美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

北浜☆レトロ


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大大阪時代(だいおおさかじだい)」

という言葉をご存知でしょうか

1920年代から1930年代にかけて

大阪市は巷で 「大大阪(だいおおさか)」

と呼ばれていました

そもそも

大阪の元の名は「小坂(おざか)」

遥か昔 上町台地の他は 河内湖という大きな湖だった大阪の地は 

その後土砂が堆積していき八十島(やそしま)と言われるほどたくさんの島が出来ました

その島がつながって小さな坂がたくさんあったことから 「小坂」の地名であった大阪

その後 蓮如上人の「御文章」において 「大坂」と記されたことから「大坂」となり

その後 坂の字が「つちにかえる」では縁起が悪いということで「阪」に変えられ 今の「大阪」となりました

小坂から大阪へと変貌を遂げたこの地を

さらに「大」の字をつけて

大大阪(だいおおさか)」

と呼ばしめした時代とは

いかなる時代であったのか

それは 当時の建築からも推し測ることが出来ます

20世紀に入り 大阪は紡績産業で莫大な利益を生み出し「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどに成長しました

関東大震災後 移住者も増え人口 経済共に 

首都東京を凌ぎ日本一へ

商業 紡績 重工業などで大いに栄えます

しかし 1930年代前半 

室戸台風による風水害の大打撃や世界恐慌により

大阪の経済は急速に衰退

日本一の座を 東京に譲ることとなります

そして起こった第二次世界大戦

激しい空襲を受けて 大阪の繁栄の残り香は

次々と消されていくこととなりました

「小坂」から「大坂」となり

大大阪」にまでのぼり詰めた大阪が

儚くも消えていく

夢のようなひとときであった「大大阪時代」

ですが 

その「ひととき」に

大阪の人々は様々な文化を花開かせ

素晴らしい建築を 

後世に遺してくれることとなります

今日は 大大阪時代の名建築を巡る旅

つかの間 

大阪の人々の夢のようなひと時を

私も感じたいと思います

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9:50 北浜駅

友人と待ち合わせ

地上に上がり まず最初に訪れたのは

大阪証券取引所ビルです

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大阪の経済発展に大きな役割を果たした

五代友厚氏の像

男は背中で語る と言いますが

今の大阪の町を眺める五代友厚の背中

辛い時代にこそ 男の色気を感じます

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大阪証券取引所ビル」は 

難波橋(なにわばし)のすぐ近く南東側に建っています

この難波橋

かつては大阪のメイン大通りで 橋には大きなライオンの像が2頭あり 一頭は阿(あ)と口をあけており もう一頭は吽(うん)と口を閉じています

そう 神社の狛犬さながら

魔除けの意味を持つ阿吽のライオンが

大阪の町を守っているのです

そんなライオン達のお膝元にある

大阪証券取引所

1935年(昭和10)に建てられた旧大阪証券取引所は 長谷部竹腰建築事務所の設計で

円筒形の白亜の外観 内部のステンドグラスが美しい建物でした

老朽化や立会場の機能が不要になったことから 2004年(平成16年)に超高層ビルに建て替えられましたが

その際 シンボルであった白亜のドーム部分を 再現保存の形で引き継ぎました

そのドーム玄関の正面に 1878年明治10年)に大阪証券取引所を開設した五代友厚の像が立っています

ここで話を江戸時代に遡って この建物の由来を解き明かしていきたいと思います

それは 経済のお話

江戸時代 

政治の中枢である幕府は東京にありましたが 

物の流通の面では はるか昔から川や海を利用して 日本のみならず世界を相手に交易をしてきた大阪が 中心的な役割を果たしていました

大阪城豊臣秀吉の滅亡と共に破壊されましたが 

江戸時代に 

関西の大名を統治するために再建され 

城下町は再び整備されていきます

商人たちが 活発に経済活動を行うにつれ

大阪には 各地から各藩の年貢米が集まるようになり 

お米をお金に換えたり お米以外のものに換えたりして 

ますます大阪の経済活動は活発になっていきます

1730年公許を受けた「堂島米会所」では 

各地の年貢米を 入札制で仲買人に売却するようになります

実際に重くて場所を取るお米をやり取りするのは大変なので 「米切手」というものを蔵屋敷が発行して取引をしていたのですが

この米切手には 将来収穫される予定のお米も含まれて取引きがなされていました

これがいわゆる「先物取引」の始まりです

世界を見ると 1848年にシカゴで先物取引市場が始まりますが 

それより100年も前に 日本では世界で初めての先物取引が始まっていたのです

そしてここで決められた米の相場は 旗などを使って全国各地に伝えられ 日本の米相場の基準となっていました

ここで培われた取引制度が

明治以降の商品・証券・金融先物取引所に受け継がれていくこととなり 

大阪証券取引所が生まれる源となるのです

詳しくは5階に上がると展示されている場所があるようです

様々な史料や実際の米切手など貴重な品も多数展示されています

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左の電光掲示板には 相場の今がリアルタイムで表示されています

