
新年明けましておめでとうございます!
大阪の元旦は晴れ。
毎朝起きたら、お布団の中で目覚ましがてらツイートをチェックするのですが
地球越しの初日の出の映像でした。
なんとも壮大な日の出に、
新年最初の幸せな気持ちをいただきました!
いつも忙しいミッションの合間に、
夜更かししてでも貴重な宇宙から見た地球の景色を届け、地上にいる我々の様子を気遣って下さる油井さん。
いつもイイネで感謝を伝えています。
さて、我が家のお節料理。
姪や甥が小さな頃は大晦日に母屋に来て
お正月のお祝いを朝から共にしていたので
11人分のお節料理を作っていたのですが、
近頃は元日の夕方に来て蟹鍋をし
その日の夜に帰るようになりました。
それでも、全くお節料理なし
ではお正月気分も出ないだろうからと
相変わらず11人分を作って付き出し代わりに「それぞれ食べたいものをどうぞ。」
ということにしていましたが、あまり減らず
子どもたちも大きくなったし、
これからは母屋と我が家の分だけのお節料理にしてもいいかしらと義母に相談したところ
それでいいんじゃない?
ということになり今年からは量もメニューも一新することになりました。



黒豆 ごまめ 甘辛揚げ牛蒡


湯葉の炊いたん いくら 綱蒟蒻 銀杏
甘辛揚げ高野豆腐 大根とスモークサーモンのなます

海老と筍の紹興酒蒸し

烏賊 胡瓜 マッシュルームの冷製中華
家族からの評価は概ね好評。
ただ、私のなかで納得いかないものもあり
ここからまた来年ブラッシュアップしていきたいと考えています。

豆に働けますようにと、干し柿の羊羹。
先日ブログでレシピと共に全国のお節料理に入れる羊羹の話を書きましたが、我が家でも今年お節料理の一つとして作りました。
四国のようにケミカル色でなく、地味な羊羹(笑)

こちらは、今年初めて主人が手がけた鏡餅。


お羊羹を入れた木の箱は、大阪の谷町六丁目駅近くにある、箱屋常吉さんのもの。
大阪城のお膝元ということもあり秀吉に因んで、瓢箪の焼き印があしらわれています。
千成瓢箪(せんなりひょうたん)は秀吉の馬印。
馬印とは、戦国時代に武将のいる場所を示すための目印です。

ところで、
お正月の過ごし方。
一日二日は母屋で揃ってお雑煮を頂くのですが、だいたい二日の夜は挨拶に行く私の実家から遅くに帰宅するので
三日の朝は疲れているだろうと、義両親から
朝のお祝いはそれぞれの家で。
とおっしゃって頂いております。
母屋は母屋で、我が家は我が家で。
それぞれお雑煮を頂くのですが

3日目のお雑煮は
久しぶりに奈良のお雑煮にしてみよう
ときな粉を用意してみました。
私の実家は両親とも出身が奈良。
奈良も広いのでそれぞれあるようですが
両親の実家ともお雑煮のお餅は、
焼いてから→味噌味のお雑煮に入れ→取り出して→きな粉と砂糖を混ぜたものに移し→頂くというスタイル。
なぜこんなに工程が多いのか(笑)
そして味噌味にしてからの砂糖ときな粉ってどゆこと?
謎に満ちた奈良のお雑煮。
四国の餡餅雑煮にも匹敵する日本でも珍しいお雑煮の一つだと思います。
結婚してからノーマル大阪雑煮だった私ですが、25年経ち、ここらで冷静に奈良のお雑煮と向き合い、その「おかしみ」に向き合えるのではと、年末にきな粉を仕入れました。

果たしてどんな気持ちになるのか。
うん。。うんうん!あ、これこれこれ!(笑)
解説すると、
まずはお餅を焼くので香ばしい焼き餅の香りがキッチンに漂い、お正月ならではの匂いがします。
そしてお雑煮の味噌の香り。
その中にお餅を入れひとまずお雑煮を作ります。
見た目のノーマルさを確認しつつ
用意したきな粉砂糖のお皿を隣に置きます。
そしておもむろに餅を引き上げ、
きな粉砂糖にダーーーーーイヴ!!
うわぁ懐かしいこの脳がバグる感覚(笑)
しょっぱいのに何故甘くして食べるのか
脳がその情報から導く合理性を整理出来ないまま、食欲とそうしなければならないという使命感に圧倒されたまま「エイッエイッ!」と濡れたお餅にコレでもかときな粉と砂糖をまぶしつけます。
おもむろに口に運んだファーストASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)
つまり、咀嚼音は
「ジャリっ。」
これは、砂糖の粒子が噛み砕かれる音です。
濡れたお餅に溶かされることなく表面にまとわりついた砂糖の粒子が啼く最期の抵抗の音
ジャリっジャリジャリ。。
次第に溶けゆく砂糖はきな粉の香ばしさと
渾然一体となり、
それがお餅に微かに残るお味噌の塩気と
「戦う」か!
と見せかけ、咀嚼と共にお互いを赦し合い、
それどころか「融和」という
人類が知的生命体として唯一持つ
「慈悲」の心により一つになる
「奇跡」を感じる体験。
それはまるで、お口で感じる
ユニバース(宇宙)。。。
そういえば
ユニバース(universe)の語源は
uni一つの。verse回す。
「(万物を)一つに回し集めたもの=宇宙」という、非常に包括的で壮大な意味合いを持つ言葉。 by AI
宇宙に散らばる様々なものが回転しながら、まとまり、一つになる様を現した言葉です。
私は懐かしさと共に、
口の中に起こるビッグバン(宇宙誕生)を
確かに確認したのでした。
奈良の味覚、恐るべし(笑)
さぁ、新年早々のお戯れ
「奈良雑煮」の話はこのあたりにして、次は
私の新年早々のXのツイートでもご紹介した「おみくじ」について書かせて頂きます。

