美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

日本銀行大阪支店 

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お向かいの大阪市役所本庁舎前からミャクミャク様に見つめられている日本銀行大阪支店

ノンビリ横臥のミャクミャク様に対し

こちらでは必死に地球を取り合う人々の姿が。

この土地は我が国のものだ!!

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なぁんていう現代風刺の彫像ではなく

こちらは郵便制度100周年の記念ポストです

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日本に3基しかないこの記念ポスト

後ろに「駅遁司大阪郵便役所跡」と刻まれた碑があります

今の日銀大阪支店の建つ場所は元々各藩のお米が運び込まれる蔵屋敷の立ち並ぶ地域

江戸時代には島原藩水戸藩蔵屋敷が軒を連ねていましたが

廃藩置県により蔵屋敷は廃止 

取り壊された跡地に

明治になり出来た郵便制度により大阪で最初の「駅逓司(えきていし)大阪郵便役所」が建てられました

その後 郵便役所は京橋に移転し

空いたこの地には「内務省大阪衛生試験所」(官営の医薬品試験機関)が建てられます

後に敷地一部に大阪経済の大恩人 五代友厚が私邸を構えたこともありましたが

1903年(明治36)年 今に続く

日本銀行大阪支店が建てられました

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そもそも日銀大阪支店は1882年(明治15年

東京の本店設立後 ほどなく大阪の旧東区 現在大阪倶楽部のある場所に開設されました

しかし2年後

すぐ近くにある現在三井住友銀行大阪本店がある場所へと移転

1903年明治36年)になって

今の中之島の地に辰野金吾設計により 現在旧館と呼ばれている建物が建てられました 

1982年(昭和57年)に新館を増築

同時に 大大阪時代の地下水汲み上げによる地盤沈下に悩まされていた旧館の保存工事も行われ 現在のような建物となっていますf:id:habbule-no-neko:20240120092439j:image
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ベルギー国立銀行をモデルに設計されたこの建物はホームページで予約すれば内部の見学も出来ます
シンメトリーな造りの中央上部にはドームがあり その両側には三角の屋根

かつてはその下がロビーだったため屋根には採光を考えガラスがはめられていますf:id:habbule-no-neko:20240201162954j:image

オシャレな避雷針が6本あるそうですが6本全部は見つけられませんでしたf:id:habbule-no-neko:20240201162903j:image

正面エントランスには角柱と丸柱が共に配置されイオニア式の柱頭飾りなど重厚な装飾が施されています

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立派なエントランス上部には真ん中に日の丸がデザインされている日銀マークがあしらわれています

このマークはお札にも書かれているので一度探してみて下さい

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でも なんだか暗くて辛気(しんき)くさい

わねと思ったあなた

実はその感想 間違ってはいないのです

もとは白い外観だった日銀大阪支店ですが 戦時中大阪は空襲に見舞われたくさんの人々や建物を失いました

当時は飛行機でやってくる敵から見つけられないようにこの辺りの建物は薄墨で黒く塗られ見つけにくいように対策されていたのです

日銀大阪支店も当時は黒く塗られていました 

戦後 その跡は暗い影を残しつつも

戦争という歴史を伝える史跡として

建物保存の際にも汚れを落としすぎないよう新館との色のバランスを保ったとのことですf:id:habbule-no-neko:20240201164429j:image

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新館の外観は旧館や蔵屋敷だった歴史をくみ取って考えられたものだと感じます

防犯のこともあると思いますが

窓の外につけられた扉は分厚く「蔵」を感じさせます

旧館の内装は大変凝った造りの豪華西洋建築是非ご紹介したいのですが

あいにく写真を持ち合わせておらずお見せすることが出来ません 申し訳ありません

いずれ見学会に参加したいと思っていますが

なにせ日本銀行

防犯上秘密がたっぷりの場所なので全部紹介とはいかないと思います

様々ユーチューブ等でも特集のものがあるのでそちらを見たほうが情報は多いと思います

現金を搬出入する門の表記板は薄く塗られて読みにくくしていたとか 様々プチトリビアも教えてくれます(ユーチューブeo officialぶらり歴史歩きより)

