
旅も最終日!
最後はお茶のまち、プラモニュメントのまち静岡県です。

プラモニュメントってナニ?
と思われた方は、是非前回の旅ブログもお読み頂ければと思いますが
ざっくり言うと静岡のあちこちに設置されているプラモデルの巨大ランナーです。
ランナーとは枠で繋がれた組み立てキット。静岡にはタミヤとバンダイというプラモデル総本山があり、県の推しになっています。
静岡県を訪れるのは旅の予定になかったのでノーリサーチですが目標は、
なるべく多くプラモニュメントを探すこと!
まずは一つ目、
お城にあるプラモニュメントを探しがてら、早朝朝ごはんを食べにお散歩に出かけました

朝食は旅先で便利なコメダコーヒーの予定
お城からすぐの場所にあるようです。
が、
先にお城を散策してマンホールなどから静岡を学んでおきたいと思います。

歩道にはこんなマーク。
「東海道」はご存知の通り江戸と京都を結び
参勤交代 物流 旅人が通った道です。
道中は長く、大きな山や川で閉ざされた地域にはそれぞれの文化があり何より日本が誇る
美しい山「富士山」があります。
この道は多くの物語や絵画を生み出しました
葛飾北斎 「冨嶽三十六景」
歌川広重 「東海道五拾三次」
十返舎一九 「東海道中膝栗毛」などなど。


今はJRの東海道新幹線がこの道をつなぎ
新たな物語を生み出しています。
ところで、今から見に行く駿府城は
かの徳川家康のお城。
静岡といえば徳川家康です。
彼は、三河国(愛知県)で生まれましたが
今川義元の人質となっていた幼少期
そして青壮年期 晩年を駿河国(静岡県)で過ごしました。
彼の興した江戸幕府は、以降
約260年にわたり太平の世をつなぎました。
彼の始めた「天下普請」は湿地だらけの江戸の町を一大都市に造り上げ
現在の東京の発展の「礎」となり、現代にも大きな影響を及ぼした人物と言えます

そんな徳川家の家紋は「三つ葉葵」。
静岡市の花はそれに因みマンホールに描かれているように「タチアオイ」となっています
2つは植物分類学では別の「科」ですが
「アオイ」繋がりで花が美しい「立葵」が、「市の花」に選ばれました
ここからはしばらくフタ紹介。
静岡は素敵なフタ天国です!

こちらは「大御所家康公顕彰400年」消火栓
家康が祀られている久能山東照宮
ユネスコ世界文化遺産の富士山
桜えび シラスなど海の幸豊富な駿河湾
そして「羽衣伝説」の地、
三保の松原が描かれています。
「羽衣伝説」の話は全国に散見されますが
静岡県三保の松原のはこんな感じ。
『漁師が松の枝に掛けてあった羽衣を見つけ、天女に「返してほしければ天上の舞を舞え」と言います。
「このままでは天に帰れない」と嘆く天女。そこで羽衣を返してもらい天上の舞を舞い、
そのまま富士山に沿って天上へと帰っていく』
というお話。
この伝説を世阿弥(ぜあみ)が「羽衣」としてお能の演目にし今も公演され続けています
ん?世阿弥、どこかで登場しましたね
そう、前回のブログでちらっと登場した方
新潟県「佐渡島」に流刑された方です。
佐渡島には政治的によく思われなかった当時の権力者や知識人などが流されていました。
その後幕府の天領地となった佐渡島は、
家康が興した江戸幕府の財政を採掘された金で大きく支えたんでしたね。
こちらも以前書いた新潟のブログに詳細があります。
ちなみに天女の羽衣。
三保の松原近くにある「御穂神社」には
天女が飛び立つ際、漁師の手に握らせたとする「羽衣の布端」が保存されているそうです
また毎年10月には「三保羽衣薪能」が開催され、次第に暮れゆくなか幽玄なお能を楽しむイベントが行われているそうです。
薪能を私は一度だけ観たことがあるのですが場所は、兵庫県の三田市。
兵庫県民なら知らぬものはいない「三田屋」というお肉やハムが有名なお店のレストランに併設されている能舞台で観覧しました。
虫の声も聞こえる野外で行われるお能の舞台
しだいに濃くなりゆく夜の暗がりに
深まる演目の物語が重なり、
かがり火の炎が明るさをます頃には
自然と涙が溢れていたことを忘れられません
薪能、是非もう一度体験してみたいものです

