美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

北海道旅行 1日目 

1日目推しの景色はコチラ☆

小樽北一ガラス灯油ランプのシャンデリア
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主人の大学の講座も一段落し冬休み

かねてから念願の

「白銀荘」での雪ダイブを旅の目的に

5日間の北海道旅行に行ってきました

白銀荘とはサウナーの聖地

上富良野駅からバスで更に40分ほど登った所にある十勝岳連峰中腹にある温浴施設です

山深い場所にあるその施設はサウナでアツアツの身体を積もった雪にダイブさせることの出来るサウナーの夢を叶える場所

でもその他にも

北海道で様々な観光や体験をするつもりです

1日目 千歳空港→小樽観光→札幌泊

2日目 札幌(市内 北大見学)→旭川

3日目 旭川

旭山動物園 駅裏クロスカントリー

4日目 旭川

(白銀荘と上富良野散策)

5日目 旭川→北広島(ファイターズの本拠地エスコンフィールド見学)→千歳空港→帰阪

極寒北海道の旅は大阪に暮らす私にとって

非日常感に包まれた日々となりました

素晴らしい体験もありましたが

大変困った経験も。

今回はそんな失敗を経験して得た旅のコツも書いていこうと思います

まずは早朝自宅を出発するところから

早朝ランをかねて駅までランニング

北海道用に着込んだダウンにタートルネック雪対策の登山用の靴と両手をあけるリュック

暖かい大阪では大汗をかいて電車に飛び乗りましたが4時間後にはすべての装備に感謝することとなります

というのも

札幌や旭川など開けている都市の主要な歩道には融雪用の設備が埋設されていて快適に歩けますが 一歩脇道に入ると氷のような地面

私は登山靴を履いていきましたが

イカットのタウンシューズを履いて行った主人は現地で靴を買う羽目になりました

冬の北海道旅 コツ1つ目は

靴は雪用のものを用意することです

さて関西国際空港から

予定通りANAで千歳空港へ

機内でお世話になったCAの方からシールとメッセージカードを頂戴しましたf:id:habbule-no-neko:20240221160332j:image

KIXとは関西国際空港のこと

Xってナニ?とかねてより気になっており

調べてみました

KANSAI international airportは本来KIAなのですが世界共通空港コードを決めているIATA(国際航空運送協会)が先にパブアニューギニアのカイアピット空港にKIAを使っていたため残っていたアルファベットから関西国際空港が「KIX(キックス)」となったとのこと そういうことだったんですね

「北海道の旅を楽しんでくださいね」

と温かなお言葉を頂戴し千歳空港に到着

Xにポストした通り 北海道に来たら 

とりあえずビールならぬ 

とりあえずソフトクリームです!

北海道はソフトクリーム天国

悩んだ挙げ句雪印パーラーを選びました

生乳のコクを感じつつさっぱり清らかなお味

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滞在中5つソフトクリームを頂きましたが

最終日投票の結果 満場一致で優勝はこの 雪印パーラーとなりましたf:id:habbule-no-neko:20240228132607j:image

空港からJRの快速エアポート小樽行きに乗車

「イランカラプテ」アイヌ語

「こんにちは」から車内放送が始まります 

漫画「カムイ」から映画化もされアイヌ文化はいま大変注目をあびていますが

かつて和人(日本人)が北海道に入植した頃

アイヌ民族は人種差別や強制労働 虐待などされた歴史もあります

2020年政府も交え北海道白老町アイヌ文化の復興を目指す「ウポポイ」が建てられ

札幌駅地下道 旭川駅の中でもアイヌ文化の展示を見る場所がありました

現在様々な場所でアイヌの人々のアイデンティティを取り戻す活動が行われているようでこの車内放送もその一つであると思われます

が この時はそんな歴史をよく知らず

乗り込んだ電車にただただワクワク

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移りゆく雪深い景色にテンションが上がり 車窓に釘付けでした

街から次第に海岸線を走り出すと小樽に近づいたことがわかります

事前に何度もYouTubeで見た北海道の鉄道

愛でポイントは汚れた窓です

北海道の鉄道の窓は総じて汚れていますがJR北海道の経営が苦しいことや自然厳しい土地に降り続ける雪などで汚れを落としてもまた汚れてしまうので仕方がないことのようです

