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進化する琉球ガラスの魅力 稲嶺盛一郎氏の器


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主人の通う大学院の夏期講習がやっと終わり遅めの夏休みをとって5泊6日で沖縄に旅してきました

やちむん通りでやちむん(焼き物)ではなくステキな琉球ガラスと出会ってしまい購入

今回はその琉球ガラスについてお話しします

旅の様子はX(エックス)にエルスカでポストしていますのでよければチェックしてみて下さいませ♫

 

「進化する琉球ガラスの魅力 

         稲嶺盛一郎氏の器」

 

廃瓶を砕いて作る琉球ガラス

その独特な気泡を含んだ柔らかな風合いは かつて「透明でないガラス」として2級品の扱いをうけていました

ガラスに気泡が含まれるのは原材料であるガラスが再生ガラスであるから

不純物の多い再生ガラスを使うガラス作りが始まったのには 沖縄ならではの物語があります

でもその前に

そもそもガラスって何?

この質問の答えは専門的過ぎてここでは省略(あっさり諦めました笑)

というのもガラスの研究は今も続いていて しかも可能性に富んだ素材

とても素人が説明できるものではありません

ただ 成分としては

ケイ酸塩を主成分とする硬く透明な物質

ソーダ石灰ガラス ホウケイ酸ガラス

石英ガラスなどがあり

「ガラス」という言葉自体にも意味が分かれていて いわゆる私たちがみて 

「あ これガラスだね」

というものと

温度を上げると溶けてガラスの状態に変わる非晶質個体でこのような状態を 

「ガラス状態」といったりするみたい

難しいですね(笑)

ガラスの構造についても現在2つの説があり

未だ論争中

謎も多い物質です

現在も研究が続けられて コップや器以外に絶縁するのに使ったり 研究の道具として鋭利さを利用したり 液晶ディスプレイ 光ファイバーなど加工技術の進化と共に用途を増やす優れた素材とも言えます

なんか真空に近い減圧状態でガラスを蒸発させて化学反応でガラスを表面に付着させたりするんですって!

世の中にそんな作業をちゃんと理解してお仕事されてる方々がたくさんいらっしゃるのかと思うと 

自分の知恵の足りなさと

人間ってスゴイ!!

という思いが混ざって やっぱり謙虚に生きなきゃな 世の中すごい人いっぱいだな

と思わざるを得ません

話しは逸れますが

今 我が家の前では夜中に絶賛水道管の交換工事が激しく行われております(笑)

23時になると「ダダダダダ」とコンクリートを掘り返す音

トラックの荷台に土がいっぱいになれば合図でクラクションをピッと鳴らします

明け方4時までその音は止みません

昔の私なら「まったくもう〜!」と心の中でプンスカしていましたが 一度マンホール関係で「水道管の交換工事一部始終」のYouTubeを見たことがあって(笑)

いやぁ あれは本当に大変な工事!

しかもとても 専門的なお仕事です

豪雨の日 猛暑の日 極寒の日 雷鳴轟く日どんな日も日夜 あんな専門的なお仕事を

私たちの暮らしのために作業をして下さっているのだと知ると 

どんなに工事中の誘導がヘタでも(ま、これは本当に困る時あるけど) 工事の音がうるさくても もう感謝しかありません(合掌)

「知る」ということは 意味のない「怒り」や「混乱」を避ける大切なツールになるのだとつくづく年をとって知ることになりました

いや ちょっと遅すぎるけど(苦笑)

今はもはやマニアとして工事をベランダからこっそり眺めて あぁ ああやって道路案内標識の柱抜くのねとか ワオ標識の柱入れるのって田んぼの杭いれるのとおんなじやり方なんだ!とか楽しんで拝見させていただいております

すみません 話がそれ過ぎました

さて ガラスに戻って次は

人類がガラスを作り始めた歴史に興味が湧いてきましたのでご紹介

高い技術の必要なガラス作り

人はどこでその技術を生み出したのでしょう

人類が初めて道具として使ったガラスは天然のガラス「黒曜石」です

火山から噴き出した溶岩がガラス状に固まって出来た黒曜石は大変鋭利なもので

狩猟の時代には矢じりや包丁 また皮をなめしたりする加工用の道具として使われていました

その後 人の手でガラスが作られるようになるのは西暦紀元前25世紀ころ(約4500年前)