さて、話は戻り消火栓。
「大御所家康公駿府城入城400年祭」
甲冑 富士山 そして、家康が治水を行った駿府城近くの川「安倍川」が描かれています
安倍川は白餅を砂糖ときな粉でまぶした菓子「安倍川餅」名前の由来の安倍川です。
安倍川餅は家康が名付けたとされ、
きな粉は安倍川上流で取れる「金」に見立てたなど、名前の由来は諸説あるようです

こちらは「今川さん」というキャラクター。
先ほどさらっと登場していた今川義元です。
幼少期の徳川家康を人質として育てた人物。
実は静岡では家康より人気かも知れません。
家康は三河国で生まれましたが、当時三河国は織田家と今川家の勢力に挟まれていました
家康は家を守るため、一時織田家で人質となり、後に今川家の人質となります。
このあたりの事情は諸説ありですのでここでは触れませんが、
駿河国の今川家にいた12年間(8歳〜19歳)
今川義元は、家康を一人の武士として大切に育て教養 兵法 帝王学などを教育しました
実際には今川義元が軍師として信頼していた太原雪斎が師となり、成長した家康は後に
天下を取ることになります。
近年静岡で今川義元を再評価する活動があり2025年末に静岡市歴史博物館で行われた
「あなたの推す静岡の歴史上の人物」では
今川義元が家康を抜き堂々一位に輝きました
二位が徳川家康。
そして三位は、家康に兵法を教授した
禅僧の太原雪斎(たいげんせっさい)でした

さて、こちらは静岡市消防局のキャラクター
「かけつけ消防3部隊カワセミーズ」です
市の鳥「カワセミ」は素早さで有名。
静岡ではあちこちで見られる鳥で
その速さを生み出す形状は、500系新幹線の先頭車両のデザインに応用されるほど。
ホースは消防、ロープは救助、AEDは救急と消防の役割すべてをあらわしています。
静岡市消防局が運用する消防ヘリコプターも「カワセミ」と呼ばれているそうです。

ちなみに、
こちらはツバメと纏(まとい)の消火栓。
まといは町火消が各組の印にしたもの。
ツバメは喉元が赤く、それが火を連想させて火を司るものとされていたり
「燕が低く飛ぶと雨が降る」などの言い伝えから水を連想させたりして「火消しの象徴」とされています。

さて、早朝の町を県庁のある方へと歩くと
「駿府城」があります。

ありました!
今日一つ目のプラモニュメント
「徳川家康公出陣キット」のランナーです。

説明までちゃんと作ってくれています。

一つ一つが大変リアル!
思わず切って組み立ててまといたくなります




↑これ持って振り回したい。笑

少し歩くと懐かしい二宮金次郎像があります
もう今の子どもたちはこの像を見たことがないのではないでしょうか。
私が子どもの頃には、大概の小学校の校庭に二宮金次郎像がありました。
正直ちゃんと見たことなかったけれど
このお像はとても精密に出来ていました。

カレ、二宮金次郎。神奈川県出身
金次郎とは通称で、本名は二宮尊徳。
「そんとく」と呼ばれることが多いが本当は「たかのり」らしい。
江戸時代後期に活躍した方で
各地の農村に赴き、人々と向き合い時に衝突しながらも、財政を立て直していきました。
彼は両親を亡くし貧しいなか勉学に励んだ人
その姿が、国の教育方針にマッチしたことと当時昭和恐慌で不況に喘いでいた業者の思惑が重なり全国的に金次郎像普及が進みました

読んでいる本は「大学」という本で
儒教の経典の一つです。


こちらの像は本当にリアルです。
実家が没落し、両親を亡くし、親戚の家に身を寄せた彼は大学を読みながら実家の復興を目指し努力を惜しみませんでした。
ただ、今では
軍国主義に利用された経緯や児童労働が良くないとされるようになったこと
何より歩きスマホを連想させるとされて撤去されるようになっています。
時代による価値観の変化に翻弄された
金次郎像について
興味深いと思った方は、是非山田五郎さんのYouTube「オトナの教養講座」で二宮金次郎像の回をご覧下さいませ。

