の如きインパクトのある外観
こちらは2022年2月2日にデビューした
大阪中之島美術館です
黒い印象的な外観は建築家 遠藤克彦氏の
遠藤克彦建築研究所によるもの
大阪中之島美術館は 建物 供用家具
VI(ビジュアルアイデンティティ)の
すべてが 公募によって決定しました
美術館の最寄り駅は
ここからなら歩いて5分ほどで到着しますが
他社線なら歩いて10分以上はかかります
正直便利とは言えませんが
まわりには美しい建物があり川沿いの遊歩道 美味しいお店が様々あって
お天気さえよければ最高のお散歩になります
隣にあるダイビル本館の2階からは遊歩道が伸びて信号を待たずに美術館まで行けます
ビルからビルに飛び移るみたいで楽しい
大阪中之島美術館は近現代の美術品を蒐集展示する美術館として建てられました
きっかけは1983年
大阪出身の夭折の洋画家佐伯祐三などの作品を多数コレクションしていた山発産業創始者 山本發次郎氏のご遺族から多数の美術品が大阪市に寄付されたことが始まりです
山本發次郎が活躍した頃の大阪は大大阪時代を迎え東洋のマンチェスターと言われるほど繊維の輸出で一大バブルを迎えていました
現在その栄華を偲ぶ建物として大阪市中央区に「綿業会館」という建物があります
詳しくはブログ内「北浜☆レトロ」をご覧くださいませ めちゃくちゃ豪華です
さて 同時期に繁盛した山発産業は
現在アングルという会社になり
代表商品はアサメリーという下着
知ってる♫という方は私よりお年上の方々ではないでしょうか
上等な下着として知られ
かつては皇室にも納められていたようです
創始者である山本發次郎は
当時の時流に乗り 会社を大きくし
その財産を使って美術品を蒐集しました
大正から昭和初期にかけての大阪はその財力から 船場の旦那衆を中心に粋を極めるのがステータスのような時代でした
自宅に茶室を作って客人をもてなしたり
名画や器 書など数々の美術品をこぞって蒐集し 披露するために集まっては宴を開く
今回拝見した
「決定版!女性画家たちの大阪」も
そんな当時の大阪特有の文化を拝見出来る展示内容となっています
当時の大阪の画家は特定のパトロンのために描くことで収入を得ることが出来ました
そうした環境はガラパゴス的に発展し
画壇を意識することなく
当時の優雅ななにわ文化や
美人画に納まらぬ内省的な絵のモチーフなど
美や自己表現を追求した作品が多数描かれることとなりました
そんな なにわ文化華開く時代に
山本發次郎によって集められた美術品が
多数遺族によって大阪市に寄付され
それをもとに美術館を開こうというのが
大阪中之島美術館構想の始まりでした
それが今から40年ほど前のお話
その後1988年
大阪市政100年を記念して大阪市立の近代美術館を建てようということになります
1990年には準備室が立ち上がり
当時折しも日本はバブル景気真っ只中
大阪市はその財力を活かして
19億3000万円でモディリアーニの作品
「髪をほどいた横たわる裸婦」を購入し
他にも何億とする絵画をコレクションとして購入していきました
他にも寄付された絵画など数多く集まり
コレクションは充実していきます
しかしご存知の通り日本のバブルは
パチンと弾けました
一気に財政難になった大阪市は市民からそのお金の使い方を非難されることになります
絵画だけでなく建物など負の遺産と言われ
市長が変わるたびに美術館建設の意義が問われ 一時は白紙撤回の憂き目にあいます
しかし紆余曲折の中
美術品の寄付などは途絶えることなく
購入したものと合わせて
計6000点を超えるコレクションをひっさげ
2022年2月2日
三十年もの長きにわたり
練りに練った新美術館構想を実現した
大阪中之島美術館が開館の運びとなりました
美術館建設は一般公募により
すべてコンペ形式で決定されました
市からの提案は「パサージュ」
フランス語で小径などの意味ですが
ガラスのアーケードに覆われた商店街をイメージした誰でも気軽に訪れることができる
街と繋がった美術館を創りたい
とのことでした
それを体現するアイデアを出し
見事受注したのは
遠藤克彦氏率いる遠藤克彦建築研究所
そしてそのアイデアとは
中之島に浮かぶ「ブラックキューブ」でした
すべての色を吸収し
他者を寄せ付けないほどの個性を持つ
このブラックキューブ
大阪市の提案とは真逆のような見た目は
その分インパクト抜群!
あの黒い美術館といえばすぐ思い浮かびます
そして通りから美術館へ向かう道は
通りと美術館を繋ぐパサージュ(小径)
緑に彩られた小径を 無駄に遠回りしながら階上の広場へと向かいます
初めて通った時の感想?