チグリス川・ユーフラテス川の流域から地中海東海岸(古代のシリア地方)に至る「肥沃な三日月地帯」のある古代メソポタミア文明でガラス作りが始まったとされています

初めはガラスで何か用途のあるものを作るというよりは 陶磁器などの製造と関連しながら用いられていたと考えられています

その後ガラスそのものを作る製法を確立して 古代ガラスが作られるようになります

古代ガラスは「コア法」や「鋳造法」と呼ばれる製造方法で

紀元前1500年ごろには エジプトで粘土の型にガラスを流し込んで最初のガラスの器が作られるようになり 西アジアへも製法が広まっていきました

紀元前1世紀頃には フェニキアのガラス職人が宙吹きと呼ばれる製造法を発明しました

「宙吹き」とは 高温で溶かしたガラスの素地を必要な分だけ棹にとり 棹に息を吹き込んで空中で成形するガラス工芸技法

ドロドロに溶けたガラスを棹を回しながら形を整えていきます

この方法によって安価なガラスが大量に生産され 食器や保存器として用いられるようになりました 

その後ローマ帝国全域に伝わりローマングラスと呼ばれるガラス器が大量に生産されます 

またこの頃板状のガラスも作られ ごく一部の窓にガラスが使用されるようになりました

これが最初に作られた窓ガラスです

その後も進化を遂げ

18世紀の産業革命を境にガラスの工業生産が始まります

一方 バカラなどのガラス工房では 

芸術性を追求した美しいガラス製品が次々と生み出されていきました

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では

日本におけるガラス製造の歴史はどうでしょうか

日本においても黒曜石の矢じりなどは古代より使われてきましたが

人の手で作るガラス製品としては弥生中期(紀元前4~3世紀)(約2000年前)頃

中国から持ち込まれた小さなガラス・ビーズが見つかっています

弥生後期(紀元後1~3世紀)には南インドや東南アジア製の特徴をもつビーズが数多く輸入されており

また ガラス勾玉用の鋳型がいくつも発見されていて輸入ガラス材を使ってガラスの加工を行っていたことがわかっています

しかしガラスは日常品というより非常に高価なものとして特別な階級の人の持ち物や副葬品 または信仰の拠り所となる神や仏といったものの装飾に使われていました

飛鳥・奈良時代になると 輸入品と共に国産品であろう小さなガラス加工品が見つかるようになりますがまだまだ日用品として使われるようなことはありませんでした

日本での日用品として使われる器の歴史は 

日本列島の連なる山々でとれる土を使って作る陶磁器が主流であり 

ガラス製品は特別なもので庶民の使うものではありませんでした

しかしそんな日本に一大転機が訪れます

天文18年(1549年)フランシスコ・ザビエルの来日です

ザビエルはガラスの器や鏡 眼鏡などを山口の領主 大内義隆に贈ってキリスト教布教の許しを求めました

そこからヨーロッパとの交流が始まり多くのガラス製品が輸入されガラスの実用性に気付いた日本で研究が始まり江戸時代以降はそれまで作れなかった容器類も次第に製造できるようになります

風鈴やポッペン(長崎のおもちゃ 吹くとポッペンと音がする 学生時代旅して買いました♪)薩摩切子や江戸切子が生まれました

そこからのガラスの発展は 最初にご紹介した通り 

いまや暮らしの先端技術として使われるようになっています

一般社団法人日本硝子製品工業会HP

コダマガラスKGpressなど参照f:id:habbule-no-neko:20230909210759j:image

ところで

今回のテーマは「琉球ガラス」 

沖縄においてガラス作りはいつ始まったのでしょうか

沖縄は琉球と呼ばれた歴史が長く

琉球王朝が独自の自治を執り行っていました

古代より中国などの大陸や島々の国との交流が盛んだったためガラス製品自体は昔から輸入されていたと思います

が 調べたところ沖縄でのガラス製造は明治中期とのこと

今の沖縄県は 琉球王国としての自治が明治時代まで続いており 

ざっくり言うと明治の時代に「琉球処分」が行われて沖縄県となり日本の統治下に置かれることになります

詳しくはまた別のブログで書きたいと思っているのですが(いつになるかしら(汗))

そんな事情もあって沖縄でガラス製造が始まるのが遅かったようです

日本で庶民の使うようなガラス製品が作られるようになってからは本土からガラス製品が沖縄に運ばれていたようで

その後明治中期に長崎 大阪からガラス職人が呼ばれ沖縄でもガラス製造が始まります

しかし戦争が始まりあの第二次世界大戦で沖縄は壊滅的な被害を受けることになり 日本も敗戦国として物資に困窮する時代がやってきます

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そんな中 沖縄でガラスは独自の発展を遂げることとなります