こちらは十返舎一九「東海道中膝栗毛」の、弥次さんと喜多さんの像です。
膝栗毛とは、自分の膝を栗毛の馬に見立て
徒歩で旅行することを意味しています。
作者の十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は静岡県の出身。
変わったペンネームの理由は想像もつかないものでした。
名前の「一九」は、幼名が市九だったから。
そして「十返舎」には香道が関係しているそうで、
「十返し(とがえし)」は、
香木を聞く香道の遊びの一つ。
(香道では香りを嗅ぐことを聞くという)
黄熟香という非常に香りの強い香木があり
箱にしまっても十ぺんも香りが戻るほど
ということから「十返し」と言われており
その香りの余韻が長く続くことにあやかって世の中に長く名声が続きますようにと願って「十返舎」と名付けたそうです。
ところで黄熟香と聞いて、私のブログを読んで下さってる方は「え!アレのこと?」と、お察しのことと思います。
そう!正倉院宝物の一つ。
「ランジャ隊1号 織田信長の気持ちを知る」で書いた「蘭奢待」のこと。
それはそれは素晴らしい香りのはずです。
詳細、良ければこちらをどうぞ↓
https://habbule-no-neko.hatenablog.jp/entry/2025/07/08/180753

ところで東海道中膝栗毛。
内容は弥次さん喜多さんのコンビが東海道を旅する道中を描いたものです。
実はこの2人、随分年の離れた妙なコンビ。
こっちが弥次さんで
作中本名は弥次郎兵衛。
物語では二人は江戸神田八丁堀に住む同居人
弥次さんは元裕福な教養ある人。
借金がかさんで逃げる為に旅に出ます。

こちらが喜多さんで
作中本名は喜多八。
江戸の商家に奉公していましたが店の金を使い込んでクビになり、弥次さんと共に旅に出ることになります。
旅の目的地は、当時大流行だった伊勢参り。
東海道をおかしな二人が旅してゆく
珍道中の物語です。






当時の旅装束の詳細がわかるいい彫像です。

あれ、ここの石垣積み方が違う。

修復などで、積んだ時代が違うのかしら
駿府城の築城は、幕府の命令で各地の大名が材料や人手を用意して建てられた「天下普請」
そのため、石垣にどこの藩が担当したのかを現す印がつけられており、各藩の印も様々で
当時のものが多く残っている駿府城の石垣は見どころたっぷりです。

お堀端に静岡県庁舎がありました。
こちらは裏側にあたります。

では恒例、地名由来のコーナーです。笑
静岡市のあたりはかつて駿河府中と呼ばれていました。
しかし廃藩置県の当時、
「府中」では幕府への「不忠」に通じると別の名前が必要となり、城近くにあった賤機山(しずはたやま)から一旦藩内で「賤ヶ丘」となりましたが、当時の藩学校頭取、向山黄村(むこうやまこうそん)が時政(じせい)を思い「静が丘」→「静岡」としたそうです
アブナイアブナイ
賤ヶ丘では「賤」つまり卑しいなどの意味があり、県名を言うと後々小ネタにされること請け合いになる所でした。
黄村さまシゴデキです!
ところで、静岡のしずの由来になった
賤機山(しずはたやま)
そもそも山名の由来は何なのでしょうか。
実は賤機山(しずはたやま)のしず
元々は「倭文」と書いて「しず」でした。
「倭文幡山」(しずはたやま)が元の字で
「倭文(しず)」とは樹木のカジノキのこと。
そして「幡(はた)」は秦氏と関係があります
秦氏は4世紀末から7世紀に渡り、日本に文明をもたらした渡来系氏族の一つ。
彼らによって日本に土木技術や鉄の技術、そして機織りの技術が伝えられました。
昔この地では、カジノキを使った織物が有名だったことから倭文幡山となり、それが後に賤機山となったとのことです。
静岡のしずにはそんな意味があったんですね