景色が見にくい窓というのも北海道ならではの名所のひとつ

そしてもう一つ最愛の愛でポイントは

「警笛の音」です

かつて浅田次郎著「鉄道員(ぽっぼや)」を

梅田の紀伊國屋書店で購入し阪急電車で読みながら帰宅する途中 車内で号泣した私

北海道の鉄道にはひとかたならぬ

ノスタルジーを抱いています

北海道の鉄道では踏み切りやトンネルも多くまた動物なども出てくるのでしょっちゅう警笛が鳴らされます

電車の警笛には

低音のタイフォン(ファーン)と

高音のホイッスル(ピーっ)があり

都市部ではタイフォンが多いのですが

山間部が多い地方で 遠くまで届けたい時

または動物よけなどの効果を期待して

高音のホイッスルが使われるようです

音を吸収する雪の中でも

遠くに届くホイッスルの音は

泣いているような 叫んでいるような

切なくも 雄々しい響き

北の大地に鳴るたびに 私の音テツ心が 

キュンっ☆となるのでした

さて新千歳空港から1時間17分で小樽に到着

降り立つや早速厚着と登山靴の靴底の威力に助けられました

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こちらの駅には裕次郎ホームと呼ばれる場所があり往年の大スター石原裕次郎が降り立ったホームであることを記念して

4番線は裕次郎さんが好きだったヨットのカタチをしています 
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ホーム奥には裕次郎さんの等身大パネルもありますが個人的にはその付近にある改札上のランプが一望できる窓がお気に入り

ランプは全部で333個

すべて北一ガラスさんから寄付されたもので特に夜は雰囲気最高でした

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早速お昼ご飯を頂こうと事前に予約してあったお寿司屋さんへ向かいます

ここで北海道旅行のコツ2つ目

できる限り食べる場所は事前に予約をしておくこと

ラーメン屋さんなどは並ぶか開店と同時に向かうなどしなければなりませんが 

お寿司屋さんや居酒屋さんなどは予約が必須

旅行中旭川で行きたかった新子焼きで有名な居酒屋さんを訪れた際には席が空いていても「これ以上お客さんきても焼けないから無理よ~」と入店を断られたこともありました

並ぶにしても本土とは違い冬は零下13度の中外で待たなければなりません

枚方パークにある 様々なものが凍る世界を体験できる施設「カチンコチン」の中で閉じ込められるようなものです(笑)

食べ物にこだわるなら冬の北海道 

予約が必須です

さて駅から歩いてお寿司屋さんを目指しますが地図では遠くないけれど凍った道を雪の降りしきるなか向かうのは心がくじけます

少しでも楽しみをと私は必死でマンホールを探しましたが 雪に埋もれて見えない!

そうか 冬の北海道でマンホールを写真に納めるのは大変困難なことなのだと知りました

そんななか見つけた貴重な蓋の数々

しばしマニアにお付き合いを(笑)f:id:habbule-no-neko:20240221170708j:image
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↑コンクリートが柔らかいうちにスタンプしたのか 右上に延びる切込みが気になる

小樽の運河の景色 倉庫とランプ

↓こちらはデザインマンホール
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↓これは変わってて北海道のカタチに道 

この寒さのなか道という字をみると茶道や柔道と同じ意味で北海道に思えてくる(笑)

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マンホールに散らばっている小石は滑り止めに撒かれているものです

脇に入ったところにあるお寿司屋さん

「おおとみ」さんでお食事です
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お二階のお座敷に通して頂きました
おおとみ握りのセット お味噌汁などついて一人前2500円大変美味しく頂きました

寿司屋通りからは一筋入った場所なのでお値段も手頃なお店です

お店の女将さんとそれぞれの息子の話で盛りあがり「また来てね~」と暖かくお見送り頂きました 

さていよいよ小樽観光です

噂に聞いていた雪が積もらないように信号機が縦になっているのをみて感激(笑)

逆に今のLED信号機になってから省電力のため温まらないので雪が溶けないんだよねという主人の解説を聞きながらフムフムf:id:habbule-no-neko:20240226154240j:image

少し歩いて「手宮線跡地」に来ましたf:id:habbule-no-neko:20240226154338j:image

今は使われていない踏み切り

奥に噂の縦型信号機が見えます

今は廃駅となった「色内(いろない)駅」

基本 北海道の地名はアイヌ語からきているものや本土から北海道に入植した人々の出身地などが当てられることが多く 

この色内(いろない)はアイヌ語由来のもの

イルエ=ナイ(澄んでいない川)とも

イルウエ=ナイ(熊道の沢)とも言われていますが そこから転化して色内となっています
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今は廃線手宮線はかつて小樽港近くにあった 手宮駅から南小樽駅を結ぶ短い路線で

