流しているそうです。

翡翠が作られる上部マントルは主にカンラン石で出来ており、そのなかでも一握りの美しい結晶をペリドットといいそれが宝石の材料になります。

翡翠は地下30キロのあたり、低温高圧環境の場所で水分を含んだ冷たい海洋プレートが、高温の大陸プレートに沈み込むことで化学反応を起こし作られます。

純粋な翡翠は無色(光の乱反射で白にみえる)なのですが、

鉄分やマンガンなど不純物が混ざり込むことで色が変化します。

綺麗な緑色になるにはクロムや鉄などが必要

新潟県糸魚川のヒスイ海岸では私たちも普通に行ける海岸で翡翠が採れることで有名で、ここで採れる翡翠は縄文時代から装飾などに使われており世界でも最古級の歴史があります。

このヒスイ海岸に翡翠がたくさんあるのは、たくさんの奇跡の重なりから。

まず、地下深くで作られた翡翠はゆっくり地表に上がるとさらに変化して途中で普通の石に変わってしまいます。

翡翠に変化した状態のまま地表に上がるのは至難の技。

ですが、ここでは翡翠のまわりを蛇紋岩という柔らかい岩が包み、ラッピングされたまま地殻変動で地表に急上昇。

地表に出た所を川から流れ落ち、柔らかい蛇紋岩が砕け、中から翡翠が転がり落ちます。

しかし、普通は海に流れ出ると砂に埋まってまた沈んでいくのですが、このヒスイ海岸は海の中がすぐ深い崖になっており、軽い砂は海深く落ち、重い翡翠は海岸に打ち寄せられ、さらに波に洗われこすれ合うことで自然に磨かれ天然の美しい翡翠がすぐそこで拾える、ということになっているそう!

これは、もう天然の「宝石箱や〜!」

という食レポ彦摩呂さんの声が聞こえてきそうです笑

そんな奇跡の石、翡翠は日本の「国石」。

気高く美しい緑色を活かした

エンドウ豆の翡翠煮。

若い緑の豆らしい風味を甘みをつけたお出汁で優しくまとめた一品。

この季節ならではの美味しさです。

「エンドウ豆の翡翠煮」

(材料)

エンドウ豆適量

〈つけ汁〉

お出汁 400cc 

酒 50cc

味醂 30cc

砂糖 大1

塩 少々

(作り方)

・つけ汁の材料をすべて合わせて火にかける

沸騰させるとお出汁の風味が飛ぶので優しく温めて砂糖塩がとければ火を止める。

・エンドウ豆を皮から取り出し洗い、塩少々の水で茹でる。アクが出たら取り除く。

・3分ほど茹でザルにあけ、水気を切ってつけ汁に漬ける。(鮮度で茹で時間が変わります。味見をしてまだならあと2、3分茹でて下さい)