近くに巨大わさび発見!
下に解説があり、
わさび「栽培」の発祥は静岡なんですって。

県庁裏あたりから城内に入ります。


入ってすぐ石垣の上には鷹がくっつけられていました。
これはさすがに最近のもの。
家康といえば鷹狩り大好きマンです。

なんか思わず面積求めたくなる。笑
(上底+下底)×高さ÷2

城内に天守閣はなく公園が広がっています。

大変美しい隅。

石積みの展示があり説明もありました。


こちらは例の各大名の印。




この日は近くの高校生がマラソン大会を行なう日で朝から盛り上がっていました。

こちらは発掘作業をしている場所。

ならば、覗いてみよう。笑

しばらく行くと、いらっしゃいました

城主、徳川家康公
左手には鷹狩りの鷹がいます。
彼は鷹狩り好きで有名なのですが
単に好きというよりは、
野山を駆け回ることで足腰が鍛えられ丈夫な身体にするためという意味もあったようです
そう、彼は今の世でいう
「朝から冷水シャワーを浴びて水素水を飲むイケてる起業家系」 笑
当時では最先端の「超健康ヲタク」でした。
それには結局「生き残った者が勝ち」という
武士ならではの考えもあったようです。
当時の平均寿命が37〜50歳というなか
彼はなんと75歳まで生きながらえました。
日々の食に対しても大層なこだわりで
・白米は食べず麦飯だった
・旬のもの以外は食べないと決め初物も嫌い織田信長が贈った早出しの桃を自分は食べず家臣に配ってしまった
・おやつは甘いものでなく納豆や焼き栗ナッツなど
・酒は冷やでなく温めて少量
・狩りで仕留めたジビエや近海で採れた新鮮な魚を食べた
・長期発酵させた八丁味噌を使い、野菜は皮ごと使って一汁一菜を心がけた
などなどなど。
今でこそ意識高い人には当然のことですが
戦国・江戸時代にこれを実践していたのは、本当にスゴイことだと思います。
そして、この超健康ヲタク家康公は
私の母とめちゃくちゃ話が合うと思います。
彼女も自己流の超健康ヲタク。笑
そもそも私の実家では、父の両親と同居していたのですが
私の祖父も健康ヲタクで、毎朝早起きして1時間ほどかけて体操とお灸をしていました。
そして必ず食後にゲンノショウコやセンブリを煮出したものを飲みます。
昔は学校で体育の先生をしていた祖父
グライダー乗りでもあり、若い頃東條英機の査閲するなかグライダーの模範飛行をしたことが彼の自慢でした。
(私としては当時東條英機は戦犯と学んだのでフクザツな気持ちでしたが。)
そんな彼は、90歳までゴルフをノーカートでラウンドしていたのですが
祖父のために祖母はラウンド前日
必ずステーキを焼いて夕食に出していました
健康に気を遣う義両親の面倒をみてきた母は
次第に健康食品に開眼!笑
夏の朝は
バナナ 牛乳 ケール 人参 リンゴをミキサーして後入れで胡麻やきな粉を振りかけるドリンク
冬は温めた牛乳にココア シナモン はったい粉 きな粉を溶かして毎日飲んでいます。
それとパンを頂くのですが、通常は
マヨネーズ 玉葱 ピーマン 発酵食品のキムチ パルメザンチーズを乗せて焼き
別で蜂蜜を大さじ一杯食べます。
上のパンを作るのが面倒な時は
オリーブオイルに蜂蜜をのせトマト パプリカなど季節の野菜をトッピングして食べます
また、食材はこだわりのお店で買いたいので
鶏肉は車で毎回1時間かけて買いに行き
牛肉は鶏肉とはまた明後日の方向に1時間
野菜は地元の農家に買い付けに行くので
買い物に行った彼女はだいたい半日、帰ってきませんでした。
(そこで以前「冬の真っ白いデザート パヴロヴァ」のブログで書いたようにお腹が減った私は水飴を舐めていました。)
そして、今から40年ほど前
私が高校生の頃には毎朝、朝食のあと
プロテイン ビタミンC ローズヒップを並べ決め台詞が
「身体にいいのよ〜!」
そんなトラウマと食育を受けた私は、
健康には気を遣いつつも、
信長が季節の走りの桃を持ってきた日には
「早出しの桃!ヤッター!」派です。笑
あれれ、話が飛びましたね。(苦笑)
申し訳ありません。
さて家康公
最終的に、健康を突き詰めた結果
えぇい人には任せておけぬわ!
「自分で薬作っちゃお。」となりました。
彼は薬に関する本を読みこみ、
自分独自の薬を作り、
自分や周りの者に投薬したりしていました。
その薬にはそれぞれ名前がつけられています
「紫雪」
解毒解熱効果があるもので、家康の孫の3代将軍家光が幼い頃この薬で命拾いしています
「八味地黄丸」
今でも販売されている古来からある薬。
そこに海狗腎と言われるオットセイのペニスを加え独自の漢方薬として調合していた。
余談ですが彼の最後の子が生まれたのは
家康公66歳の時でした。
オットセイ。。。
「烏犀円」(うさいえん)
動物・植物・鉱物など58種類もの生薬を調合したもので、乾燥したトリカブトなど使い方によっては毒になるものも入っていました
「万病丹」
こちらは様々な生薬に水銀やヒ素などをまぜ
あら?
だんだん胡散臭くなってきましたね。笑
家康の死因は鯛の天ぷらの食べ過ぎと言われ本人はサナダムシが原因と思い込みこの薬を飲み続けていたのですが
主治医のみたては胃がんでした。
彼は万病丹の服用をやめるよう進言しましたが家康の怒りを買い信濃に追放。
それからほどなく家康は亡くなりました。
最後はちょっとスピっちゃってるのも
イケてる起業家の末路と似てる気がするのは気のせいでしょうか。