日本国有鉄道国鉄)の鉄道路線(貨物線)でした

北海道で最初の鉄道(官営幌内鉄道)開業区間の一部で 当時石炭や海産物の積み出しで大賑わいでしたが時代の流れと共に衰退

1985年(昭和60年)に廃止となりました

手宮線途中駅の色内駅付近は 小樽が石炭やニシン漁などで大儲けしていた頃に北のウォール街といわれるほど栄えた街の中心地

この駅前は銀行通りとなっていて様々な銀行が軒を連ねるなか

かつての日本銀行小樽支店が建っています

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ちょっと雪で動けなくて撮りにくいf:id:habbule-no-neko:20240226162247j:image

日銀小樽支店は1912年(明治45年)に竣工されました

設計は毎度登場の近代西洋建築の祖

辰野金吾と弟子の長野宇平治

そしてブログでも書いた大阪市中央公会堂がデビュー作の岡田信一郎の3名によるもの

ブログ初登場長野宇平治辰野金吾と共に数々の日銀の設計に関わっており

以前ご紹介した日銀大阪支店もその一つですf:id:habbule-no-neko:20240226203455j:image

壁面上部にアイヌの守り神である

シマフクロウがあしらわれていますf:id:habbule-no-neko:20240226210405j:image

入口扉には日銀マークがあり扉は頑丈な造り

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北海道らしい寒さを入れない二重扉

服についた雪もはらえます
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入ってすぐのフロント下には大理石

よくみると化石が見えるところもあると聞いていたのでめちゃくちゃかがんで探したけれど私には見つけられなかったです 

小樽支店は現在金融資料館になっています

様々資料が展示されており
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一億円の重さを体験出来たり
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実際使っていた金庫に入れたり
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災害などで使う緊急用の出入り口など

様々日銀の秘密を教えてくれます

中でもヲタを喜ばせてくれたのはこの写真

現金輸送用貨車(マニ)
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マは客車の重量(42.5t以上47.5t未満)

ニは車両の用途(荷物車)を意味しています

現在は貨車での現金輸送はなくなったのでこの車両も使われなくなりましたが

当時はマニアの間で語ることもご法度

なぜなら大量のお札を運ぶ現金輸送貨車は

その存在こそ知られていましたが運行情報や車両の詳細などすべてトップシークレット

運行は国鉄でしたが車両の所有は日銀で

現金輸送の時に乗車する日銀社員も直前まで行き先など知らされず運行されていました

運行時は扉に天幕が張られ

鉄道公安官と警察官が同乗し運行時間は極秘

たまたま見かけても

口にすることもはばかられる貨車でした

時代と共に現金輸送はトラックの仕事となり現在は引退して内部も公開されています

日銀をあとにして小樽の町並みを散策します
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小樽が栄えていた頃の名残りがそこかしこに残っています

運河沿いの倉庫群は有名ですが街のあちこちに小さな倉庫がいまだあり

その佇まいは懐かしく美しく

当時の街や労働の素朴な

「用の美」を遺してくれています

町にはたくさんの古い建物が残っていますが

第2次世界大戦末期には

小樽は大規模な空襲を受けていました

北海道には広大な土地が広がりますが

当時軍需工場などがあった地域 特に室蘭 釧路 根室は大変な被害を受けたようです

それに対し道庁のあった札幌はほぼ被害なし

ですが農業や漁業で栄えた函館 小樽 帯広 旭川は空襲を受け多数の死傷者を出しました

私が高校生の頃 

修学旅行で乗船したことのある青函連絡船も戦争末期に随分と破壊されたそうです

空襲を受けて尚これだけの建物が残っている小樽の繁栄やいかばかりかと想像すると共にこのあとご紹介する小樽の倉庫を守った

「木骨石造建築」の効果も多大なのではないかと推察されます 詳細は後ほど。

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あまりの寒さにいったん建物に避難して

おやつを頂くことにしました

小樽運河ターミナル内「桑田屋」さんの

「ぱんじゅう」パンと饅頭の間?

