美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

沖縄旅行 Day6 波上宮 福州園 やちむん通り


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最終日も素晴らしいお天気!

朝食はビュッフェ形式で最上階のカフェで頂きました

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今日は那覇市内を観光します

まず向かったのは沖縄の一の宮波上宮

一の宮とは 各都道府県にある神社の中でも一番格が上の神社のことです

安里駅からゆいレールで県庁前駅まで移動

ここからタクシーで波上宮まで移動します

タクシー乗り場を探していると「御成橋」を発見

名前からして 天皇のお渡りになった橋ではないかと思い写真をとっておきました

欄干の装飾も凝っています

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調べてみると その通り

ですが橋自体は相当古くからあったようです

古代 沖縄の地形が今とは随分違う頃 

那覇は離れ小島のようになっており 

久茂地(くもじ)との間に川の河口や海が入り組んでずいぶん離れていました

その間を木造の橋で結んだのが 

この橋の始まり

その後一帯地続きになり間を川が流れるようになっても橋は必要とされました

そしてこの橋は昭和天皇が皇太子時代(大正10年)にヨーロッパへ外遊される前に沖縄にお立ち寄りになられ県庁を訪問する際にお渡りになられたのをきっかけに御成橋と言われるようになりました

今の橋は戦後に作り直されたもの

橋の欄干には旗頭(トゥールー)があしらわれています

旗頭とは 沖縄大綱引きで応援のために掲げられる旗のこと

いやいや ここでたくさん謎が出てきますね

大綱引きってナニ?

まずその疑問から解き明かしていきましょう

古来より日本では神事や占いとして綱引きが行われてきました

今日も続いている綱引き行事の始まりは豊漁であったり豊作を「引き寄せる」という祈りから始まったもの

日本各地で今も大綱引きが行われており

北は秋田 大曲の大綱引き そして南では沖縄の大綱引きなど各地域にその伝統が引き継がれています

沖縄では特に那覇 与那原 糸満の綱引きが三大綱引きと言われています

世界各地でも古来より祈りや争いを治めるため 領土の拡大など様々な意図で綱引きが行われてきました

近代オリンピックが始まったとき アスレチック競技(陸上競技)の種目に綱引競技が含まれ 1900年の第2回パリ大会から1920年アントワープ大会まで行われていたそうです

(日本綱引連盟より)

沖縄においての綱引きの歴史は1450年頃に遡ります

慶賀綱として始まり 一旦出来なかった時代もありましたが 1971年に那覇市制50周年記念行事として復活しました

綱引きというとかつて運動会でやった「オーエス!オーエス!」的な綱を思い浮かべると思いますが 各地で行われる大綱引きは規模が違います

遥かに巨大で太く重いもの

那覇の大綱引きは1995年に

全長200m・総重量43トン・挽き手15000人・参加人員27万人(米藁で製作された世界一の綱)としてギネス認定されました

かつては村の威信をかけて行われた大綱引きですが それを応援するために旗頭といものが掲げられます

こちらもまた巨大なもので

長さは7m〜10m 重さは40キロ〜60キロほどもあるものを 男一人で掲げます

旗の装飾には意味があり 読み解けるものは教養があり その旗を一人で担げるものは男の中の男として結婚の申し出が殺到したそうです(たびらいより抜粋)

ちなみに2023年の那覇大綱引きはもうすぐ

10月7・8・9日に開催されます

橋の話に戻りますが かつて

若かりし昭和天皇がお渡りになった御成橋

当時沖縄では 市民総出のお出迎えで沿道は熱狂的な人々で溢れたようです

まさかその後 あのような悲惨な戦闘がこの地で行われるとは 後に昭和天皇となられる方ですら考えも及ばれなかったことだと思います

そしてその事を 陛下ご自身が誰よりも深い思いで心に刻まれたようです

私たちがこの後訪れた波上宮に 昭和天皇の遺された一つの御製歌が刻まれていましたf:id:habbule-no-neko:20230928091546j:image

沖縄一の宮波上宮」なみのうえぐう

沖縄の方たちは愛着をもって「なんみんさん」と呼ばれるそうです

入り口の第一鳥居から坂を上り 

後ろを振り返った景色

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すぐに第二鳥居がありここも一礼して中に入ります
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南国の植物生い茂る神社は やはり沖縄

本殿も琉球瓦の屋根 同じ日本だけれど見慣れた神社とは少し違う琉球の空気を感じます
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本殿脇にある石碑には昭和天皇の御製歌が刻まれていました

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崩御の2年前 念願の沖縄訪問のはずでしたが開腹手術で叶わず