さて、

お城には紅葉が綺麗な庭園があり
ここでは有料で静岡のお茶も頂けます

美しい橋があり、

こちらは当時の荷揚げ場だったようです。
昔の物資の運搬には川が使われており
この城を築くための石垣なども水運を使って運ばれてきました。



最後は東御門から出ました。
当時を再現した立派な御門です。








駿府城
天守閣はなくとも見応え十分でした。

さて、朝食前のお散歩が随分長くなりました
お腹ペコペコ!
朝ごはんを頂きにコメダコーヒーを探します

途中見つけた東海道の宿場一覧。
このうち、現在の区割りで一番宿場が多いのは「静岡県」!
なんと全体の約4割にあたる二十二の宿場があります。
青春18切符では難所とされている静岡県
なぜなら静岡県の通過には3時間以上かかるからです。
乗れども乗れども終わらない静岡県を
普通電車の座り心地が悪いシートで移動することを「ロングシート地獄」と呼び、
あまりの広さに「静岡大陸」とまで言われています。
それはこれだけの宿場の数いるな、と納得。

グーグルマップでウロウロ探し

やっとコメダに着きました。
定番コメダのモーニングは、間違いなし。
お腹を満たしてホテルに戻り
チェックアウトしたら駅に戻って荷物を預け
ここからは静岡で必ず訪れたかった聖地に向かいます。
いや、「巡礼」します。笑
そこにはバスで向かうのですが。。

駅で発見、公衆電話のランナーです

この公衆電話は実際に使えるみたい。
いまでは貴重な公衆電話です。

さて、バスで向かった先は、、、

とおーーーくに見えるの分かりますか?

そう!


一度行ってみたかった!
サウナの聖地「しきじ」です。

ここは「水」が素晴らしいと評判のサウナ。
いかに素晴らしいか書いてくれています。笑

サウナーにとって水風呂はその評価を分ける大切なもの。
温度も大切ですが、
その水質によって大きく評価が変わり
こちらの水質は飲めるほどの清らかさです。


主人と別れ、2時間ゆっくり楽しみました。
はぁぁぁ。夢かなった。笑

帰りのバスから↑の道を発見。
「サ道」の原田泰造演じるなかちゃんさんがタクシーで通った道です。
さて、静岡駅まで戻り次はもう一つの聖地
「富士山」を拝みに行きます。

エレベーターで屋上まで。

はい!富士山!!

ん〜。。。一応静岡で富士山を見る
クリアということで大丈夫でしょうか?