進駐軍としてやってきた米軍の人々の飲むコーラやビール 

その廃瓶に目をつけ 再生利用することで琉球ガラスというジャンルを確立していくことになるのです

今でこそ再生ガラスを使って作るSDGsなものとして近年その価値を高めていますが 

かつては廃瓶ゆえに 消せない気泡のあるガラスは「透明でないガラス」として

琉球ガラスは2級品の扱いをうけていました

ラベルなどの不純物の多いガラスを砕いて溶かし あらたに成形する製法では

ガラスを炊いても炊いてもどうしても気泡が残ってしまいます

しばらく琉球ガラスはその芸術的価値を認められませんでした

しかしその気泡を逆手にとり いっそ泡を活かした作品を作ってやろうと様々研究を重ね「泡ガラス」というジャンルを創り上げた方がいらっしゃいます

稲嶺盛吉氏 

「泡が消せないなら 気泡が入った器で勝負してやる!」

と試行錯誤を繰り返し 米糠をガラスに混ぜることで細かな泡を創り泡を際立たせた作風で勝負

周りからは「気が狂った」と言われながらも制作を続け その作品は

日本を始めアジア ヨーロッパで多数の賞を受賞することとなりました

カレー粉とガラスを合わせ黄金色を出したり

備長炭を混ぜて深い質感を出したり

時には紅芋を混ぜて失敗したりと

稲嶺盛吉氏の作品は 力強く独創性に富んだものです

今回この器をいただいたお店のマダム曰く 「盛吉さんはとてもエネルギッシュな方」

しかし 近年目を悪くされて惜しまれつつも引退されしまいました

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しかし現在 息子の稲嶺盛一郎さんが父の技法を踏襲しながらも 新たに独自の技法を確立しながら 琉球ガラス作りに挑戦していらっしゃいます

今回私がやちむん通りのお店で買い求めた器は稲嶺盛一郎さんのもの

やちむん通りとは「焼き物」を売るお店がたくさん並んだ通りなのですが 

素敵だなと思い 飛び込んだお店に数少なく稲嶺親子の作品が置かれていて あまりの素晴らしさに心にとまりました 

稲嶺親子のことを全く存じ上げず

いやいや焼き物を見に来たのだから

と一度は通り過ぎたのですが いややっぱりあの作品!!と慌てて戻って再度じっくり眺めました

最初 棚の上に置かれていた焼き物も気になってマダムにお話を伺ったのですがその方の作品は沖縄のものではなくお値段も高価なものだったので少し迷いました

そこで最初から気になっていたガラスに話を向けると 

マダムと琉球ガラスの話に花が咲いて。

こちらのマダムはご家族ぐるみで稲嶺家との繋がりを深めてこられたそう

マダムの今は亡き御主人様と稲嶺盛吉氏で企画展を開き百貨店などで作品をたくさん販売してきたそうです

そのマダム曰く

「稲嶺盛吉も素晴らしいけれど 息子の盛一郎はセンスが抜群!!」

この器もカレー粉や備長炭なんかを作っていろんな色を出して作っているんだけれど

盛一郎さんも色々挑戦して新しい技法を考えて いろんな表現方法を作り出してるのよ!

とアツくアツく教えて下さいました

備前や沖縄の土などを溶かしてまとわせ焼くことで独特の風合いをつける技法などを生み出したのも稲嶺親子

YouTubeで拝見したインタビューを見ても

「どんな技術も教えられてそのままするのではなく 同じ技術でも自分で考えてたどり着くと必ず自分の力になる」

という信念をお持ちで

作品に真摯に挑戦し続ける姿は 親子だからこそいろんな思いもおありだろうけれど

やはり似ていらっしゃるのだなと感じました

これからも増々進化していくだろう琉球硝子

沖縄を訪れる楽しみの一つとして

沖縄のガラス作品の進化を見るという楽しみ方が増えました♫

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こういった「作品」というような器を買う時

自分の目も大切ですが

買う時の記憶も大切

お店の方との素敵な時間は 

この「うつわ」に

更に魔法をかけてくれました

うつわを眺めるたびに この美しいマダムの生き生きとした笑顔を思い出すんだろうな

そんなあたたかな気持ちで

お買い物をさせていただきました