ちょうどいい大きさ甘さと温かさ♫

元気をもらって えぃっと扉を開け

「カチンコチン」の世界に戻ります

少しいくと有名な運河に出ますが

その手前に出抜小路(でぬきこうじ)という飲食店が集まる場所があります

運河の荷物を運び出す(出したり抜いたり)意味かゆえんは謎だそうですが 

かつてここは火事の多かった小樽で火の見櫓(やぐら)の役目を果たしていました

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火事の時には活躍する鐘

こちらは無料で上がれて火の見櫓からは運河とその向こうの海までも見渡せます
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倉庫前の人だかりがしている場所が映えスポットなのですがいつも人だかり

少し先の中央橋から逆に見渡し写真を撮影
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後ろを振り返ると交差点の対角には

旧小樽倉庫本社があります

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江戸時代より命懸けで海を渡り各地の特産品を寄港地で商うことで莫大な富を得ていた

北前船の船主たち

こちらの倉庫はその北前船の船主であった

加賀の商人西出孫左衛門と西谷庄八により建てられた倉庫です 

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北前船とは江戸時代から明治にかけて栄えた商船のこと

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大阪から下関 北海道へと西廻り航路で

各港に立ち寄り船を使って商いをすることで命懸けで莫大な富を築いた商人たちの船ですf:id:habbule-no-neko:20240228125230j:image

見ての通り帆船で荷物を運搬

こんな薄っぺらい布を張り合わせて帆を作り日本海の荒波を乗り越え荷物を運ぶ北前船

当然難破して積荷や命を無くす時もあります

まさに命懸けの仕事です

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北前船について話すとき

北海道の歴史にも触れなければなりません

そもそも北海道はかつて日本で蝦夷地と呼ばれアイヌ人が点在して住んでいる土地でした

江戸時代には和人(日本人)は北海道に入植北海道左下あたりの渡島(おしま)半島で松前藩として住み

本土と蝦夷地の交易の仲立ちをしていました

アイヌ人は本土の鉄や米が必要で

本土ではアイヌ人の採る海産物や肉類が必要

物々交換をする交渉を

松前藩が独占して行っていたのです

最初はいい関係を築いていましたが

次第に松前藩アイヌ側に不利な条件を突きつけるようになり争いが起こります

数々の戦や火山噴火による鮭などの不漁がありアイヌ民族は次第に力をなくしていきます

そんな中

幕末頃よりロシアの南下政策により蝦夷地への侵略が危ぶまれたことから

日本は明治の世になり廃藩置県を施行するなか蝦夷地を北海道へと名前を変えて北海道の土地を政府の統治下とします

日本の領土であることを見せつけるため本土からたくさんの人々を入植させ

屯田兵として各地に住まわせ開拓を行います

この頃からアイヌ民族は日本人として生きることを強制され現在に至ります

話は北前船に戻ります

江戸時代には松前藩の許しを得てアイヌの人たちと交易していましたが

明治になり政府の統治下となった北海道で物のやり取りが自由に出来るようになりました

入植者たちは次々と北海道を開拓し

港を開き鉄道を敷き石炭を掘り農作物を作り漁をしたので北海道との物のやり取りはさらに活発になります

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北前船で本土から入植者達の物資を運んだり

帰りは北海道の穀物や海産物を運んだりして

益々栄えていきました

そんな中北前船の船主だった加賀の西出孫左衛門と西谷庄八が倉庫業に目をつけ

1893年明治26年)にこの倉庫を建て

港に集まる物資を保管することで

また莫大な儲けを生み出したのです

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こちらの倉庫は現在運河館として

当時を偲ぶ資料をたくさん展示しています

入り口アーチ上部の菱形は

小樽の「小」の字をデザイン化したもの

当時の従業員の法被(はっぴ)などに使われている印です

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当時木造の家屋が多く火事も多かったので

大切な荷物を守るため中は木造だけれど外壁には小樽軟石を使う「木骨石造建築(もっこついしづくりけんちく)」で造られています

このおかげで火事や空襲にも耐えたようです
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外壁の角には鯱(しゃちほこ)が飾られています
鯱は伝説の生き物ですが

建物が火事になると口から水を噴き出して火事を消してくれるという言い伝えからお城や大切な建物には鯱が多く飾られています

屋根瓦が多用されているのにも理由があり

船で荷物を運ぶ際 

船が波で沈むのを防ぐため船底に重いものを入れて重心をとることが大切でした

入植者たちの家を建てるのにも重宝するので大量の瓦を船底に積んで重心を取り 

港に着けばそれを売り物にするという

一石二鳥の方法が取られたそうです

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北前船は栄華を極めましたが時代と共に衰退

電信の発達により情報が普及し物の値段を一方的に上げられなくなったことや

急速に発展していった鉄道網により運搬の競争がおこったことで

北前船の一人勝ちの時代が終わります

展示は北前船だけでなく

小樽の歴史についても解説されています

小樽では「忍路環状列石(おしょろかんじょうれっせき)」というストーンサークルが発掘されており縄文時代に人がいた歴史についても解説などありました
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さてそろそろお楽しみのお買い物タイム