懐古主義的建造物の中に光る 生まれたての相場の価(あたい)

なんともヒリヒリしますね(笑)

今も昔も この光り輝く数字に

人々は踊らされてきました

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装飾的な窓枠が美しい

と見惚れていたら 一緒にいた友人が

「なんだかあの下の部分サスマタみたいね」と

サスマタって!(笑)(笑)

と大笑いしながらも 

いや案外そうなのかも

後から調べてみると 実は玄関ホールは金運がつくようにと小判形(楕円形)に作られているそうです

実は遊び心もしのばせた建物なんですね

案外この窓枠も防犯のおまじないみたいな意匠なのかも!と思わせるデザインでした

この時は小判形のこともしらないので

2人で大笑いしながら北浜の街をすすみます

次は そんな彼女のリクエス

お菓子屋さんの「五感」へ

この建物は 登録有形文化財となっています

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「新井ビル」

1922(大正11)年 河合浩蔵の設計で報徳銀行として建てられました

その後 時代と共に現在は貸しテナントビルとして存続しています

河合浩蔵はドイツで建築を学んだ方

ドイツのバロック様式を踏まえながらも

こちらのビルは 重々しくなりすぎない軽やかさも併せ持つ建築に仕上がっています

写真がないのが大変申し訳ないのですが

建物上部と側面にタイルを多用していることも 軽やかさを生み出す要因の一つとなっています

斜め向かいに建っている三井住友銀行などは正統なギリシャ風建築で

権威を感じさせる造りになっているのに対し

新井ビルは重厚さがありながらも 親しみやすさも感じられます

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一階が ケーキや焼き菓子のショップ

吹き抜けの二階は カフェとなっています

季節のメロンのケーキが美味しそうでしたが

今日はこれからまだまだ歩きます

今度車で買いに来よう♪と密かに決意して

次の建築へ向かいます
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「生駒時計店」

生駒ビルヂング

こちらも登録有形文化財

昭和5年(1930)に建設されたもので

先程の阿吽のライオン像のある難波橋や 

柴島浄水場などを手がけた

宗兵蔵氏の設計によるものです

見どころは

屋上の時計塔や振り子のデザインが施された出窓や丸窓 

入り口2ヶ所とショーウィンドウ5ヶ所の計7ヶ所に据えられた鷲の彫刻

入口正面のイタリア産大理石を使った階段様々なステンドグラス

壁のスクラッチタイル(手搔きの縦縞模様のタイル)など

私は個人的に 入ってすぐの受付に一目惚れ

下の4つ目の写真右に写っているのがそれですが

照明がいい具合に反射して 上品な光を放ちます

思わず受付のお嬢さんに

「素敵なオフィスですね」と♫

にこやかにパンフレットを下さって ゆっくり見学させていただきました

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「ありがとうございました♫」

と建物を後にして 次の建築に向かいます

途中 大好きなマンホールを撮影しながら下を見て 上を見て

友人には

「忙しいね(笑)」

とニヤニヤされながら 久しぶりに会うので近況報告もしつつ せわしない(笑)

事前に 見学すべき建物をピックアップしてきたけれど 歩いていくと

え これも古い建物なんじゃない?

え これも窓の形がステキ!

とか レトロなビルがあちらこちらにあります

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やっと次のビルに到着

こちらではランチを頂きます

以前「名建築で昼食を 大阪編」で主人公もランチを食べていた

芝川ビル「RIVE GAUCHE」(リヴ ゴーシュ)

ベトナム料理のお店です

リヴ・ゴーシュ 

意味は「左岸」

フランス語です

ベトナムは一時フランスの植民地でした

お店は 近くを流れる大川の左岸に位置します

ちなみに

右岸左岸は 川の上流を背にして右を右岸 左を左岸といいます

ちなみに2

川にかかってる橋は 橋の名前を漢字で書いている方が入口 ひらがなが出口です

ちなみに3

○○ばし(橋)や○○がわ(川)と濁って発音する名前を○○はし や ○○かわ と表記している場合 

川(かわ)が濁りませんように。。

という願いが込められています♫

ウフ どうでもいい話で

そろそろお腹 すいてきましたね(笑)

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メニューはベトナム料理一色

フォーのメニューが多めです

私はボ・ブンというフォーのまぜ麺を

友人はいろいろミックスのランチにフォーをつけて頼みました
パクチーも大好きな私達は お料理も大変美味しくいただき

食後のベトナムコーヒーは

(濃いめのコーヒーの底に練乳が沈殿しているもの 混ぜていただく)