なんでこの無駄な動線(プンスカ)
でした(笑)
常に最短を目指し生活するワタシ
けれどそんな私にこの小径は気づきを与え
今から美術館に美しいものを見に行くのに
何をそんなに必死に生きると言われた気が。
自分に苦笑しながら上がりきった広場には
「SHIP'S CAT」
こちらはヤノベケンジ氏の代表作ともいえるシリーズで世界各地にあります
この猫は 昔船にネズミ退治のため猫が乗せられていたことからヒントを得た
未来へ旅する猫です
猫の着ているオレンジ色は
海に縁の深い厳島神社の朱塗りの門や
海や川の救難救助のための国際標準色をイメージし
サモトラケのニケ(船首にある勝利の女神)をオマージュした翼を胸にあしらい
旅の道しるべ北極星を見つめるよう
真北を向いて立っています
背中のボンベは海でも宇宙でも行けるように
かつてこの場所がたくさんの船が往来していた場所で 蔵屋敷の舟入だった土地柄も考慮してつくられた
大阪の人々を見守る福を呼ぶ猫
大阪中之島美術館のための
シップスキャットとなっています
ちなみに展示室入口にある
「ジャイアントトらやん」もヤノベ氏の作品
こちらはヤル気になれば火を吹くことが出来ますよ
さて
外観が私たちを拒絶するかのような黒だと思っていたのにそこに現れるのは透明なガラスのエントランス
内と外が曖昧で中に足を踏み入れると
街と人を繋ぐ大きな吹き抜けの大空間が広がり訪れるすべての人々を迎え入れてくれる
まさに「パサージュ」となっています
大きな建物のくり抜かれた大空間を登る長い長いエスカレーターはまるで宇宙船に乗りこむような気持ち
少し怖いくらいの長さと高さにドキドキ
ですがそのドキドキは自然と目に入る展示の垂れ幕にワクワクする気持ちへと変わります
吊り橋効果?
それはさておき(笑)
設計した遠藤氏によると
表面は印象的なブラックキューブだけれど
中の各階層が都市と地続きになり繋がるように設計したとのこと
美術館という閉ざされた空間にあって
各階層で東西南北すべての面にガラスの壁を作り常に中之島を感じることが出来るようになっています
閉じた公共と開いた公共の同居
それを実現させるため 外観はシンプルに
中は熟考され尽くした複雑かつシンプルな空間にすることで人の流れや動きを作り
それが中之島全体の回廊の接合部となるように設計されています
ちなみに
外観の黒を「黒」として認識させるのが思いのほか難しかったようです
黒は 光を受けると白と認識されるようで どの時間帯でも黒と認識されるようにするのは様々ご苦労があったようです
さて
建物の設計と同時進行で次に決まったのは
VI(ヴィジュアルアイデンティティ)と
供用家具でした
VIはコンペの末
direction Qの 大西隆介氏
(おおにしたかすけ)
家具は
藤森泰司アトリエの藤森泰司氏
(ふじもりたいじ)に決まります
ヴィジュアルアイデンティティとは
ブランドの価値やコンセプトを可視化したロゴやシンボルなどを中心にブランドを象徴するデザイン一式のこと
奇しくも2人は別々に熟考を重ねた結果
同じ結論 中之島のN(エヌ)をモチーフにすることとなります
美術館のロゴは建物の外観をストレートにデザイン化したエヌになり
美術館用にデザインされた椅子やベンチも基本構造をエヌにしたものに仕上がります
また
ロゴは四角を積み重ねたシンプルな構造で 名刺用にデザインを発展させる際もその基本の造りを少し応用することで出来上がります
出来上がりはシンプルだけど
出来上がるまでのプロセスは非常に考え抜かれた複雑さを内包するもの
家具も
カンディハウスと手を組んで仕上げた椅子はその用途別にくつろぐものから少しの緊張感を持って座るものまでバリエーションが豊か
その場所に置くべき家具
またそれをどのように配置するかなど
出来上がった家具はシンプルに見えるけれど
近寄ってよく見てみたらとても熟考された複雑な思考に基づく構造をしていることに気づきます
目指したのは近くと遠くが同居する美術館において存在感を持ちつつ重さを排除する家具
お二人とも建物の設計と同時進行で情報が少ない中 想像力をもって
送りて(美術館)と受けて(利用者)の
両方に寄り添う心を持って挑まれた結果でした
デザインの先に人がいる
それはこの3人の皆さんに共通した
志しだったようです
さて
長々とお話してきましたが
日本の近代史と共にあった
長きに渡る美術館完成までの道のりと
所蔵品のクオリティの高さが物語る
広く深い大阪の文化に培われた美術品の数々
そして中之島のすべてを貫く
ノブレスオブリージュによる寄付の数々
それらをすべて内包した大阪中之島美術館
是非一度訪れて
その価値を体験してみて下さい
きっと 心躍る街を感じることが出来ます
木谷千種「浄瑠璃船」大正15年
かつての大阪では川に船を出し浄瑠璃を楽しみながらお茶を楽しむような豊かな時が流れていました
てっきり平面の画だと思っていたら屏風仕立ての作品でした
折られて展示された屏風は奥行きや川のゆらぎまで感じさせ屏風に仕立てた効果抜群!
素晴らしい作品でした
昔この辺りの川は美しく土佐堀川では泳いだり鮎も生息していたそうです
〈この記事を書くにあたり〉
「瓜生通信」
https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/863
を参考にさせていただきました