美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

檀家デビュー記 佛光寺 慶讃法会


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去る5月 京都の佛光寺にて慶讃法会(きょうさんほうえ)があり 義両親と私と娘4人でお詣りをしてきました

今まで 御先祖様の月命日に母屋のお仏壇にお寺さんにお越しいただいてお経を唱えていただいたり

お寺で開かれる法話や落語会への参加などはすべて義両親にお任せでしたが

今回 我が家が檀家になっているお寺の本山佛光寺へのお詣りに同行させていただくことで 私も檀家デビューをして

次第にそのお勤めを私に引き継いでいく 

ということになります

確かに今どきは正座して法話を聴くという時代でもなく イスも用意して下さっているとはいえ 長時間お寺に集まってお経やお話を聴くのは本当に疲れることだと思います

今までお勤めをして下さっている義両親に

感謝!

これからは徐々に私も とは思うものの 

そこまで熱心な仏教徒でもない私

仏教に何の知識もなかったもので 慌てて勉強しております(汗)

今回の本山へのお詣りはちょうどいい機会だと思い 色々と学ばせていただくつもりで

義両親に同行させていただきました

今年の慶讃法会(きょうさんほうえ)は

宗祖親鸞聖人御誕生850年法要

立教開宗800年法要

聖徳太子1400回忌法要

第33代真覚門主伝灯奉告法要

となり

慶讃とは「慶び讃える」という意味です

今回は 

我が家が檀家を勤めているお寺のご住職様が 慶讃法会に合わせて一日かけてのバス旅行を企画して下さいました

総勢50名ほどでの参加となります

本日の予定は

  8:30 お寺からバスで出発

10:00  金閣寺参拝

11:00 しょうざんリゾート京都にて

    お庭散策 渓涼床にて昼食 お買い物

13:00  佛光寺到着 法宝物拝見 慶讃法会

16:30 天台宗 青龍殿見学

帰宅となります

一番のお楽しみは 青龍殿の見学です♫

我が家はテレビでユーチューブが見られるようにしているので

私は お掃除をしながら 日々ユーチューブで音楽を聞いたり 興味のある内容のもの(鉄道 歴史 芸術など)を聞いたりしています

ちなみに 分かる人にしかわかりませんが

ゴロワーズです♫(タバコじゃない方)

お掃除の時の音楽は 

だいたいヒーリングミュージックかジャズ 

もしくは雨音だけ(雷鳴音含む(笑))や

暖炉の薪の音 波音などを聞いたりするのですが 

他に宗教曲も 掃除に集中するには大変適しています

ヨーロッパのものでは

「グレゴリアン・チャント」

そして日本のものでは「お声明」

を好んでよく聞きます

どちらの宗教曲も 心が落ち着いて穏やかな気持ちになり 部屋を整えることに気持ちを集中させることが出来ます

そのユーチューブの中でも私のお気に入りは

「天台声明 青龍殿 100僧公演 金曼供フルバージョン」♫

天台宗の「青龍殿」には お堂の外に山から張り出す舞台があり

ユーチューブでは

100人のお坊様方がお堂で

散華(さんげ)をまきながらお声明を唱え

最後は京都が一望出来る舞台に並び出て 

夜景がキラキラと輝く街の方へと

ズラリと並び お念仏を唱えて終わる

という壮大なものとなっています

あまりにも美しいその景色に

一度このお堂や舞台に立ってみたい!

という願望が湧いておりましたが

その願いが とうとう今日叶うのです!