その時につくられた御歌です

思はざる 病となりぬ 沖縄を たずねて 果さむ つとめありしを 

その「つとめ」を果たすため 後に当時は皇太子であられた明仁親王および同妃美智子様が皇室として戦後初めて沖縄を訪れます

ひめゆりの塔戦没者に花束を捧げるお二人に火炎瓶が投げられた事件は今も語り継がれる大きな事件

戦争は身分に関わらず誰の心にも暗闇を遺す

その事を私に刻んだ記憶です

皇室に関するお話が続くので念のため書くと

私は特に皇室の方々に対して全くなんの政治的な思いも持っておりません

ただ戦争について書くとどうしても皇室の話は切り離すことが出来ないので記述が多くなりました

ここからは神社の由緒について書きたいと思います

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神社の由緒はいつとも知れぬほど古いものとのことですが 

神社は第二次世界大戦で破壊され

戦後 昭和28年に本殿と社務所

36年に拝殿が再建され

平成5年 平成の御造営により本殿以下諸社殿が竣工され翌年5月に完成しました

建物自体は随分と新しいものですが

信仰の地としての歴史は遥か古代に遡ります

この地に住まう遥か昔の人々は海の彼方にある海神の国ニライカナイ)の神々を信仰していました

その祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端でした

1700年代前半に書かれた書物に 

その地に神社が建てられるようになる「御鎮座伝説」が紹介されています

昔 南風原に崎山の里主がいて毎日釣りをしていました

ある日浜辺で不思議なものを言う光を放つ霊石を見つけます

石に祈ると以後豊漁が続きそれを知った諸神が奪いにきましたが里主は逃れて今の波上宮のある地に来ます

そこで「吾は熊野(くまの)権現也(ごんげんなり)この地に社を建てまつれ 然(しか)らば国家を鎮護すべし」という神託を得ます

里主はこのことを王府に奏上し王府は社殿を建てて篤く祀ったのが始まり

以来 琉球王府の信仰も篤く

中国・南方・朝鮮・大和などとの交易基地であった那覇港を行き交うたくさんの船が 航路の安全を祈り 豊漁や豊穣など様々な人々の願いと共に沖縄の一の宮として今日まで信仰されてきました

御祭神は

伊弉諾尊 (いざなみのみこと)

速玉男尊 (はやたまをのみこと)

事解男尊 (ことさかをのみこと)

別鎮斎

火神(ヒヌカン

産土神(うぶすなのかみ)

少彦名神(すくなひこなのかみ)(薬祖神)
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琉球瓦にある印は「左三つ巴」

琉球王家の家紋と同じです

下の写真にも左三つ巴の家紋が二つ見えますf:id:habbule-no-neko:20230928092037j:image

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本殿の前にあるのは阿吽のシーサーですf:id:habbule-no-neko:20231002070704j:image

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本殿にお詣りをし右を見るとお守りなどを授けて下さる場所があります

こちらではご朱印ご朱印帳も売っていましたが人が行列していたので諦めました

あとから他の方のブログで拝見しましたが 御朱印帳が沖縄らしく大変可愛かったので行かれる方は一度見てみてはいかがでしょうか 
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神社の横にある道を下ると広場に出ます

ここにはバスケットゴールがあり ここでもワールドカップの盛り上がりを感じました
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抜けると先に海がありますf:id:habbule-no-neko:20230928092643j:image

このように海に張りでた岸壁の上に波上宮があります

行き交う船からこのお社を見上げ 航海の無事を祈ったことでしょう
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波上宮を後にして次の目的地「福州園」を目指します

が 神社を出てすぐの所に何かしら立派な建物がありました
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中に入るとポツンと御廟らしきもの

このように書かれていました
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この中にある蔡温(さいおん)(1682年〜1762年)は琉球時代の政治家です

1682年 久米村(クニンダ)

(現那覇市久米(くめ))で生まれ 

沖縄名は具志頭親方文若

(ぐしちゃんウェーカタぶんじゃく) 

蔡温は 中国名です

蔡温の祖は1392年に琉球に渡ってきた久米三十六姓の一人で 幼少期は気儘に育ちましたが青年になり一念発起

中国に渡り儒学などを学び帰国後 13歳で即位した尚敬(しょうけい)王の「国師(こくし)」(学問師匠)となります

後に三司官(さんしかん)といわれる重要な地位につき 長く務めました

大陸からの冊封使の無茶な要望を丸く納めたり 羽地大川の改修を行ったり たくさんの貴重な本を書き遺したりと功績の多い方です

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この蔡温も生まれ育った久米村が 次に行く福州園でもキーワードとなります
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途中見かけたクロネコヤマトの車

首里城復興 応援してくれていますf:id:habbule-no-neko:20230928200657j:image

福州園手前に資料館がありましたf:id:habbule-no-neko:20230928200722j:image

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様々展示があり 琉球時代の移り変わりなど文化を知ることができます