・2〜3時間冷蔵庫でつけたら召し上がれ。

ピニャ・コラーダ

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「ピニャ・コラーダ」

裏漉ししたパイナップルの意。

甘くて美味しい、南国の

パイナップルとココナツミルクを合わせ

これまた南国の

開放感を感じさせるラム酒をいれると

ピニャコラーダとなります。

似たカクテルで

「チチ」というのがありますが、

こちらはウォッカで作ります。

チチは女性用ブラウスの胸元のフリル

「シシ (chichi)」から転じて

「粋な」という意味。

ウォッカを入れずに作ると

「バージン・チチ」となります。

ラムなしで「バージン・ピニャコラーダ」と

は言いません。

この「バージン・チチ」。

我が家では子ども達の大好物で、

ベランダで焼き肉パーティーをする時は

必ずリクエストされます。

開放感ある外での食事に

「チチ」はピッタリの飲み物。

子ども達も成人し、今では二人とも

ラムやウォッカを入れて楽しんでいます

楽しみ方は、こんな感じ。f:id:habbule-no-neko:20260310225336j:image

大きなピッチャーにバージンチチを用意し、

アルコールなしならそのまま注ぎます。

呑みたい人はグラスに氷を入れ、そこに

バージンチチとラムやウォッカを垂らします

本来はシェイカーで冷やして作るカクテルも

こうすれば気軽に楽しめます。

ただし飲み過ぎには注意

あとで結構効きます。笑

ピニャ・コラーダを作るのに

今回は、以前行った沖縄旅で知った

伊江島産のラム酒を使いました。

(冷凍庫でキンキンに冷やしてあるラム酒)↓

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ラム酒といえばキューバ、ジャマイカなど

カリブ海周辺が有名です。

なぜなら、ラム酒の原料はサトウキビで

暑い国が製造に向いているから。

日本でも

サトウキビ生産で有名な県がありますよね

そう!沖縄県。

沖縄では、古くからサトウキビを使った

蒸留酒が作られていました。

今では

鹿児島 高知でもラム酒の製造が行われ

日本のサトウキビ生産の北限、静岡でも

ラム酒作りが行われています。

 

基本的なラム酒の製造過程は次の通り。

サトウキビの茎から採れる絞り汁を使い

「発酵・蒸留・熟成」を経て出来上がり。

 

熟成させる期間によってラム酒の色が変わりそれぞれ名前も変わります

「ホワイトラム」

熟成させないもの

もしくは一年以上熟成したものを活性炭濾過して無色透明にしたもの。

「ゴールドラム」

オーク樽などで三年未満、熟成させたもの

「ダークラム」

オーク樽などで三年以上、熟成させたもの

 

ラム酒は大変アルコール度数の高いお酒で

飲み過ぎると大騒ぎになりがちですよね。

実はそれが「RUM(ラム)」の語源で

17世紀頃、イギリス人によってラム酒製造をさせられていたバルバドス人。

「蒸留酒を呑んだバルバドス島原住民が酔って騒いでいる様子を見たイギリス人が 「rumbullion」

(イギリス デボンシャーの方言で興奮)と表現し、その語頭を取った。」(諸説あり)wikipediaより とのこと。

余談ですが

↑のデボンシャーとはイギリスの左に出っ張ってるコーンウォール半島の地域

地質時代区分「デボン紀」

(4億0800万年前〜3億6300万年前)を指す時代区分名の由来になった土地です。

 

デボンシャーのイギリス「紳士」は、

仲間たちとなりふり構わず楽しそうに騒ぐ人々を見て

「rumbullion!!(興奮してる!)」

と言いながらも

ちょっとだけ羨ましく思ったんじゃないかしらと思うんだけど、どうかしら。

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☆レシピ☆

「ピニャ・コラーダ」

(材料)

ココナッツミルク 400g

パイナップルジュース 600cc

シロップ 4個

ラム酒 お好みで。
(作り方)パーティーバージョン

・冷凍庫にたっぷり氷を用意しておく。

・大きなピッチャーにココナツミルクとパイナップルジュース、シロップを入れかき混ぜておく。

・グラスに氷を入れ、ピッチャーの液体をかき混ぜてから注ぎ、ラム酒を適量入れてかき混ぜ出来上がり。

 

飲み過ぎてうっかり大騒ぎして

「ウルサイ!」と怒られたら

「俺たちが飲んでるのはラムなんだ。興奮するのは当たり前さ」

とラムの語源を説明して差し上げて下さい。

きっと怒られます。笑
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ちなみに、伊江島ラムの話で出てきた沖縄旅

その時の旅ブログはこちら

よければお楽しみ下さいませ。

沖縄旅行 Day1・2 台風と名護観光 - 美味しいしあわせ

沖縄旅行 Day3・4 アットホームなホテルステイ - 美味しいしあわせ

沖縄旅行 Day5 那覇観光 ゆいレール乗り放題 - 美味しいしあわせ

沖縄旅行 Day6 波上宮 福州園 やちむん通り - 美味しいしあわせ