美味しいしあわせ

くつろぎのひと時のお料理やお菓子とお酒 季節の花と緑

世界でも稀なアーチ型水門が大阪に三基あることを知っていますか 1


f:id:habbule-no-neko:20231221225311j:image

あなたは 水門の番人です

ある日 突然大災害がやってきました

大急ぎで水門に向かい

その門を閉ざさなければ

街や人々が大洪水に呑み込まれてしまいます

大急ぎで向かう途中

倒れた建物に挟まれた親子が

あなたを見つけてこう言いました

「助けて」と

その時あなたはどうしますか?

【西大阪治水事務所の覚悟】

大阪の地下鉄中央線にある阿波座

駅を上がったすぐの所に「西大阪治水事務所」はあります

f:id:habbule-no-neko:20240107130207j:image

西大阪治水事務所は大阪府の所属で市内の治水を担う重要な役割を果たしてくれています

今回のテーマであるアーチ型水門は西大阪治水事務所の管轄

先の話は事務所に併設されている「津波・高波ステーション」という防災の啓発施設で説明員をされている方からお聞きしました
f:id:habbule-no-neko:20240107130418j:image
西大阪治水事務所でも勤務経験のあったその方曰く

先のような質問を 研修で聞かれるそうです

「答えは?」

と聞くとこう応えて下さいました

「答えはないんです」

答えはないけれど 常に自問自答しながら業務にあたることが大切

そんな覚悟を常に持ち続けなければならないのだと。

「仕事」であり「生き方」である

治水の厳しさとその業務を全うする覚悟を感じさせていただく そんなお話でした

【今からは想像もつかない大阪の地形】

そんなお仕事 大阪の「治水」を担う

「西大阪治水事務所」が管轄する

世界でも稀なアーチ型の水門

日本で大阪だけに存在し しかも3基ある

そしてそれが廃止される事が決定したと知り

先日見学に行ってきました

とはいえ

いきなりアーチ型水門の見学と言われても

全くピンと来ないと思います

ほとんど知られていないこの施設により

どれだけ大阪が水害から守られているか

そしてその為にどれだけたくさんの人々が

その力を全力で尽くしているか

それを知るために

まずは大阪の治水についてお話させて下さい

そこには大阪における遥か太古からの

「水」との物語があります

現在 私も含め皆さんが大阪府として認識している大部分は 遥か昔「海の底」でしたf:id:habbule-no-neko:20231209160949j:image

これはかつての大阪の地図

現在広がる大阪平野の大部分は海でした

右の縦に長い茶色い部分が生駒山

間に内海を挟んで左の縦に長い緑と茶色の部分が上町台地(現在の大阪城とハルカスを南北につなぐ台地)です

この地形から長い年月をかけ

山の土が川を通じて下流へと運ばれ堆積し

内海は縮小し幾筋もの川へとカタチを変えていきます

遥か昔(この話は神話ともされていますが)