嬉しすぎる(笑)

最後のご褒美を楽しみに

まずは金閣寺からお詣りです

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金閣寺は何度か行ったことのある場所

相変わらず金ピカです

金閣寺は別名鹿苑寺(ろくおんじ)

念のため 鹿はいません

臨済宗相国寺派の禅寺寺院です

基本 歴史的経緯から禅寺は武家の檀家が多いのですが こちらも西園寺家から譲り受けた足利家三代将軍義満が舎利殿金閣)を中心とした「北山殿」をつくったのが始まりです

創建当時は天皇や中国 明の使者を迎えるような政治的な建物でしたが 義満の死後 

遺言により寺院となりました

1994年には世界文化遺産として登録

鹿苑寺の名は 義満の法号(戒名)が鹿苑院殿 であることに由来しています

金閣寺トリビア

鎌倉時代に作られた「鐘」の音

こちらは黄鐘調(おうしきちょう)と言って笛の調子をあらわす名称 

雅楽の六調子の一つ

詳しくはグーグル様にお聞きになっていただけるといいのですが 

とにかく 金閣寺の鐘の音は「ラ」の音を基準音にして作られているそうです

禅寺というと質素なイメージですが

こちらは金箔で覆われた大変豪華なもの

なぜ金なのかには諸説あるようですが

古い経典によるとお釈迦様の骨は金の器に納められたと記されているそうで  金閣はお釈迦様の骨を納める仏舎利塔なので 金の容器に見立てて金閣には金箔を貼っている

また 実は金箔はその下に塗られている漆を守るためである

というお話もあるようです

敷地のお庭は広く 将軍が手を洗った水場やらをみながらグルリと回りますf:id:habbule-no-neko:20230602115500j:image

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金閣寺のお詣りを済ませ 次はしょうざんリゾート京都です

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敷地には東急が経営するハーヴェストクラブという会員制のリゾートホテルもあります

こちらには大きな玉子の形をしたサウナがあってすっごくすっごく気になりますが残念ながら今日はこれから慶讃法会f:id:habbule-no-neko:20230610182219j:image

個人的に入るのは断念せざるを得ませんでした(笑)

かわりに お庭散策です

こちらのお庭は北山杉が有名な日本庭園

流れる川は紙屋川といって

平安時代に朝廷で使う紙を梳いていたことが由来とのことです

近くには衣笠山(きぬがさやま)という山があり こちらは

宇多天皇が夏のさなかに雪が見たいと所望して白絹をかけたという故事から「きぬかけ山」とも呼ばれ それが衣笠山の東部および南麓一帯であるこの地の地名の由来となっている byウィキペディア

とのこと

まったく 気まぐれにもほどがありますよ  

と言いたいところだけれど

それほどまでに京都の夏は暑い!!

ということも かつて京都に住んだことのある私は知っています

あれは尋常じゃありません

ちょっと「あ~ぁ雪見たいなぁ。。」

くらいはウッカリ言っちゃうかもです(笑)

それと底冷えの寒さね

一度真冬に停電になった時は命の危険を感じ残っていた電気温水器のお湯でお風呂を満たし お風呂で停電が解消するのを待った経験があります

それほどまでに京都の自然は美しく厳しいのです

ところで下の写真はお庭の入口にあったもの

娘と私 何も言わなくても2人同時に写真を撮ったのには笑いました

だって。。カワイイ よねぇ(笑)