折しも小樽の夕景をロウソクなどで彩るイベントが行われており

暖かな光が灯りはじめた街を歩いて行きます

滑らないよう恐る恐るね(笑)
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商店立ち並ぶ地域をしばらく歩くと

北一ガラス3号館に到着です
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かつてニシンの加工品など様々なものを保管していた倉庫を使って現在北一ガラス3号館として営業しています

当時のトロッコの線路も残っています

こちらはカフェが有名で店内はガラスで作られたランプの明かりで照らされています
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カフェの開店時間に行くと

一つひとつランプに灯りがともされるのを見学することも出来るようです

こちらでソフトクリームを頂きたかったのですがなんと3分前にオーダーストップ!

閉店がこの日は6時だったので5時過ぎに到着したのですがアウトでした(涙)

ちゃんと調べていけば良かった

ですがお写真だけでもいいですか?とお聞きすると快く快諾してくださりパチリ

ありがとうございました
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ステンドガラスも美しい

小樽といえば北一ガラスですが

なぜ小樽でガラス産業が栄えたかご存知でしょうか

それもかつて小樽を豊かにしたニシン漁と関係があります

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かつてニシン漁で大儲けした小樽ではニシン御殿なども有名なほど大量にニシンが獲れました

漁では上の写真のように網を仕掛けて獲るのですがその網を浮かせるため「浮き球」が大量に使われたのです
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以前沖縄のガラスの歴史を書いたことがありますが

日本では江戸時代になってからガラスがやっと作られるようになり北海道では開拓が始まってから人々の営みのためのガラスの需要が高まります

まだ電気が通っていなかった頃には灯油ランプが夜を照らしガラスのランプは必需品

また漁が盛んになるにつれ浮き球が必要となり小樽では特にガラス産業が発展しました

しかしガスや電気が流通し浮き球はプラスチック製品へと変化するにつれ

ガラス産業は衰退していきます

ですがその時培われた吹きガラスの製法を使ってコップや花瓶などを作ることで小樽でガラス産業は生き残ったのです
全国海辺にあるガラスを作る地域は かつて漁のための浮き球作りから始まった所も多いのではないでしょうか

さてこちらではお揃いのマドラーを購入しf:id:habbule-no-neko:20240228150350j:image

建物内にあったソフトクリーム屋さんでソフトクリームを頂きました

こちらのはコクのあるタイプ

帰りは駅までタクシーにお願いしました

主人の靴が大変滑るので安全第一

小樽をあとにして 

今夜の宿泊地札幌へと向かいます

小樽から札幌は快速エアポートで35分ほど

わりと近くです
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ススキノ近くにある関西人御用達(?)

JR西日本系列「ヴィアイン」に宿泊しました

札幌駅から離れているので散策がてら歩いて向かいます

ここは地下道が充実しているのでいくらでも歩けます

ですがせっかくなのでと 凍てつく夜を体験途中から地上に上がり雪と寒さを観光客としてエンジョイ めちゃくちゃさむーい!!

主要な道には歩道の下に融雪装置が敷かれているようで一定の幅に雪はありません

歩道には転倒防止用の砂が常設されていますf:id:habbule-no-neko:20240228141747j:image

ホテルにチェックインして一旦大浴場で温まりさっぱりしてお夕食へ

とりあえず美味しいビールが飲みたい!

という私のリクエストで

サッポロビール系列の「銀座ライオン」へ
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ビールはもちろんサッポロビール

私はご当地ビールのサッポロクラッシック

ぷはぁ 幸せです 
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ビール1杯とアテをつまんでサッと出て

お夕食は札幌のラーメンです
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ホテルの目の前にある「北一」さん

炙り醤油が最高に香り高く美味しかったです

餃子とチャーハンもシェアしてお腹いっぱい
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帰りに北海道で一度行ってみたかったご当地コンビニ「セイコーマート」(通称セコマ)に立ち寄りセコマブランドを体験

ホットシェフシリーズはYouTubeで皆さん絶賛していたので購入しましたが。。うん
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でもブランデー梅酒ソーダは大変美味しく 
旭川に行ってもナイトキャップにブランデー梅酒ソーダの日々が続いたのでした
はぁぁ 長かった1日
相変わらずの長いブログにここまでお付き合い頂き誠に恐縮です ありがとうございます

共に旅したような気持ちになっていただければ幸いでございます

懲りずに2日目書きます(笑)

またお付き合い頂ければ大変嬉しいです!

2日目は札幌市内をまわる路面電車と街散策

北海道大学見学と旭川の夜です