日本で最初の天皇と言われる神武天皇が宮崎から遠征し奈良に攻め入る際 最初に関西入りしたのは大阪から入る生駒山

その当時はちょうどそのような地形であったと思われます

大阪から生駒山を超えた神武天皇の一行は

奈良の豪族と戦いましたが敗れ 

そこから和歌山へ海を使って逃れていきます

那智の滝あたりから奈良に攻め上り

勝利し大和朝廷を築き

今の日本の歴史へと続く

その始まりの頃はそのような地形でした

そこから年月を経て

さらに山の土は川を流れ下流に堆積し

内海は消滅

デコボコした土地に大小様々な川のある土地となります

その川が氾濫して地形を変えると

人々は川を制御するために川の流れを変え 使い物にならない窪んだ土地を埋め立て

田畑や住居などに活用していくことで

現在の大阪がつくられてきました

大阪と呼ばれる由来は 

そうしたデコボコした土地が多かったため 大小様々な坂が多かったことに由来します

大阪の歴史は「水」と切っても切れない関係

当時のまだ整備されていない淀川や大和川といった大きな川

その他たくさんの小さな川が無数にあることでしょっちゅう氾濫を起こし

家や作物が流されるのが悩みの種でした

しかし人々を悩ませた水は 治水事業により

大きな恵みを人々にもたらすようになります

豊臣秀吉の時代に行われた大規模な治水事業により川を意図的にひくことで 

当時船で物を運んでいた時代に圧倒的な物流改革をもたらしました

船で運ばれる全国の荷物が大阪港に集まり

小さな船に積み替えて川を遡上し運ぶことで

内陸へスムーズに行き渡らせる

運搬経路を整備したのですf:id:habbule-no-neko:20240111182643j:image
f:id:habbule-no-neko:20240111173248j:image

これにより大阪港は日本のハブ港となり

全国の物資が大阪に集まるようになり

物のやり取りが盛んになります

その後 政治の中心が江戸に移ってもなお

大阪は物流と経済の中心地として活躍

各藩は米倉を大阪堂島に建て 米を売り

そこから 世界初の先物取引へと発展し

大阪取引所が設立され

その後の大大阪時代へと繋がる礎となります

その後の戦争や

鉄道・飛行機による更なる物流改革により

現在大阪の水路はその役目をほぼ終えました

今では物流の拠点から観光の資源となり

「水都大阪」として 

橋のライトアップや観光船を運行することで大阪の観光資源の一つとなっています
f:id:habbule-no-neko:20240107211146j:image

また日本の三大祭りといわれる

天神祭」でも 

川は大きな役割を果たしています

f:id:habbule-no-neko:20240107195203j:image

【大阪梅田が海抜50cmのワケ】

そんな大阪の人々にとって川は身近な存在

ですがいざ災害がおこると大きな脅威となることを皆さんはどれほど身近に感じておられるでしょうか

正直 大阪に住んでいる私にとっても 

普段そこまで川を脅威に感じたことはありませんでした

ですが 

それがどれだけ人為的に守られているからかということを今回の水門見学で知り

大げさでなく驚きと感動を覚えました

その気持ちを 現在の大阪の治水事情と共に少しでもお伝えできればと思います

現代においても 自然な川の流れを完璧に制御するのは非常に困難を伴います

そんな困難に立ち向かい大阪市内を水害から守ってくれているのが「西大阪治水事務所」

西大阪治水事務所は大阪府の所属で府の職員として採用された方々が勤務されています

西大阪治水事務所の管轄内には

淀川と神崎川という大きな川と

多数の大小様々な河川があります

川は雨が降ったり湧き出た水が山から流れ落ちることで生まれますが

川は俯瞰して見ると水路であり 

台風などで起こる高潮によって海から内陸に押し寄せる水もその道を遡上してきます

海岸沿いがすぐ山の地形なら海からの高潮はすぐ山にぶつかって広く洪水を起こしませんしかし大阪市内はひたすら平野の広がる地域

あっという間に川をつたって遡上する高潮が街一面に溢れ出します

大阪は現在でも海抜ゼロ地域の多い場所

それは最初に説明した地形の成り立ちに加え

第2次世界大戦後の経済発展に伴い

工場が乱立しそれに伴い地下水が大量に汲み上げられ激しい地盤沈下をおこしたからです

梅田は もともと田んぼを埋め立てて作った土地なので「埋め田」

そこから転じて梅田となり 

現在の姿にまで発展を遂げた土地です 

そもそも地盤が不安定な上に

汲み上げた水による地盤沈下で建物を建てても少しづつ土地が沈み その都度高さを調整しなければならないほどでした

現在その跡がわかりやすいのはJR大阪駅構内

たくさんの小さな段差があり その都度階段やスロープをつけて調整したため 

現在のように微妙な段数の階段が沢山ある

大阪駅の姿となっています

現在も新しく梅北エリアの再開発が進んでいますが 地盤改良工事に多額のお金と労力を使ってその整備が行われています

ちなみに現在でも海から離れた大阪梅田が

なんと海抜50センチ!

