中でも魚津は私にとって海の幸の聖地です
以前富山で単身赴任をしていた主人に連れられて初めて魚津を訪れた時
あまりの魚の美味しさに
「いつか必ず富山で
半年でいいから2人で暮らそうね」
と誓いあった土地です
そんな魚津の魚の美味しさは
昔から遠く信濃国の人々にも伝わり
魚津から海の幸を 信濃国から山の幸を
互いにやりとりするような歴史がありました
信濃国(長野県)にははるか古代より歴史ある「諏訪大社」があります
その歴史は1500年とも2000年ともいわれ
2000年前なら弥生時代の頃にあたります
諏訪大社は神話「国譲り」の伝承により
新たに信濃国を築いた神様として古くから朝廷や数多くの武将達の崇敬を集めてきました
はるか昔より強い信仰を集めていた諏訪大社
現在日本全国に一万を超える分社があり
この魚津にも諏訪神社としてその御分霊が祀られています
それが今回のお祭りを行っている神社
「諏訪神社」なのです
この日はお祭りなのでなかなかホテルの予約が取れず東京から戻ってきた長男含め4人でシングルルーム4つでの宿泊となりました
結果的には 汗いっぱいでお部屋に帰っても全員すぐシャワーを浴びることが出来て案外快適だったねということになるのですが
ホテルにチェックイン後
お祭りに向かうため 魚津の漁港に向かうと
この美しい夕景が出迎えてくれました
突き当りにあるのが魚津漁協組合です
実はこの場所にかつて諏訪神社がありました
この地域では先にお話した経緯もあり
海での安全や豊漁を願って古くから諏訪大社に初魚を奉納する慣習がありました
時が経ち御分霊をいただいて地元に諏訪神社を祀りそこで豊漁祈願をするようになるのですが 荒れる日本海に幾度も社殿はさらわれ
その都度再興がはかられました
明治6年に漁協から3分ほど歩いた現在の場所へと御遷座され 今日に至ります
小津の浦とはこの港のかつての呼び名
小津おづ から 魚津うおづへと変化したとも言われています
漁業が盛んだったこの地では昔から
豊漁を祈願して舟に贄(にえ)となる魚を高く積み上げ浜を引き回し海の神に供えていたという言い伝えがあります
1720年頃には台の上に提灯を吊るし担ぎ回したとされ今の祭りの原型から現在に至るまで
約300年続いているお祭りで
ユネスコ無形文化遺産に登録されています
たてもん祭りの「たてもん」
私はてっきり大きな建物(「たてもの」を関西では「たてもん」と発音する)の祭りかと
お祭り前に訪れた魚津のサウナで話しかけてくださったマダムにウッカリ
「たてもの祭りを見に来たんです」
と言うと
「た・て・も・ん ね!」
と笑顔でしっかりなおされました(汗)
後でわかったのですが私の大きな勘違い
神様に「奉るもの」から「たてもん」
ということでした
港に着くと「たてもん」が組み上げられ一つひとつ手で灯りが灯されていました
海の向こうに見える夕焼けを背景に
港に生きる人たちによって灯されてゆく灯り
年に一度の美しい景色です
たてもん祭りとは 神社に書いてあったものを引用させていただくと
「高さ16米もある大柱に九十余の提灯を三角形型につるし下げ その下に絵額をつけて長さ十米 帆を上げた船の形をし台の構造がそり型になっており 総重量五トンあり七基のたてもんが曳き回される」お祭り
そり型なのはもともと砂浜を曳いていたから
提灯は今は町ごとに違う絵柄ですが
神様への贄(にえ)として魚を積み上げていた歴史から昔はすべて魚の絵が描かれていたそうです
帆に見立てた三角形の上部には恵比寿を描いた提灯が飾られ 心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈が据えられ神の依代(よりしろ)とされています
八角行燈からは割り竹で出来た枝垂(しだれ)といわれる柳に見立てたものが8本垂れ下がり こちらは髯籠(ひげご)と呼ばれ今は小さな電球がたくさんつけられていますが悪霊が神様への贄に取り憑かないよう睨みをきかせる意味合いを持っています
ヒゲゴ 確か前回書いた「だいがく祭り」でも上に飾られた傘のようなものは「ヒゲコ」と呼ばれていました
どちらも海に関わる人々から信仰篤い神社
共通点が見つかってなんだかワクワクします
組み立てはこちらも縄のみで組み上げられていて結び方は漁師独特の結び方とのこと
やはりそれも「だいがく」との共通点ではないかしらと思われました
太陽は刻一刻と沈んでいきます
港の向こうの広場ではまた別の町のたてもんが組み立てられている最中
紐で引っ張って三角形の帆を引き上げていました
美しさに撮影が止まりません
コンビニに寄っていた家族からいよいよ呼び出しのコールがあり走って合流しました
「もう花火始まるよ!」
と叱られるやいなや
大輪の大花火が
「ドドーーンッ!!!」という大音響と共に夜空一面に広がりました
そう たてもん祭りはこの地域で行われる「じゃんとこい魚津祭り」のひとつ
たてもん祭りの他に郷土民謡「せり込み蝶六」 海上花火大会 UO!JAZZ(ウオジャズ) キャンドルロード 経田七夕祭りが行われる一大イベントなのです
大阪の花火大会と違って観覧する人々も適度に距離を保って観覧することができます
海の上で上げているので花火の煙は風に流れて打ち上がった花火も常に美しく見えます
少し離れてジャズが演奏されていて
花火は空から降り注ぎ
音は塊となって胸を打ちます
並んで見つめる家族の背中を
満開の花火とともに撮影しました
1時間ほどの花火大会は
大輪の花火で空を埋め尽くして終了
興奮冷めやらぬまま
もと来た道を戻り始めるとアナウンスが
「これより諏訪神社においてたてもん祭りが行われます 皆様どうぞおいで下さいませ」
もちろん伺わせていただきます!