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そろそろお昼時

紙屋川にせり出して作られている渓涼床にてお昼ごはんです

私は実は初の床体験

川床と違い 渓流なので目の前にも滝が流れ

大変美しい音と景色を堪能しながら戴く鮎は

そのお味も大変美味しく 義両親と娘と幸せなひとときを過ごせました

義父は貴船の床によく行っていたので どちらがいい?と聞くと それぞれ良さがあるけれど こちらの方が目の前に滝が見えるのがいい と言っていました

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お食事もおわり あとはホテルでお買い物です

私は 久しぶりに出会った大徳寺納豆を買いました

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納豆の起源については その種類からも様々ありますが

大徳寺納豆は 糸引き納豆とは違うタイプのもので 塩味が強くお味噌にも似た味

麹菌で発酵させて 乾燥した後 熟成させて作るという古来の製造方法で手間をかけて作られたものです

京都の大徳寺の門前で作られているので大徳寺納豆

大徳寺ではこの食品を一休宗純が伝えたものとしています

中国に行った僧から伝わったとされるこの納豆

当初は「豉」(し)と呼ばれて 調味料として用いられたと考えられているそうです

深い塩味と風味があるので 私は麻婆豆腐に使います

お土産も買って いよいよ慶讃法会

本日のメインイベントです!
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今年の基本理念は

「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」です

大悲とは衆生(しゅじょう)の苦を救う仏・菩薩(ぼさつ)の大きな慈悲とのこと

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それぞれに佛光寺の御紋の入った輪袈裟(わげさ)が配られ首から両肩に垂らして身につけます

私たちは家から持参したものを使いました

輪袈裟とは袈裟の一種で もともとは法衣を簡素化した外出用の略法衣として誕生したといわれています

法要が始まるのだなと身の引き締まる思いです

まずは慶讃法会を記念して特別展示されている佛光寺の法宝物を拝見させていただきます

親鸞上人の伝記を描いた絵巻物やお召しになっていた衣(こちらはご門主が引き継がれる時に相伝の証として渡されるそう)

仏教の教えを国の政策の中心とし 仏教興隆に尽力した聖徳太子のお姿を描いたものなど

数々の宝物がすぐ近くで拝見できる貴重な機会でした

その中でも私のテンションが一番アガったのは「四天王獅猟紋様錦」(してんのうしりょうもんようきん)

説明を読むと昭和の時代に復元を試みたものとのことで大変美しい状態のものでしたが

もとの錦は1200年ほど開けられたことのない法隆寺夢殿の中から見つけられた一巻の織物で 

聖徳太子が廃仏派の物部守屋(もののべもりや)を征伐した時の「錦の御旗」であると伝えられているものなのです!

この錦の模様は 説明によると

ササン朝ペルシャの時代に盛んに用いられた図柄で 連珠円文に花樹が中心に描かれ 王が馬上から後ろに振り返り獅子に矢を射る姿が四騎左右対称に描かれている

by真宗佛光寺派宗務所

これで想像がつくと有り難いのですが著作権などもあると思うので写真の転用は避けておきます

この戦いは 政権争いの意味合いも強かったけれど 大義名目は

仏教伝来の初期に 日本が国として仏教を受け入れるか受け入れないかの争い

崇仏派の蘇我馬子聖徳太子

廃仏派の物部守屋が戦った戦(いくさ)で

その場所が 物部守屋の本拠地であった

大阪府八尾市であったともされています

我が家は八尾ではないのですが

農機具の手入れをして下さる方や

母屋のお味噌を仕込むための麹を作って下さる方がいらっしゃる場所

そして何より私に「美しくあることを忘れてはならない」と身をもって示してくれる美しい友が住む土地でもあり 

大変ご縁のある所なのです

八尾には「弓代塚」というものがあり 

これは物部守屋を討ち取った時の矢を埋めた塚であるとされています

このことからも

あの八尾の地で

今この私が見ている「御旗」が はためいていたのかも知れない!

と思うとワクワクが止まりませんでした♫

歴史が身近に感じられます

歴史に興味を持ってから いつもの景色が頭の中で変換されて 

馬が駆けてゆく姿や武将たちの息遣い 

また雅な方々の行き交う姿が見えるようで

景色に奥行きが出るような気がします♫

八尾の生駒山を背景に 

この錦の御旗のもとで勝どきを上げる蘇我馬子厩戸皇子(後世に聖徳太子と呼ばれる)その兵たちを心に浮かべ 

今度から八尾の道を通る時に この御旗を思い出そうと密かにニヤニヤしたのでした(笑)