中庭には豊臣秀吉大阪城を築城した際 城からちょうど20町(2.2キロ)の目印とした樹齢100年を超えるクスがあったり 

江戸時代の蔵屋敷に植えられていた樹齢2・300年と推定されるイチョウもあるそうです

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ちなみに正面玄関の門は大変立派ですが

現在開けられることはないそう

当家の母屋の門と同じです(苦笑)

母屋の門は両開きの正式な門ですが

普段絶対に開けることはありません

この門が開くときは産まれた時と結婚する時 そしてお葬式の時だけ。

結婚した後その話を聞いて主人に

「え ほんとに結婚式の日はあの門開けて式場に来たの?」

と聞くと「そうだ」とのことでした

次くぐる時はお葬式かぁ と急に家族になった切実さを感じた思い出深い話です

それはさておき(笑)

皆さん日銀ってどうして出来たかご存知でしょうか

いまや暮らしに欠かせない通貨

ブツブツ交換の時代から様々乗り越えて

人類が現在ほとんどの地域で使っているのがその国独自の「通貨」という仕組みです

日本では円が制定され

日本銀行ではお札の発行が行われたり

物価の安定や金融システムの安定のために業務が行われています

そもそも日本の通貨は各藩でバラバラに決められたものでした

明治の世になり新貨条例で「円」という通貨を決め明治6年に銀行制度が導入されました

この時はアメリカとイギリスのどちらの銀行制度を参考にするか検討の結果

アメリカ式が採用され国立銀行制度が導入されました

第一 第二とナンバー制の銀行が設立され 政府公認の銀行として紙幣を発行することが出来ました

しかしその後そもそも経済に詳しくない元士族の人などが立ち上げた銀行の経営は 浪人などの貧しい人々に貸付けが行われ

たちまち立ち行かなくなります

倒産するものが続出して 

やはり国が経営する中央銀行を設立して日本銀行券として管理しなければということで

現在の「日本銀行」が設立されました

現在でも第〇〇銀行と数字のついた銀行は

当時の国立銀行のナンバーをそのまま使っている名残だそうです

1882年(明治15年)に開業された日本銀行

日銀創設時 株主を募ったところ

東京74人 大阪121人 京都113人 滋賀80人と圧倒的に関西の株主が多かったとのこと

当時の大阪経済に勢いがあったことが伺えます

ちなみにプチトリビア

日本銀行大阪支店の初代支店長は外山脩造氏

彼は大阪支店長を経て大阪でアサヒビール阪神電鉄を創業された方です

阪神電鉄所有の球団 阪神タイガース

昨年は38年ぶりの優勝で私の亡くなった父も草葉の陰で大泣きに泣いて喜んでいたのではないかと思うのですが

その名前の由来について

大阪と並ぶ世界の工業都市デトロイトにある「デトロイト・タイガース」からとったのではないかという説が有力らしいのですが

実は阪神電鉄初代社長だった外山氏の幼名は「とらた(寅太)」

それが阪神タイガースの名前の由来ではないかという説が日銀では密かに囁かれているそうです

日本の経済を背負ってたつ日本銀行

しかし業務はそれだけではありません

傷んだ紙幣を新札に交換するのもお仕事

条件はありますが災害で泥にまみれたお札やちぎれてしまったお札を新しいものに交換するのも日銀のお仕事です

通帳や印鑑を失くした方々にも災害時における特別救助措置として出来るだけスムーズに現金を手に入れられるよう各金融機関や損害保険会社に要請するのも日銀のお仕事

それを受けて各金融機関では臨機応変に本人確認をし速やかな払い戻しなどの便宜が計られます

今回の能登半島地震においてもその要請がなされたようです

なんだか遠い存在だった日本銀行ですが

案外私たちの暮らしの味方なのかもと

今回少し身近に感じることが出来ました