
当日はほとんどの人が今日道頓堀川で船渡御があることをご存知ないよう
いつもの通りたくさんの人々が行き交うなか
道頓堀川を鐘の音と共に船が通り過ぎます
夕方 船渡御が始まると「今日なんかお祭り?」の声とともに人々が集まってきました
ものの本によると
昔の難波(なにわ)祭りは船渡御
高津神社(前回夏祭りでブログアップした上町台地の上にあるお宮さん)から難波八阪神社や大阪天満宮の船渡御が見下ろせたそうで川面に映る篝火やら提灯の灯りが実に見事に見えたといいます
難波八阪神社の夏祭は毎年7月13日14日
13日は道頓堀川で船渡御が行われ
14日は難波の街で陸渡御が行われます
どうやら海外向けにユーチューバーが配信しているらしく参拝者の9割9分が外国人
日本人は私が訪れた時には私とあと一家族しかいなかったように見えました
創建は仁徳天皇の頃といわれ
かつて「難波下ノ宮」と呼ばれていました
有名なのは毎年1月第三日曜日に行われている綱引神事で大阪市の無形民俗文化財です
八岐之大蛇(ヤマタノオロチ)伝説に基づく祭りで大きな大蛇の形に縄をない
神社周辺を巡行して最後獅子殿に祀り無病息災やらを祈るもの
獅子殿の口の中左手に鎮座するのがそれです

こちらの「獅子殿」
高さ12m 奥行きと幅7mと巨大で
1974年(昭和49年)に完成しました
目はライト 鼻はスピーカーという近代的な獅子殿です
大きな口で勝利を呼び 邪気を飲み勝運(商運)を招くと人気なんだとか。
とにかくビジュアルが凄いので海外の方々に大人気で皆さん並んでこの獅子殿で撮影されていました
以前 私が訪れたのは3月
桜と共に獅子殿をエックスにポストしたことがあります

そして夏の神事は船渡御 陸渡御
しばらく途絶えた時期もありましたが
平成13年に江戸時代から230年ぶりに船渡御が復活
これを機に船渡御保存会が結成されました

難波にある湊町船着場で待機し
日吉橋から日本橋の間を行き交います
折り返す時は船の大きさギリギリの川を転回しますがたまにぶつける時もあり
船頭役をしている年季の入った氏子の先達から船を漕ぐ若い衆に「ヘタクソ〜!」などと励ましの怒号が飛ぶことも(笑)
船渡御は19時頃からぼちぼちと始まりますがまだ明るく
暮れて20時頃から本格的な船渡御となります


神主さん率いる神様を乗せた船がゆき
そこから賑やかな地車講の船が続きます

企業の方などを乗せた船も出てマイクでアピールしたりしていました
こちらは551蓬莱の船
橋の上の方から「社長乗ってるんか」と声をかけられ「乗ってます〜!」と答える大阪らしいやり取りも。
氏子の若い子供たちが一生懸命漕ぐ船もあり 真剣な顔が頼もしく思えます

今も昔も大阪の川は賑やかだったようで
大正期に描かれた画に舟遊びがモチーフのものがありました
以前中之島美術館「女性画家たちの大阪」展で買った絵葉書の画 木谷千種「浄瑠璃船」。
これは大阪の川に船を出し裕福な家のお嬢さんが下女を連れて舟遊びをしているもの
著作権の関係で写真は載せませんがネットで調べると出てきます
船が二艘描かれており一艘にはお嬢さんと下女3人が乗り船先でお嬢さんのためにお茶を点てています
もう一艘はその船に浄瑠璃を聴かせるための浄瑠璃船で三味線弾きと唄い手が見えます
手前に少し野菜売の船も見えて
この頃の川が大層賑やかだった様子が偲ばれます
昔の川は大層綺麗だったようで大川などでは魚を捕まえに行って夕食の一品になったという話を老舗の喫茶店の方がおっしゃっている番組をみたことがあります
暑い夏の夕暮れに船を出し
下女の点てたお茶を頂きながら浄瑠璃を聴く
そばで魚が小さく跳ねる音も聞こえたことでしょう
次第に暮れなずみ蝋燭の灯りが川面を照らす
空には満点の星空
川の上を撫でる風が
お嬢さんの もの想う心を優しく包んで
はぁ と一つ溜息
そんな景色を思わせます
今はネオンが
川面を明るく照らしている道頓堀川
昔も今も大阪の川には
みんな「恋や夢のかけら」を
捨てにくるんだって。
上田正樹さんが
「悲しい色やね」でそうゆうてはります