海岸沿いには更に低いゼロ海抜地域が広がり

海や川より低い土地にたくさんの人々が暮らしています

それがどれくらい低いかというとこちら

f:id:habbule-no-neko:20240107130828j:image

これは木津川水門へと向かう道中

川のある道から来た道を振り返った写真です

駅から水門のある川へは

このように階段を上がらなければ川の高さに出られないほど低い土地でした

【高潮が次々と 大阪の悲劇】

そんな事情で大阪は 

治水事業などほぼ行われていなかった頃

室戸台風やジェーン台風等でおきた「高潮」により甚大な浸水の被害を受け 

当時たくさんの人々が命を落としました

その被害を受けて近代の治水事業が本格化

大阪で大規模な治水事業が行われていくことになります

神崎川周辺は主に工場地帯であることから

防潮堤や橋を閉めてしまう防潮扉の設置で

川の氾濫を制御することにしました

こちらは渡船乗り場にあった防潮扉

実際橋にかかる防潮扉はもっともっと巨大なものです

大阪市内に全部で58基あり

地元の水防団と協力して訓練を行ない

維持管理しています
f:id:habbule-no-neko:20240107131414j:image

このように防潮扉などで全ての川べりを守れるとよかったのですが 

淀川流域に関してはそんなに簡単な話ではありませんでした

このあたりはすでに経済都市として街が出来上がっており 細かな川がいくつも市内にあり そこにはたくさんの橋がかかっています

すべて防潮堤で覆うのも困難

また橋の高さが固定されているので

物理的に水害から街を守るためには 

橋をすべてかさ上げして 高さを上げた上で すべての橋に防潮扉を設置しなければなりません

そのために工事をするにしても 

街には車や人々が溢れており活発な経済活動を長期間止めなければ工事は不可能

実質 神崎川と同じく岸の高さを上げることで何とかするのは不可能なことでした

また当時はまだまだ海から川を遡上して内陸に荷物を運ぶ船も多数おりました f:id:habbule-no-neko:20240107131716j:image

【船と治水の救世主 アーチ型水門登場】

そこで採用されたのが世界でも稀に見る

「アーチ型水門」

f:id:habbule-no-neko:20240107131833j:image

海からの高潮を川の河口で堰き止めて内陸へ海水が流入するのを防ぐ作戦です

アーチ型水門の造りは川の両岸を半円のアーチ型の鉄の水門で結び いざという時にはそれを90度倒し海と川を隔てますf:id:habbule-no-neko:20240107132025j:image