濃い!けれどやみつきになる美味しさ♫

最後まで美味しいランチでした

お店は地下にあったので 地上に上がって

あらためて芝川ビルの鑑賞です

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「芝川ビル」

1927年(昭和2年)竣工

設計は渋谷五郎(基本・構造設計)と本間乙彦(意匠設計)

芝川ビルは 事務所として建てられましたが

空いた場所で「芝蘭社家政学園」という花嫁学校を興し たくさんの女性達が料理や裁縫などを学びにこの場所に通っていました

建物は竜山石(兵庫県高砂市で産出される石)を用い マヤ・インカ文明を思わせる装飾が施されています

芝川家は

江戸時代 唐物貿易商を営んでいましたが 

明治時代には大地主となり 不動産業を営むようになります

4代目当主の芝川又四郎は 関東大震災の惨状を鑑みて自身の事務所を 火事や地震に強い建物に建て替えることを決意

大阪倶楽部において建築家の片岡安のスピーチを聞き 鉄筋コンクリートが耐震・耐火性に優れていることを知り 鉄筋コンクリートへの建て替えを決意しました

細部に耐火 耐震の心配りのある造りになっていて その強い意気込みを感じる建物となっています

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階段室の天井と壁にある何か出てきそうな切れ目

わかりますでしょうか

これは階段室の防火扉じゃないのかなと思うのですがいかがでしょう

一つ上の写真にある緑の装置のツマミをクルクルするとシャッターが降りてくるのではないかと想像します

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一階はチョコレート屋さん「TIKAL」

以前から大変気になっていたお店で 

今回お土産に買って帰って 家族みんなでいただきましたが 

もう本当に美味しくて!!

これからチョコレートはここで買おうと決めました(笑)本当に。

チョコレートは後でお写真 載せますね♫

カタチもなかなか独特です

お店の中は壁 天井 すべてにマヤ文明を感じさせる装飾が施されていました

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この建物のトリビアは こちら

この扉

竣工当時の木の扉。。

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に 見えますよね!

実はこれは鉄で出来た扉

開けるときめちゃくちゃ重いです(笑)

なぜこんな木の塗装が施されているのかというと それには戦時中のある命令が関わっています

「金属回収令」

戦争で使う武器や戦闘機などを作るために

国民はみな全ての金属類を供出しなければならない 

という軍部からの命令により 国民は鍋まで取られたという逸話も残る戦時中の命令です

お寺は梵鐘や仏像をも供出し 当時のハイカラなビルからは立派な装飾扉やエレベーターなども取られていきました

しかし!

芝川家は重い鉄の扉を 急遽職人に木に似せて塗装を施すよう命じ 軍部の金属回収を免れた

という 今となっては武勇伝を残す

伝説の扉となりました

当時は見つかれば 非国民 ですが

戦争が終われば 武勇伝 となります

価値観が変われば 善悪がひっくり返る

世の常ですね ナム

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今は平和に晴天の青空を背景に レトロビルをマニアな主婦が写メっています

平和 サイコー!!です 

絶妙なバランスで なんとかある この平和

大切に 大切に しなければなりません

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この石の中に残っている木

ナンダロウ。。

もしかしたら 採石場での作業の工程で使ったものかもしれないな などと想像

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たくさんの方が次から次へ

お写真を撮影しに来られていました

本当に心と手をかけた 素晴らしい建築でした

次はいよいよ本命の「綿業会館」です
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「綿業会館」

綿業会館は昭和6年(1931)12月に 日本綿業倶楽部の建物として竣工し 翌年1月1日に開館しました

設計は渡辺節 

ヘッドドラフトマンは村野藤吾が担当

ドラフトマンとは

基本設計をまとめる設計者と区別し 図面引き作業が専門で おもに基本設計以降の各種詳細図などを書く人のことをいう

by kentikulink.net

村野藤吾さんは 先日アップした記事に書いた「橿原神宮前駅」を設計された方でしたね

日本綿業倶楽部は 昭和3年に設立された会員制の倶楽部

会員同士の交流を図り 社会的文化的事業を通じて社会各界の発展に寄与することを目的とした会とのこと

また現在では 平成15年に重要文化財に指定されたこの綿業会館の維持 保存 文化的価値の普及活動も行っていらっしゃいます

社会状況にもよると思いますが 第四土曜日に見学会を行っている他は 基本見学は出来ません

私達もほんの入口しか拝見出来ませんでした

それでも 圧倒される豪華さ!美しさ!です

館内のお部屋は一つひとつスタイルが違い 

クイーン・アン・スタイル

ジャコビアン・スタイル

アンピール・スタイル

など 世界各国の方々をおもてなしすることを前提に 様々な方々の好みに合わせられるようにつくられています

実際かのリットン調査団もこの建物で もてなしをうけています

大阪が「大大阪時代」と言われるようになるのは 紡績産業の飛躍的な躍進が大きな要因のひとつ

渋沢栄一が主となって1882年に設立された大阪紡績会社は 

イギリスの技術を使って蒸気で1万錘規模の機械を昼夜二交替制で稼働させ 莫大な利益を生み出します 

企業合併を繰り返しながらさらに大きく成長した大阪紡績は

1914年に 三重紡績と合併して東洋紡績(現在の東洋紡)と社名を変え 

1931年(昭和6)には とうとう世界一の紡績会社へと成長を遂げたのです

綿業会館が完成したのも1931年

この建物の建築費用は

東洋紡績専務取締役 岡常夫氏の遺族から贈られた100万円

関係業界からの寄付50万円 

合わせて150万円(現在の価値で約10億円)