サウナでゆっくりしたので、静岡滞在時間もあと少しとなりました。
あれ、全然お土産とか買えてないよねとなり急遽百貨店へ。

お正月の切り餅発見。
ここは武士のお膝元。
やはり切り餅が王道なのでしょうか。
天皇家や公家の文化は丸餅。
武士は兵士がたくさんいるのでいちいち丸めておられぬと一気に作りのばして切り分ける角餅の文化です。
お土産を買い、新幹線最後の打ち上げ
車内宴の品を買い求めました。





さて、あとはダッシュで残りのプラモニュメントを探します。

あった〜!駅施設の端にありました。
JT(日本タバコ)のランナー。

駅の裏に回ると

こちらは2つ並んでました。


↑ランナーの端についてるタグ。
こんな細かいところもキチンとしています

駅前にはこんなものが。

これは大正4年家康の300回忌を記念して建てられた石塔だそうです。
静岡には「久能山東照宮」という神社がありここに徳川家康の遺骸が納められています
石塔は久能山の方角をむいて建てられており久能山東照宮まで「弐里拾壱町」と書かれています。
家康は自分亡き後について
「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」と言い遺しました。
家康は亡き後、「東照大権現」として祀られ
久能山東照宮では神仏習合の考えから
日本の神様が仏の姿となり現れたものとして「本地仏」もお祀りしています。
阿弥陀如来や観音菩薩など数ある仏様のなか本地仏として選ばれたのは「薬師如来」。
これは、家康の健康志向に由来して
健康や病気平癒を叶える仏様だからとのことです。

プレートに書かれているのは、家康の人生訓
少し長いですが素晴らしいのでシェアさせて下さいませ。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起らば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害其の身に至る。己を責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり。」
幼き頃より人質として暮らし、戦乱の世を不器用ながらも生き抜いた彼ならではの想い
普遍の教えに自らを照らし、
私たちの長い旅も締めくくりたいと思います
静岡
家康公のご遺徳もあり素晴らしい所でしたが訪れたのはほんの一部。
今度はお茶園も行ってみたいな
なんせ広い「静岡大陸」笑
見どころもいっぱいあります。


最後は静岡名物「お茶」を買いました。
新幹線車内宴の乾杯は「お茶」から。
長い旅の締めくくりは
静岡への残心とともに、
清らかにおしまいにしたいと思います。


東北旅を通読して下さった皆さま。
ひょんなことから静岡で終わりを迎えましたが、長い長い旅の長い長いブログを最後まで読んで下さって誠に有難うございました!

今回、私にとって遠い地であった東北を旅しその土地の様々な成り立ちを学んだことで
地域の盛衰には様々な背景があることを知りました。
例えば最初におとずれた新潟では
米の生産量がその土地の価値になっていた頃
かつては潟だらけだったことから貧しい土地とされていましたが
河川の整備や潟の埋め立てにより米の収穫量があがり、富める土地へと変化。
江戸時代には佐渡島にある金の採掘で幕府の金庫のような場所となり、日本の経済を支えました。
また、海運による商いが盛んになると、船の停泊地として港を整備し北前船の拠点として栄え、経済が発展していきます。
人がどんどん増えますが米もたっぷりある。
そこで明治時代に人口日本一となり新潟隆盛のピークを迎えました。
しかしその後、幾多の戦争を経て
日本はどん底の経済状態になります。
そこから日本再建の過程で、かつて大大阪時代といわれた関西にあった企業の本社が次々に東京へと移転していき経済の中心が東京に集中し「東京一極集中」の時代が始まります
流通の要は、水運から鉄道や道路になり
交通の便の悪い地方は廃れていきました。
しかし、
地元の頑張りにより越後湯沢に交通インフラが整備されると、人がたくさん訪れるようになり観光の需要を満たす土地に変化。
変化しつづける時代のなかで
その土地のありようを変化させ
新たな価値を創り出す人々の逞しさを
学ばせていただいた、いい旅でした。

たくさんの切符たちもこれで御役御免です。

さぁ、帰ったら大量の洗濯物の山が届いています。笑
帰ったら洗濯機、酷使します。覚悟してね笑
ではまた、次の旅まで!