平時には門のように設置しておくことで海から川を遡上してくる船を通すことも出来ます 

当時の一番高い運搬船の高さを参考にアーチの高さも決められました

この水門が稼働するのは

大型台風により高潮が警戒されるとき

今まで日本を襲った大きな台風をもとに強度などが設計され 設置されました

地震津波 アーチ型水門の限界】

しかしその後

日本を想像を超える大災害が襲います

阪神淡路大震災 

そしてあの 東日本大震災です

体験したことのない激しい地震津波により 

日本はたくさんの人々の命を失った体験から 

様々な防災の前提条件が覆りました

アーチ型水門においても

当初は台風の高潮を防ぐための施設でしたが

阪神淡路大震災をうけ耐震補強を施しました 

そして次に起こった東日本大震災を教訓に

津波も想定したものに改良しなければならなくなりました

台風は事前に来る日時が予想されるので

それに対する準備時間を得ることが出来ます

ですが地震は ある日突然やってきます

そしてその程度は 予測不可能

建設から50年以上が経過し 

大阪府は多額の費用をかけて常に完璧に稼働出来るようメンテナンスを続けてきたこれらの水門だけれど 様々な条件を鑑みるに 

今後もメンテナンスを続けてこれを維持していくことは無理があると判断

アーチ型水門の閉鎖と新しい水門の建設が

決定しました

そして新しい水門については新たな災害基準を鑑みアーチ型を廃止し ローラーゲート式とすることも決定したのです

これにより世界でも稀に見る

日本では大阪にしかなかったアーチ型水門がその役割を終えることになります

アーチ型水門が閉鎖される理由

それにはいくつか当初想定にはなかった事柄が関係してきます

まず建設当初に比べて船の往来が少なくなり

かつてほどの大型船の航行がないことで

アーチ型にしなくても良くなったこと

そして致命的なのはアーチ型の特徴である

「電源がないと動かせない」ことでした

もちろん自家発電が用意されており電源が落ちても動かせるようにしているけれど 

そもそも台風による高潮の想定

台風は天気予報で何日か前からその日時や規模が予想され災害に対する準備に猶予があるけれど 地震はある日突然私たちを襲います

突然襲う揺れと共に 

私たちに向かってくる津波に対して 職員は自家発電を動かしに現場に行けるのか 

遠隔操作により倒すことが出来たとしても

倒れきるまで30分かかるアーチ型水門が

津波到達に間に合うのか

など様々な懸案事項が浮かび上がりました

また構造的な大きな特徴も欠点となりました

アーチ型水門には真ん中に継ぎ目があります

これは水が押し寄せた時の衝撃を吸収する為また 鉄の特性である温度による膨張や収縮を継ぎ目の僅かな隙間で調整する目的があるからです

しかしその継ぎ目が地震により少しでもズレると倒す動作が出来なくなります

高潮対策では繋ぎ目が倒す前にズレるという想定はありませんでしたが 東日本大震災後 地震とその後の津波への対応が求められ

アーチ型水門は廃止せざるを得ない決断となったのです

これらの事情から順次 これらの水門は

日本でも多数を占める「ローラーゲート式水門」へと建て替えられる事が決定しました

 

【海から見る大阪の新しい景色】

f:id:habbule-no-neko:20231209191611j:image

「新しいローラーゲート式水門完成予想図」

こちらは現在すでに基礎工事の建設が始まっている木津川にかける水門の完成予想図です

令和13年完成予定

安治川 尻無川もアーチ型水門からゲート式へということは決まっていますが

工事などはまだ未定とのことで

まだしばらくはアーチ型水門に頼ることになりそうです

ローラーゲート式を採用したのは

いざとなれば電源がなくても自重(水門自身の重さ)であっという間に水門を落とすことができる利点があり

かつては船の航行の為に高さを確保する必要がありましたが 現在では航行する船の種類や数も減ったので以前ほど高くする必要がなくなったため

海から見る新しい景色 と書きましたが

実はこの水門

今のアーチ型水門の上流側に建設されます

今のところローラーゲート式が建設されても

アーチ型水門は取り壊されず歴史的遺構として遺されるということになっているので

海からはアーチ型水門の向こう側にローラーゲート式水門が見えることになります

ただそうなると2つの水門が重なってしまい

景色としてはちょっと残念なことになりそう

まぁマニア的にはそれも水門の歴史を感じる素晴らしい眺め♫

ということになりそうですが(笑)

ただ美しいアーチ型水門の勇姿を

写真に納めるなら今がチャンスと思い

今回慌てて見学会に参加しました

因みにアーチ型水門が取り壊されない理由は

歴史的価値とともに 

解体に多額のお金がかかるのが一番の理由とのこと

大阪府は現在 遺構として遺すアーチ型水門の観光資源としての活用法を模索しています

さぁ ここまで長らく

大阪の治水の歴史について書いてきました 

長文を読んで下さって本当に

有難うございました!

ただ本題の「アーチ型水門の試験運転見学」についてなかなか話が始まらず

大変申し訳ございません

次章で アーチ型水門の迫力ある美しさと

西大阪治水事務所の方々の奮闘ぶりについて

ご紹介しますので 

引き続き読んで頂けると幸いです!

そちらの章では 私がトキメいた「リケ男」(理系の男子)の淀みない解説っぷりを元に書いたアーチ型水門と防災対策のスゴさについてたっぷりご紹介します♫