隣は福州園です
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中国福建省福州市と那覇市の友好都市締結を記念して1992年に開園した福州園

日本では鎌倉時代の14世紀頃

琉球王国は貿易によって大繁栄時代を迎えていました

福建省から久米村(クニンダ)に人々が移住し その人々が通訳や航海術の専門技術を伝えることで その繁栄が支えられました

クニンダの人々は琉球王国の教育にも大きな影響を与え 琉球初の公立学校「明倫堂」もこの地に設立されました

先ほど紹介した蔡温もクニンダの生まれ

この場所から琉球の時代を作る人々が輩出されていきました

福州園はそのクニンダ村のあった場所に作られています 

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久米村の文字 村の入り口に建てられた門f:id:habbule-no-neko:20230928202316j:image

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首里城と貿易船の絵付けf:id:habbule-no-neko:20230928212842j:image

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見どころたくさんで1時間ほど滞在しました
ここで一旦ホテルに帰ります

主人はお部屋でくつろぐとのこと

私はやちむん通り行ってきます!

チェックアウトまで1時間半ほど

急ぎ足で見て回ります

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入り口には昔の井戸が保存されていました
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途中 脇にある坂道を上がるとカラーマンホールがたくさんの道
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ここではやちむん(焼き物)ではなく琉球ガラスの器を買いました

詳しくはブログの「進化する琉球ガラスの魅力 稲嶺盛一郎氏の器」をご覧下さいませ

帰りはタクシーで戻りチェックアウト

そこから歩いて国際通りに向かいました
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途中歩道に「那覇ハーリー」のオブジェが
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那覇ハーリー」は5月に行われる海の行事です

ハーリーの起源は中国

今から2300年ほど前 中国が昔「楚」という国だった時 屈原という詩人・政治家だった人が国から追放され悲しみから命を絶ち それを悼み悲しんだ民衆により始まった慰霊の行事とのこと

琉球に伝わり伝統行事となり中断された時期を経て復活したお祭りです
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しばらくいくとこんな素敵なオブジェが

能勢 孝二郎さんの作品

沖縄では たくさんのパブリックスペースに作品があるようです ステキ!f:id:habbule-no-neko:20230928213239j:image

巨大シーサーもありました

国際通りでは酒屋さんに寄って伊江島のラムを買いました

オリエンタルホテルでバーテンダーの方が作って下さったカクテルで使われていたお酒です

この酒屋の奥さまとは ひょんなことから話が弾んで

泡盛の話 沖縄のお墓参りの風習など様々聞かせて頂きました

沖縄で旧暦の七夕は お墓参りをする日だそうでお墓で花火をするだとか

旧暦のお盆にはウサンミーといってお重に決まったご馳走を詰めてお墓に供えたり

また清明祭(シーミー旧暦の3月)4月もしくはゴールデンウィークの頃 にはお墓の前で宴会をするそうで ご馳走を作って持って行き お供えしたあとみんなでそれをいただくとのこと

ブルーシートひいてね 

今はスーパーなんかでそれ用の持ち帰りのご馳走もいろいろあって 随分と楽になったけど 昔は全部手作りでねぇと

集まる親戚全員の分のお料理を本家のお嫁さんがすべて用意していたそうで 本当に大変そうです

我が家もお正月は御節料理11人分を私が作るんですというと

まぁ!それは大変よねぇ

と言いながらもお互い嬉しそうにお話が弾みました

結局 大変なのよねぇと言いながらも

家族が行事を通じて仲良く集まり 美味しいものを食べてワイワイすることに大きな幸せを感じているんだと思います

家族(親戚も共に)は仲良くしないとねぇ と2人でしみじみ語り

随分長く話し込んでしまいました(笑)

笑顔でお礼を言ってお店を出てそろそろ遅めのお昼ご飯を食べに行きます

沖縄といえばのステーキ

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この後もう一度「やちむん通り」を

国際通りから入り 主人と探索しました

主人は 泡盛用のコップを

私は 小皿を買いました

そろそろ空港に向かわなければいけません

最後のゆいレールに乗り 那覇空港到着

最後に ぜんざいが食べたい!

とおねだりして 空港の食堂で頂きましたf:id:habbule-no-neko:20230928213335j:image

うーん!美味しい〜♫

また食べに来るね そう心に誓ってたっぷり楽しんだ沖縄をあとにしましたf:id:habbule-no-neko:20230928213354j:image

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帰りのフライトはおだやかでした

娘に 楽しかった沖縄の旅をたっぷり話して

買ってきたお土産を眺めます

品物と共に 様々な人の顔も浮かんだ 

いい旅にさせていただきました

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よければそちらもチェックしてみて下さいませ♫