はい。
「凶」でした。
アレ?
よく見返すと「凶」の部分が写ってない(汗)
そのあたりのドジっ子ぶりも凶のなせる技。
ただ、
これを受け取る経緯に随分な紆余曲折があり私は初めこれを受け入れ難かったのですが、
まぁとにかくその経緯を書こうと思います。
まず、毎年恒例
氏神様のお詣りに行き、境内のあちらこちらにお詣りをして
新年のご挨拶と日頃の感謝や今年一年の無事をお祈りしました。
お詣りを終えると
今年もおみくじをひきましょうと
お御籤処へ移動、おみくじをひきます。
こちらのおみくじは本当に霊験あらたかで
毎年ひいたおみくじを忘れないようにスマホで撮影してたまに見返すのですが、
だいたい何かしら当たります。
去年などは
「旅行 遠方は控えよ 近くは良い」
とあり、遭遇した青森の地震。
やっぱり。。。という感想でした。
なので、
おみくじは私にとって今年一年を本気で占う真剣勝負!
どんな風におみくじをひくかというと
台の上にたくさんのみくじ箱が並べてあり
そこから一つを選んで両手で持ってシャカシャカと振ります。
小さな穴から細長い棒を1本出して
上部が削れてそこに漢数字で書かれているのをおみくじ係の方に告げ
その数字のおみくじを頂く、という形式です
まず、どの箱にするかでも運命が変わります
コレにしようかなぁと思った箱があったのですが、いや、あちこちするとあとに並んでらっしゃる方の選べる箱が一つ減るからと娘の後に並んでその箱を引き継ぎ(1つ目の後悔)
シャカシャカして出た1本の数字を確認し
「十八」を目視。
「お母さん十八だった」
と言うと娘が「え?三十八じゃない?」
よく見ると上に薄〜くかすれて「三」とあり
ホントだわ〜アブナイアブナイと係の方に
「三十八でお願いします」
と告げました。
するとその方、ポカンとして
「三十八は、ないですよ」(ヒエェェ!恐怖)
え!だって三十八だったよねと私と娘。
「いえ、おみくじは二十八までしかないんです。三じゃなくて二じゃなかったですか」
二人(私と娘)→いや!絶対に三でした。
ここから何度か押し問答。
いや、私も福袋とかお年玉くじとかなら
別にここまでこだわらず引き下がるのですが
毎年絶大な信頼を置いている氏神様のお御籤
一つの数字のズレも許されないのです!
三だ二だの押し問答になり(申し訳ない)
良ければもう一度引かれますか?
と係の方からのご提案。
確信を持って何度も見て確認した「三十八」の文字だったので、万が一にも
「いやぁ、そこまで言われちゃかなわないなぁ。お客さんだけですよ(ニヤニヤ)」
と、こっそり裏から「三十八」のおみくじでも出てくるんじゃないかしらと期待していましたが、そう言われたので諦めもつきました
いいんですか?じゃぁ。。(いいんですかも、おかしいのだけれど(苦笑))
と元来た道を戻り、おみくじ処へ。
娘に付き添ってもらい
「正しい運命をお教え下さい」とお願いしてエイッと引き出した数字は「二十」でした。
あまりの切りの良さになんとなく心もとない気持ちになり(独特の数字センス(笑))
娘も「なんかもうすでに不幸な気がする」
と笑いながら言うので
「やっぱりぃ?」と。(2度目の後悔)
先ほどの係の方の所に向かうと
「どうでしたか?」とニヤニヤ聞かれて、
「あのぉ、二十って出たんですけどぉ、、
ウ~ンやっぱりぃ、うん、さっきの十八にします!十八で!!」
と宣言しました。
係の方のポーカーフェイスの
「ファイナルアンサー?」
的な
「十八でいいんですね」
の問いに、迷いなく
「ハイッ!」
と告げ(3度目の後悔)
頂戴したのが、先ほどの
「凶」
でした。。。
ウ~ン!!納得いかないっっ!!!(笑)
願い事は、叶いにくく
待ち人、過去に欺くことあれば今度は欺かれ
探し物は、出ず
旅行は、控えよ(泣)
そんなぁ~〜!
受け入れがたしっ。
と思いましたが
よくよく思いなおして
運勢が最悪なら、悪い事が起こっても
「当然だ」と思える。
だって「凶」なのだから。
そもそも、大吉だろうが大凶だろうが
私の生き方になんら変わることはない。
都度つど、人様には誠意をつくして
後悔のないように生きるだけ。
悪い事は大なり小なり起こるものだし
良いことがなくったって
時は無常に流れ続け、また年は巡る。
今年は凶だと思えれば
何かと諦めもつくというもの。
すべては神様の手のひらのこと。
ということで、
神様の思し召し「十八」番を時々見返し、
今年も一年を送ることにしました。
ということで、
今年はついてないこと確定の私のブログです
何卒至らぬ点失礼な事がありましたとしても
「あぁ、この人、凶の人だからな。仕方ないな」
と、暖かく見守って頂けましたら幸甚の極み
今年も一年、
何卒よろしくお願い申し上げます。
エルスカ