先日娘の高校の卒業式がありました。
幼稚園から高校まで。
思えば送迎にあけくれた15年でした。
当時通っていた幼稚園には車で往復2時間かかりました。
登園と降園で一日4時間車の中。
長い道のり、車ではよくフジコ・ヘミングのCDをかけていました。
この曲になると音を大きくして二人で聞きながら帰ったのが一番の思い出です。
大人になっても、この曲がかかると
「幼稚園の時の。。」
と、娘は嬉しそうな顔をします。
もちろん、私も。。
小学校の時の思い出は、電車を乗り過ごして行方不明になったこと。
小学校一年生の時、京阪本線の出町柳と淀屋橋の間で迷子になり、特急やら急行やら行って戻ってを繰り返して降りたい駅で降りられず泣いている所を、親切なおばさまに
「反対ホームの準急っていうのに乗りなさいね」
と教えてもらって、泣きながら帰ってきたことがありました。
この時は、本当に本当にひたすら駅で待つことしか出来ないことに無力と恐怖の時間でした。
鉄道警察の方や校長先生にもお世話になり、恐縮しきりの思い出。
この日のことだけは忘れられません。
また、一度は大きな地震に遭い電車がストップしたことも。
小学校高学年だった当時、電車は線路を跳ねてストップ。
学校までは電車で1時間の長い道のり。
復旧の見込みがないため家から遠く離れた駅で途中下車させられました。
大渋滞のなか、娘を家に戻すため車で向かうも3時間かかり、その間娘は重いランドセルを背負ったままいつ来るともわからない母の車を駅前で待つことに。
しばらく駅前で立っていると、同じ学校の高校生のお姉さんがつかつかと歩いてきて
「あなたうちの小学校の子よね。私はここから歩いて帰るの。お家の方を待ってるのね。これ食べて元気出してね。」
とお菓子をわざわざコンビニで買って、娘に渡してくれたのです。
そのお嬢さんも駅の電話で、随分長い間帰宅方法についてお家の方と連絡をとろうとしていたようで、結局きっと随分遠い自宅まで歩いて帰ることにした模様。
そんな中、同じ学校の小学生に心をとめて気遣って下さったのでした。
お名前も分からず、お礼も出来ませんでしたが、本当に助けていただきました。
様々な方のお世話になり、なんとか無事に通学した15年。
大変なこともあったけれど、送迎の車中では学校であった一日の出来事を私に話してくれました。
本当に奇跡のように、素敵な先生方と個性的で楽しいたくさんの友人たちに囲まれ、いつもまわりから大切にされて過ごしてきた15年間でした。
そんな楽しい日々のことを聞かせてもらいながらの駅までの送迎は、私にとっても生涯の幸せな思い出のひとつです。