その後お堂に移動して指定された場所に着席

しばらくしてお輪(りん)が鳴らされ 

笛の音が聴こえてきました

笙など次々と楽器が合わさっていき 

雅楽が演奏されます

仏教と雅楽

神社と雅楽はなんとなく繋がりを感じていましたが 仏教と雅楽にも実は古い歴史があったようです

仏教の古い経典に「極楽浄土には美しい音楽が鳴り響いている 音楽を演奏することは供養につながる」という記載があるようで大陸から楽舞が伝わった当初から仏教儀礼では雅楽が演奏されてきました

ただ 音楽としてはそこをルーツとしながらも日本独自の発展を遂げ 大宝律令(701年)が発布された時に「雅楽寮」という部署が出来 正式に国や宗教の行事に演奏されることで発展を遂げ 次第に今の雅楽の形態となっていき平安時代にはおおかた今の形態となったようです

それにしても笙などかなりの肺活量を求められると思われる楽器たちを皆さん座って演奏されているのは本当にすごいなぁと感心しきり

めちゃめちゃ腹筋鍛えていらっしゃるのかしらん などと余計な心配をしながら極楽浄土の音色に酔いしれておりました(笑)

法要は順調に進み 読経 開祖親鸞上人の人生のお話 最後は浪曲師の方による親鸞上人と師である法然上人の今生の別れの部分を聴いて拍手喝采にて法要を終えました

厳かながらも 最後は浪曲師の方の勢いのある芸を見せていただいて 素晴らしい法要に参加させていただきました 感謝

さて全体では数百名参加のこの法要

ここから大急ぎで我がお寺の檀家チーム一丸となってバスに戻らなければなりません

というのも 法要の終了は16時

そこから少し離れた山の上にある「青龍殿」は16:30でその門を閉じてしまうため

必ずそれまでに門をくぐらねばならないとご住職様からバスの中で説明されていたのです

みんなで終わるやいなやバスを目指し 16:25に全員でその門をくぐることができました

嬉しい!

これで憧れの「青龍殿」を体験することができます♫

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「青龍殿」

天台宗のお堂で 国宝「青不動明王」をお祀りする建物です

国宝は奥殿に祀られ 手前に精密に再現された複製がお祀りしてあります

この建物は1913年(大正2) 大正天皇のご即位を記念して「大日本武徳会京都支部武徳殿」として北野天満宮の前に建てられました

戦後1947年(昭和22)京都府に移管されて警察の柔道場「平安道場」となり 後には一般の方にも開放されていましたが

1998年(平成10)道場の閉鎖が決定

歴史的文化的価値を汲んで青蓮院が東山山頂に「青龍殿」として移築再建し 合わせて山から張り出す形で舞台を作り 清水寺の舞台の4.6倍の舞台からは京都市内と大阪のビルまで一望出来る 大パノラマを誇っています

「青龍殿」入ってすぐの この場所で

ユーチューブで見た散華を散らすお声明が行われていました

たくさんの人々の心と身体を鍛えてきた跡の残る床板

シビレます!

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この東山山頂には 平安遷都を決めた桓武天皇(かんむ)が都の鎮護を願って埋めた甲冑を着た将軍の像が埋められている「将軍塚」があります

八尺(約2.5m)の将軍の像は弓太刀を持ち 京都御所の方角を向いて埋められているそうです

天変地異がある時は この塚が鳴動するなどの伝説もあるこの将軍塚

塚を回り込んで更に上がる展望台からは 塚越しの青龍殿もみることができます

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お天気も良くて充実の一日でした

バスの中から 行く先々でも様々な事を説明して下さったご住職様の博識ぶりにビックリ

やはり昔も今もお寺のご住職様というのは知識がないと出来ない職業なのだろうなと 改めてその偉大さを思い知りました

最後はこちらの展望台で義両親と私と娘4人で写真を撮っていただいてバスに乗って帰阪しました

綱渡りのハードな行程でしたが すべて順調に行ったのは仏様のご加護の賜物でしょうか

檀家デビュー 私には素晴らしい思い出とさせていただけました♫