をもとにつくられました

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中のお部屋の写真がないのが残念ですが

入口だけでも充分に見ごたえあり

さすが 重要文化財です

いつか 内部見学にも行ってみたいものです

ちなみに

こちらでウエディングも出来るそう

いつか花嫁か花婿の母として 中に入れたら嬉しいなぁ♫

などと 他力本願の夢を見ます(笑)

ここから 通り道の少彦名神社コレラが流行った時に疫病退散として建てられた神社)に立ち寄り

福井県大阪事務所に立ち寄り(友人が入口の恐竜くんと写メを撮ってくれました♪)

次のビルはこちら「伏見ビル」です

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「伏見ビル」

1923年(大正12)竣工 

長田岩次郎の設計

当初は「澤野ビル」として建てられましたが

昭和初期に所有者が変わりました

当時としてはめずらしい「ホテル」として始まったこの建物ですが

現在はテナントビルとして運営されています

シンプルなアールデコ風のデザイン

丸みを帯びた建物コーナーや 水平を強調するリブ状の装飾 3階開口部上部の円形の金属装飾が見どころです

個人的には この入口入ってすぐにある花入れが好き

いつもステキにお花が生けられています♫
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いよいよ最後はそのすぐ近くにある

「青山ビル」です

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「青山ビル」

1921年(大正10)竣工

設計施工は大林組

増築部分は 伊藤 恒治

当初は高級食材店を営んでいた野田源次郎の個人邸でした

西園寺公望の渡欧に同行した野田氏が その時の見聞をもとに建てたスパニッシュスタイルの建築

1947年(昭和22)野田氏より青山喜一氏に邸宅として利用するつもりで引き継ぎます

しかし第二次世界大戦後のこの時代

GHQに接収されるという話が持ち上がり 交渉の結果 将校用施設として利用することを条件になんとか接収を免れます

1951年(昭和26)日本独立と共に返還され名前を「青山ビル」に変更

のちに4・5階を増築して屋上庭園と裏庭は廃止されます

このビルの見どころは

大正時代のステンドグラスやガラス窓

階段手すりのねじり細工

食堂のマントルピース

植物文様の モールディング などの美しい装飾

など

平成9年に国登録有形文化財に登録されました

裏庭は現存しているらしく

少彦名神社の神木と兄弟木である楠や銀杏の木が植えられており 都会の中と思えぬ風景を作り出している」らしいのですが

ちょっと私には見つけられませんでした

ちなみに 建物全体を覆う蔦(ツタ)は

甲子園球場の蔦を分けていただいて植えたものとのことです

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ここでタイムアップ

喉カラカラだったので 大阪証券取引所ビルに戻って 入口のステンドグラスの広場を眺めながらお茶をいただいて 

帰路につきました

正直一日では全く足りないほど

このあたりには今も使われているレトロビルが溢れています

帰ってから義父と話していると

大阪の空襲では四ツ橋のあたりはよう燃えたんやけど 北浜のあたりはそこまでひどくなかったなぁ

という話も聞けました

北浜=レトロ=オシャレ なんて 

簡単には語れない歴史があることも学びつつ

大阪が かつて日本一の街であったこと 

そのために奔走した 大阪の偉人達がいた事

そしていまなお 

その栄光の軌跡を大切に守り続ける努力を 

大阪の人々がし続けていることを

同じ大阪人として

心にとめておきたいと思います

大大阪時代が偲ばれる残り香

「レトロビル」

かつて 近代化の栄光を享受した人々の

輝きの片鱗を 

また巡ってみたいと思いました

 

おまけ1

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ここからは 本日お気に入りのマンホールをご紹介♫

お目に叶うものがありましたら幸せです(笑)

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おまけ2

TIKALのチョコレート♫

エクアドル産など産地の違うカカオ豆のチョコレート数種類と

大人の味わいのストロベリーチョコレート

レモンとカルダモンのチョコレート

いずれも口当たりが特別なめらかで

大人の味わい

デザインもユニークで

今回は売り切れていたものもあったので

次回行くのが今から本当に楽しみです♫
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合わせるお酒は「ギムレット

ハードなスピリッツに甘いチョコレート

至福のひとときでした♫