諏訪神社に向かうとズラリ!
本日宮入りする「たてもん」が順番を待って並んでいます
ユーチューブで動く「たてもん」をみることが出来るので是非一度検索してみて下さい
子どもたちが台の上で並んで笛を吹き
大人達は宮入りするためにたてもんを曳いて動かします
描かれた絵はたてもんごとに違い武将の戦いの場面などが描かれています
ずらりと並んだたてもんは順番に神社本殿横につけられグルグルとたてもんごと回します
高さがあり不安定なのを下ろされた紐で引っ張りあうことでバランスをとります
回るたてもんとともに引っ張っている紐を持った人たちもグルグルとたてもんの周りを走りまわります
けれど
たてもんの回転が早すぎるのでついていけず
そのうち遠心力を使い飛んだり跳ねたりして
しまいには紐ごとたてもんのまわりを飛んで回ることになります
時折着地しながら飛んでまわるのですが
これが超楽しそう!!(笑)
男の子たちの心に戻った大人が楽しそうに跳ねる姿とグルグルまわりながら笛を奏でる子どもたち 光と共に美しく円を描くたてもん
それはもう神様も大喜びに違いない宮入りでした
ひとしきり奉納回転?が終わると本殿前まで曳いていき氏子衆はお宮の中へ
お祓いがなされると またたてもんに戻り
掛け声とともに曳いてゆき場所を譲ります
お祓いをしている間にも
次のたてもんが宮入りしてきます
こちらは順番まちのたてもん
笛はずっと景気のいい高い音を奏で続けています
順番まちのたてもんも一つ終わると前に移動します
五トンを曳いて移動させるには皆が心を合わせてタイミングを合わせて曳かなければ動きません
声を上げて皆のタイミングを合わせてココ!というタイミングで一斉に曳いていきます
次の宮入りが始まりました
この地で昇華された神様への奉納の祭りは
夢の美しさが続く神様と海の人々の宴でした
祭りはまだまだ続きますが
賑やかな笛の音と人々の心合わせる声を聞きながら家族揃って宿へと戻ることにしました
先ほど賑やかにたてもんを準備していた港は
人気もなくいつもの夜の静けさをまとって
停泊している船を静かに揺らしています
帰りにコンビニに寄って氷アイスを買って
それぞれの部屋に戻りました
翌朝
ゆっくり眠っている子どもたちをおいて
主人と2人 早朝のお祭りあとをドライブ
早速町の方々が集まって昨夜のたてもんを解体して倉庫に片付けている光景が見れました
昨日は暗くてよく見れなかった諏訪神社を訪れてお詣りをさせていただきます
昨日ここでたてもんが回されていました
本殿は雨や高波から守られるように覆いがされていました
神社の前の道沿いにも高さのある壁が続いていました
社殿を幾度も流された歴史に思いを馳せます
提灯に魚が描かれていました
昨日の宮入りの順番表
すぐ横にたてもんをしまっておく倉庫がありました
あら!これは昨日たてもんの上に飾られていた部分じゃないかしら
飛騨高山のさるぼぼがついてるのは謎ですが
諏訪と同じく山間部の文化が富山に流れてきた証なのか
さるぼぼの「無病息災」の意味合いもあるのかもしれません
壁には各町のたてもんの紹介がありました
すっかりいつも通りの港でした
たてもん祭りは終わりましたがまだまだ「じゃんとこい魚津祭り」は続きます
このあたりは旧暦で七夕を行うらしく七夕祭りの旗も上がっていましたし
そういえばサウナで一緒だった地元の方はせりこみ蝶六踊りに参加するようなことをおっしゃっていました
この踊りは念仏踊りが始まりの踊りで
親鸞上人の一代記の歌に合わせて軽やかな振り付けで踊られるもの
ユーチューブでこちらも見ることが出来ます
さながら蝶が舞うようだと蝶六踊りと名付けられたとのこと
歴史深く 信仰に基づいた魚津のお祭り
海に生きる人々の誇り高い歴史の一瞬に立ち会えたことが嬉しい魚津の旅でした